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アメリカを恐慌から救った英雄モルガントリビア

「どこかにたどり着きたいのなら、今いるところにはとどまらないことを決心しなければならない。」

この言葉はアメリカの5大財閥の1つモルガン財閥の創始者ジョン・ピアポント・モルガンの言葉です。

日本では、モルガンスタンレー MUFG証券などが有名ですね。

今回はジョン・ピアモント・モルガンの生涯と明日使える小ネタを紹介します。※以下モルガンとして紹介します。

生い立ち

モルガンはコネチカット州ハートフォードで生まれ、スイスの学校ではフランス語を、大学ではドイツ語を学びました。

小さいころからリウマチに悩まされ一時は歩くことができなくなりましたが、その時間を勉学に充てたおかげで言語を複数操り欧州金融界と渡り合えるようになりました。

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モルガンは父の経営する銀行のロンドン支店に入社。

25歳の時に「J・P・モルガン・アンド・カンパニー」を設立し、鉄鋼、鉄道、海運事業への投資が成功し、トップクラスの金融人となりました。

石油王ロックフェラー家とも仲が良く、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーと共同で会社を作ったりもしています。

恐慌からアメリカを救った英雄

アメリカで1907年10月に発生した金融恐慌の際、モルガンは人脈を駆使して各銀行の頭取に呼びかけ資金を集めました。

すでに70歳で引退間近でしたが、国難に誰よりも機敏に動き、取引所の閉鎖を防いで「国を救った人物」とマスコミに騒がれました。

生ハム&電球使用-世界初

世界で初めて生ハムを盛り付けた人物はモルガンだと言われております。

トーマス・エジソンの会社に融資していたので個人家庭で1番最初に電球を使用したとも言われます。

モルガントリビア

タイタニックの実質上のオーナーであり、処女航海に同乗する予定でしたが、搭乗予定をキャンセルしたおかげで事なきを得ました。

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※映画タイタニックより引用

◆叔父が『ジングルベル』を作曲しました。

◆1923年の関東大震災の時に復興資金を集める組織の代表になっています。

最後に

「どこかにたどり着きたいのなら、今いるところにはとどまらないことを決心しなければならない。」

この言葉の通りモルガンは病気に負けず学習の時間に充て、複数の言語を覚えるために学習する国を変え、独立してからも海運・鉄鋼・無線・電気・鉄道と1つの事業で成功を収めても次のジャンルに投資をし76歳まで動き続けました。

アメリカを恐慌から救ったモルガンの遺体がウォール街を通過する間、株式市場は2時間閉鎖されたと言います。

よろしければ明日、職場や家庭で紹介してあげてみてくださいね。

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