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インド旅行記

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2001年8月末から2001年11月末までインドのダラムサタにボランティアで行っていた時の旅行記です。
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#チベット人

デリーへ

デリーへ

2001年11月24日。バスに乗り込むと大勢のチベット人(デリーに出稼ぎに行くのだろう)やもう帰る外国人旅行者でいっぱいだった。チケットを見ながら自分の席を確保すると、大きい荷物は床に置き、パソコンが入ったリュックは膝の上において寝る体制に入った。眠るといってもダラムサラの薬局で20ルピーで買った睡眠薬(後で知ったのだがそれは軽い安定剤であった)を飲んで窓辺に浮かぶツェリン・ドルジェの顔をボーット

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チベット青年会議

チベット青年会議

2001年10月25日。この日も、いつもと変わらずMOON LIGHT CAFEにチャイを飲みに行こうとJogibara Roadを歩いていくと、バスターミナルのところで大学生らしきチベット人の青年たちが固まって何かアジ演説をおこなっていた。
興味があったので、しばらくその様子を見ていると、どうやらデリー大学のチベット青年会議のメンバー達で、TIPAで何かイベントをやると言っているのがわかった。大

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発表会と打ち上げパーティー

発表会と打ち上げパーティー

2001年10月21日。今日はダンスのワークショップの最終日で大勢の見学者の前で発表会を行う事になっていた。このワークショップの最終的な目的はレジュメに書かれていたCo-body(共身体)とSub-body(未身体)のディープ・コミュニケーションだという。Lee氏がダンスによってしかできないディープなコミュニケーションを通して目指しているものとは、人と人がからだを開きあい、もともと生命が生まれたと

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ツェリン・ドルジェとロプサン・ダワ・ラ

ツェリン・ドルジェとロプサン・ダワ・ラ

2001年9月18日。夕方4時過ぎにCADの授業の準備を9-10-3のコンピュータルームでやっていると、ツェリン・ドルジェが顔を覗かせた。その後ろにもう一人、チベット人が立っている。ツェリン・ドルジェに比べるとちょっと年輩だ。名前を聞くとダワと名乗った。まあ、チベット人にはありふれた名前である。ダワとは「月」を意味する。また、サ・ダワというと月曜日だ。チベット人は仏教的な意味のある名前の他に、生ま

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ラダックとハウスミュージック

ラダックとハウスミュージック

2001年9月13日。この日は朝からレストランが慌しかった。いつもなら営業は昼の12時からなので、朝の9時頃、日本語の本や雑誌(日本食レストランなので日本人旅行者の溜まり場となっており、彼らが残して帰っていった本や雑誌がレストランの本棚に並んでいる。また、バックパッカー御用達の雑誌「旅行人」も定期購読していた)を借りにレストランにノコノコ行くと、スタッフ数名がのんびり仕込みや準備をしているだけなの

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授業開始

授業開始

ダラムサラ=マクロードガンジで過ごすこと1週間くらい経った頃だったろうか?レストランのスタッフの誕生日パーティーの席だったと思うが、NGOの高橋さんからそろそろCADの授業を開始して欲しいと切り出された。
「ダラムサラにも慣れたでしょうから、そろそろ授業を始めていただけませんか?」
ダラムサラに来た目的は本来それなのだが、いざ、はじめるとなると急に緊張してくるものである。そこでVectorWork

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