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インド旅行記

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2001年8月末から2001年11月末までインドのダラムサタにボランティアで行っていた時の旅行記です。
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#マクロード・ガンジ

最終日

最終日

2001年11月24日。いよいよダラムサラとお別れする日がやってきた。今夜の夜行バスでデリーへ向かう。残り少ない時間である。使ってないほうのベッドに広げてあった衣類やパソコン一式、書籍やお土産をバックに思いっきり詰め込んで帰りの準備をした。残るは今日一日の予定である。今日は一切の予定は無い。しかしながら、私にはしておかなければならないことがあった。ヒマラヤへのお別れの儀式である。儀式といっても大げ

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送別会

送別会

2001年11月23日。ダラムサラ滞在は明日までである。明日にはダラムサラを去り、デリーに向かわなければならなかった。これでもうあのオヤジとはしばらく(永遠に)あえないだろうな~と思い、ムーンライトカフェにチャイを飲みにいった。静かな夕暮れ。通りはいつものように外国人旅行者と地元のチベット&インド人、それに牛や羊が通り過ぎていく。しかし、この日の夜はなんだかセンチメンタルになっていた。ダラムサラに

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TCVにやってきたカルマパ17世

TCVにやってきたカルマパ17世

2001年11月22日。今日こそは本当のTCVのお祭りである。朝早く起きると、朝食をとらないでムーンライトカフェでチャイを飲んだ後、MALL RORDをテクテクと歩いてTCVへと向かった。途中、チベット人の団体がタクシーに乗ったり歩いたりして続々とTCVへ向かっている姿が見受けられたので、やはり今日はお祭りがあるのである。昨日の閑散とした道ではない。マクロードから40分ほど歩いただろうか、ダル湖の

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TIPA

TIPA

2001年11月21日。今日はTCVでお祭りがあると聞いていたのでひとりテクテクとMALL RORDを歩いてTCVへと向かっていた。お祭りがあるといっても確たる証拠は無い。ただの伝聞である。本当にTCVでお祭りがあるのならマクロードから続々と見学者が向かっていてもよさそうだと思ったが、人通りは疎らであった。時折車やバイクが通り過ぎるが、それにはマクロードの住民が乗っている気配は無かった。
「本当に

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ダライラマ即位60周年のイベント

ダライラマ即位60周年のイベント

2001年11月20日。タシ・カイラシから聞いた話では、今日から3日間にわたってダライラマ14世の即位60周年のお祭りがあるという。会場はテクチェン・チューリンとTIPA&TCVである。20日はテクチェン・チューリンで祝賀行事が行われることになっている。偶然にも私がダラムサラに滞在していたときこの大イベントが開かれることになった。しかもまもなくデリーに帰らなければならない直前である。これは参加せず

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ダラムサラのグルメ情報

ダラムサラのグルメ情報

2001年11月12日。ここでダラムサラのグルメ情報をお伝えしよう。まず、ダラムサラに来て初めて入った食堂はツクラカンとナムギャル僧院の入口にあるレストラン(?)であった。名前はあるのだろうが、表示が無かったので覚えていない。現地では寺のレストランで通じている。2階にはIBDというナムギャル僧院が運営しているコンピュータセンターがある。話によるとこのレストランもお寺が経営しているとか・・・
ダラム

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再び山へ。その帰りにであった日本のボランティア

再び山へ。その帰りにであった日本のボランティア

2001年11月8日。今日は久しぶりにまた山へ行くことにした。先日、ダワ・ラが持ってきてくれたりんごとバナナを肩掛け袋に入れ、いざ出発。当面の難関はマクロードのバスターミナルからダラムコートまでの上り坂だが、体力的には大丈夫だろう。この日、心に誓っていたのは、途中の茶店でブレイクせず、ノンストップで頂上まで上がることだった。ペースはゆっくり目に、一歩一歩登ってゆく。ダラムコートまでの坂道では野生の

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IBD

IBD

2001年10月26日。アッセンブリーホールの拡張工事の図面とマニ・ラカンの図面がそろったところでいよいよ出力しようと言うことになった。9-10-3の建物の通りを挟んだ向かいには9-10-3のインターネットカフェ(当時、まだ準備中)かあり、何度かそこでプリントアウトさせてもらっていたのだが、カラー出力は無理だ。せっかくプレゼンテーション用に図面に着色したのだから是非カラー出力したいと言うことになっ

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TCV

TCV

2001年10月23日。もうかれこれ2週間ほど姿を見せなくなっていたツェリン・ドルジェとロプサン・ダワ・ラが気になって、朝、朝食を済ませると、一路TCVへ向かった。ツェリン・ドルジェはTCVのコンストラクション部門で働いている。ロプサン・ダワ・ラはそのTCVの偉いさんである。昨日の下痢の襲撃の後遺症が残っていて、ろくに何も食べてなかったので身体は疲労感と栄養不足でへとへとになっていた。それでも2人

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発表会と打ち上げパーティー

発表会と打ち上げパーティー

2001年10月21日。今日はダンスのワークショップの最終日で大勢の見学者の前で発表会を行う事になっていた。このワークショップの最終的な目的はレジュメに書かれていたCo-body(共身体)とSub-body(未身体)のディープ・コミュニケーションだという。Lee氏がダンスによってしかできないディープなコミュニケーションを通して目指しているものとは、人と人がからだを開きあい、もともと生命が生まれたと

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ダンス・ワークショップ

ダンス・ワークショップ

チベット人にCADを教えるボランティアの仕事は、はじめの頃は毎日のようにツェリン・ドルジェとロプサン・ダワ・ラが来ていたのだが、突然、何の連絡のなく来なくなっていた。どうしたのだろう?と思っても連絡先が分からない。そこでNGOの高橋さんに2人が来なくなって1週間が経つという話したところ、
「失礼なヤツらね。私から連絡しておきます」
と言ってくれたのだが、それでも2人は来なかった。設計の仕事は建築家

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ダラムサラの山(パート2)

ダラムサラの山(パート2)

2001年9月12日。この日は朝、9-10-3の食堂のテレビで9・11のアメリカ同時多発テロのニュースをBBCで見て驚いていた。その話はすでに書いたので割愛する。
今回は前回の続きでダラムサラの山の話である。先日はヒマラヤに迫ろうとして、結局、接近することが出来なかったので、改めて、別のルートから山登りをすることにした。選んだルートはQuonium Road(地元ではTipa Roadとして知られ

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