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50歳を迎えて|人生を変えた5回のターニングポイント

スーパーペンギン、代表の竹村です。
50歳になりました。
半世紀生きた、ということで、何というか、色々な意味で感慨深い感じがしています。これで50年、とすると歴史の100年、200年と言うのはあっという間の出来事なんだな、と感じてしまいますね。つい先日、30代の後半で、「もうすぐ40なんだな」などと思っていたような気もするのですが、年々1年のスピードが速くなる気がします。・・それだけ1年が充実しているのかもしれませんね。

独立して15年、今では仕事も軌道に乗り、コロナの影響を受けたとは言え、会社としては盤石で、進化をし続けている現状です。
が、ここに至るまでにはかなり色々なことがありました。
それらを振り返ると、そこには必ず「強力な決断」があり、その時の「行動」の結果とその集積が今の自分に繋がっている、と感じています。

これまで、私にとって、人生を変えるようなターニングポイントは大きく5回ありました。そのどれもに「強力な決断」というものがあり、その時の行動がその後の流れを大きく変えた、と実感しています。

まず、1回目は、1998年、前職のゼネコンで現場監督だった頃。
設計部にどうしても入りたくて、「絶対に設計部に異動してみせる」と決断し、その後、設計部の方々に、寮や会社などで、隙を見つけては自分から話を聞きに行ったりしました。また、入社2年目研修の場では、最終日に開催された懇親会の席で、たまたま出席していた当時の設計部長に乾杯後、すぐに両手にビール瓶を持って「直訴」(売り込み)に行ったこともありました。これらの行動の結果、その1年後に大阪の現場から東京の本社建築設計部に異動することができました。

2回目は、設計部に異動して、数年経って仕事も任されるようになった時。髄膜炎となり入院し、会社を2か月間休むことになりました。
「人はすぐに死んでしまうものだな」と感じ、自分の人生、全力で立ち向かおうと決断。独立を決断した瞬間です。ベットに横になりながら「やってやる」と決意したのを今でも覚えています。仕事を任されるようになっていた時期ですが、企業では一度「倒れた」社員には「また倒れられたら困る」ということで、あまり仕事を与えてはくれません。復帰をした後の状況がどうなるのか、容易に想像がつきました。それよりも、自分の人生をどのようにするか、挑戦することを考えたのです。2002年のことです。この入院の後、空いた時間を活用して、社外活動を全力で行うようになりました。この活動で、今でもお世話になっているインテリア関連団体の方々と出会うことになります。
そして、色々な人に助けられ、2005年に独立しました。

3回目は、2005年に独立を果たしたものの、仕事が全くうまくいかず収入もなく、先も見えない。あまりにも厳しくて、死んだ方が楽だな、という状況だった頃。2010年。経済的にも精神的にも追い込まれ、その中で生まれた「展示会ブースに特化する」という決断。この決断とその後の全力の行動が功を奏して、仕事がうまく回り始め、文字通り「生き抜く」ことができた時。

4回目は、2014年。自分の会社の発展を考えていた時、会場の中を歩いていて、より多くの出展者の方々に何かを伝えられれば、とセミナーを開催することを決めた時。自分を後押しするために、「まずやってみよう」と、内容も決まっていなかった段階で、先に会場を決めてしまって、自分で自分を後押しした時。この決断が、後にJTBの方との出会いに繋がり、中小機構の方との出会いに繋がり、NIPPON QUALITY、ひいては石川県の方々、そして今の状況へと繋がっていきました。

5回目は今年。コロナの状況で、展示会が開催できない、と言う状況を何かできないかと考えた時、「出展者のいない展示会」を開催しようと考え、それを「開催してみよう」と決意し、実行に移した時。これによって、今年は様々な人、特に同じ業界の方々と繋がることができました。

思えば、自分(そして独立してからは当社)の発展は、そのポイントポイントにおける「決断」、「絶対にこうしてやる」という「強力な決意」とその決意によって動いた「行動」によって積み上げられてきたのだと思います。

「人の成長は、決断の連続」

そう日頃思っていますが、その決断も、ただの「決断」ではなく、強力な決意に裏打ちされたものであることが大事なのだ、と思います。
その「強力な決意」。多くの人は「追い込まれた時」「失敗した時」に出現することが多いと思うのですが、それを「日常の中で出すことができた時」、人はプロフェッショナル、と言われるような強い人間になっていくのだろうな、と感じます。

思い返せば、自分のこの決断の歴史の中で、いつの頃からか頭にあった言葉は「自分があきらめない限り、失敗ではない」という言葉でした。
独立した会社がうまくいかなくて、仕事もなく、収入もなく、周囲からは、もう辞めた方がいい、と言われた時も、心には常に「あきらめない限り失敗とは言わない」という言葉を強く心に持ち続け、自分の中にある可能性をとにかく信じ続けました。
ただただがむしゃらに足掻いていただけなのですが、その足掻いた先に、気が付けば今の天職に出会っていました。

決断の先に到達した今の状況。
今が最高であったり、完璧であるわけではなく、まだまだ発展途上ではあるのですが、今はようやく、自分だけでなく、自分の周囲や社会全体のことなど様々なことを考えることができる状況になりました。
会社では、こんな自分をサポートしてくれる素晴らしいスタッフ達に恵まれ、会社の周囲には、私や当社のことを信頼して助けてくれる仲間や気にかけてくれる知り合いを多く持つことができました。
これまで辛いはたくさんあったけれども、とても充実したいい人生だな、と感じています。

「人生、楽しいこと半分、辛いこと半分」

と、言いますが辛いこともあるからこそ充実した今を感じることができるんだな、と、思います。
昔は迷っていた「進むべき道」も今ははっきりと見えるようになりました。
これから先、自分がどこまで行けるのかは分かりませんが、残りの人生、悔いのないように、自分が、当社が、社会に対してできることを、仲間と共に積極的にやっていこうと思います。

スタッフのみんな、仲間のみんな、当社を気にかけてくれている皆様。今後とも私、そしてスーパーペンギンをよろしくお願いいたします。


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