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再び山へ。その帰りにであった日本のボランティア

2001年11月8日。今日は久しぶりにまた山へ行くことにした。先日、ダワ・ラが持ってきてくれたりんごとバナナを肩掛け袋に入れ、いざ出発。当面の難関はマクロードのバスターミナルからダラムコートまでの上り坂だが、体力的には大丈夫だろう。この日、心に誓っていたのは、途中の茶店でブレイクせず、ノンストップで頂上まで上がることだった。ペースはゆっくり目に、一歩一歩登ってゆく。ダラムコートまでの坂道では野生のサルが多く、食い物を持っていたら取られそうなのでなるべく平静を装ってサル軍団を抜けて進んだ。瞑想センターの脇も静かに通り過ぎる。
ダラムコートから上は、最初に山にチャレンジしたときの失敗から学んでいるので道を間違えることなく、曲がりくねって階段状になっている道を登りながら自分の体調を慮ってみた。まだ、今のところ大丈夫だ。これなら頂上のトリウンドまでノンストップで行けるかもしれない。ダラムコットの丘にのぼると眼下に茶店が小さく見える。ここからは比較的平坦な道が続いてくれる(まだ登りには違いなかったが・・)
道が一部崩壊しているところも難なく通過(ここで初めて馬で荷揚げしているインド人を見た。あの崩壊しているところも馬はたくみな足取りで通過していた)しようやく中間地点の茶店まで来た。いつもならここで8ルピーのブラックティーを飲んで休憩するのだが、今日はノンストップ登頂を目指していたので、あっさり通りすぎる。店員のインド人も、
「今日は飲んでいかないのか?」
といった表情をしていたが、こちらはそれどことではない。一度言い出したら途中で変更できないのが私の性分かも知れない。かたくなにノンストップ登頂のことで頭がいっぱいだった。休憩の「き」の字も浮かんでこなかった。
だが、茶店を通り過ぎてから、次第に足が重たくなってきて、
「ちょっとブレイク!!!」
と思ったことか・・・それでも頭は登頂だ。
「ここで休んだら何もかもパーじゃないか?」
と自分に言い聞かせ、どんどん登っていった。が、しかし、心と身体が相反する瞬間とはこのことだろうか?気持ちは頂上のトリウンドへ向かっているのだが、身体がついていかない。残念ながらここで小休憩だ。致し方なかろう。しかし、山登りの鉄則はゆっくりと、且つ着実である。私はその鉄則を破って気持ちばかりあせっていたようである。見上げると頂上はまだはるか上にある。後からやってきたチベット人のおばさんたちに抜かれ、自尊心は脆くも崩れ去った。だいたい、この山をノンストップで登るのが土台無理な話だったのだろう。東京の精神病院に入っているときは、月に一回高尾山に登っていて、常に先頭に立って登っていた名残がまだ残っているのかもしれない。山を見ると闘争心が沸いてくるのは遺伝なのか?ちなみに父は高校・大学と山岳部だった。また、1998年にチベットへ行く際、予行練習で富士山に登ったのだが、そのときは須走りの5合目から何回か休憩しながらも4時間で頂上まで登った経験がある。これしきの山ならノンストップで大丈夫だろうと高をくくったのがまずかった。やはり山は侮れない。
その後も休憩しながらもようやく頂上にたどり着くと、いつもながら感心するのだが、絶景が目の前に広がっていた。なんと表現したら言いのだろう?あの山の崇高さは言葉には出来ない。言葉で説明できるほどの表現力が無いのが悔しい。俗な言い方を勘弁していただければ、父の様に突き放すような威厳がある一方で、母の様に包み込んでくれる優しさ。
ちょうど頂上のトリウンドではチベット仏教の僧衣を着た若い僧侶たちが短い自由時間を惜しんでボールで遊んでいたり、牛や羊が放牧されていたりしていた。岩の一つに腰を落ちつけてダワ・ラにもらったりんごをかじっていると、何頭かの牛が近寄ってきた。最初はりんごのかけらをやっていたのだが、そのむしゃむしゃ食べる様子がかわいらしかったのでついでにバナナを剥いてやったりして遊んでいた。山の頂上の牧草だけでは腹いっぱい食べられないのだろう。奈良の鹿のように私の周りにやってきては花をクンクンさせながら食物を漁っていた。しかし、私の袋に入っている果物も数が知れている。あっという間になくなってしまった。かわいそうなのは餌を食い損ねた後からやってきた牛たちだ。1時間くらい、山の写真を撮ったり、牛と戯れたりしながら下山の準備を始めた。ここから先に向かう道(ヒマラヤにへばりつく様にして作られた小道)はあったものの、そこを進んでいくと今日中にマクロードには帰れないだろう。いつかトレッキングの準備をして望みたいものだ。下り道は登り道よりもはるかに楽であった。本当は山で遭難するのは下りが多いのは知っていたがこれしきの山で遭難(以前、一度雨に祟られて道を見失ったことは前述した)するとは考えられなかったのでほいっほいっっと軽快な足取りで降りていった。
マクロードに帰り着いたのはちょうどお昼時だっただろうか?よくいく食堂でトゥクパとモモのセット(ダラムサラに着てからというものこればっかり食べている。飽きるだろうと思われる方も多いと思うが、店によって味が違い、3ヶ月の長丁場、このコンビで昼食、夕食を食べていた。味は当たりの店もあれば外れも当然存在する)をたべて9-10-3へと帰っていった。
途中、同じTシャツを着た日本人の団体が9-10-3へと向かっているのを目にしたが、あれはもしかして、先般から話題になっているボランティア団体ではないだろうか?
数日前から9-10-3の夕食の席で話題になっていた日本のボランティア軍団がやってきたらしいという話は聞いていた。何をしにやってくるのかと聞けば、TCVでご飯の炊き出しをやっておにぎりを配るという。なんでダラムサラ、しかもなぜTCVで?と疑問は残る。私は子供たちとの交流をうたい文句にしているボランティアは疑ってかかるようにしている。どうも偽善臭いからだ。偏見かもしれないがそれで何度だまされたことか。
「どうやらデリーからバスをチャーターして来るらしいですよ」
「そんな余裕があるなら難民支援に使えばいいのに」
「アフリカの飢餓に苦しんでいるところでやるならまだわかるけど、TCVのガキどもはおにぎりなんて食べないよ。どうしてもやるというなら肉を入れることだな」
そんな風にNGOのスタッフやボランティアたちは言いたい放題言っていた。
後日、TCVのダワ・ラの家に言った際、
「昨日、日本人がTCVに来てなにやらやっていたよ」
と言われたが、その目はあまり歓迎しているようには見えなかった。どちらかというと邪魔ものの相手をしたという表情だった。後で聞いてみるとこのボランティア隊、おにぎりの炊き出しに始まって、運動会やお茶会(茶道のである、ご苦労なことだ)をやったらしい。まあ、ここまでは変わったボランティア隊が来たなということで話は済むが、問題はこの後引き起こった。団体を糾弾するつもりは無いが、己の行動を恥じてもらいたい。
そのボランティア隊の若いメンバーが皆で9-10-3の日本食レストランにきて昼食を食べにきた。軽い打ち上げをやったのかもしれない。注文もレストランでいちばん高いメニューで、しかも団体さんなのでスタッフ全員が喜んで、やる気をだして給仕したらしいのだが、問題は支払いである。彼らが提案したのはおにぎりを作った余りの米で昼食代を払いたいとのことだったらしい。私がこの目で見たことではないのでそのやり取りがどんなものであったかは分からないが、普通、レストランに食事に来て物で支払うだろうか?しかも余り物で持って帰るのが面倒くさい米である。常軌を逸した行動である。レストランのスタッフも余りのことに目が丸くなって何も出来なかったという。こんなことをやっていながらボランティアといえるのだろうか?人間性を疑わざるを得ない。残念ながら彼らがちゃんとお金を払ったのかどうかは聞き漏らしてしまった。しかし動機は十分反省して欲しいものである。

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