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【紫陽花と太陽・下】第八話 新人教育[2/3]

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 ここに来るのは三度目だ。お店に向かって歩いていくと、何人かお客さんが店から出てきた。皆すごく楽しそうに笑顔でおしゃべりをしていた。またお待ちしております、と聞いたことのある声がした。……遼介りょうすけくんだ。店の扉まで出てきて、深くお辞儀をして、お客さんを見送っている。

 お客さんが去って少し経ってから遼介くんが店に戻ろうとしたところで、私たちに気が付いた。目を丸くしている。

「さくらさん! 日向ひなたさん!」
「やー。来ちゃった」
「今、混んでる? 大丈夫?」

 大丈夫大丈夫、と遼介くんが朗らかに店内に招き入れてくれた。そう言われると安心して店に入れる。
 私と日向は『喫茶 紫陽花』に入った。


「久しぶりですね。今やっと落ち着いたところです。タイミングバッチリですね」

 お水を入れた茶色のグラスがテーブルに置かれた。新しいメニューも出たみたいで、簡単に説明を受けた。写真付きのいちごパフェは確かに美味しそうだ。
 お水もメニューの説明もされたのに遼介くんがまだそこに立っていたので、不思議に思って見上げてみた。

 彼が、ふふふと含み笑いをしてそっと指をさした。指の先には……。
しょう⁉︎」
 翔がいた。
「な、なんで? 翔がどうしてここに⁉︎」
「さくら……声が大きいよ」

 思わず大きな声を出してしまい、すぐに日向にたしなめられた。
 ツンツンとした短髪の優男が、少し離れたカウンター席で私たちに向かってピースをしていた。遼介くんと何かを話した後、自分の水グラスを手に持って、なんと私たちのテーブルにやって来た。

「奇遇だねぇ」
 翔は、修学旅行の少し前に同じグループになった奴だった。いつもヘラヘラして軽そうだ、というのが第一印象だった。たまたま行き先が京都で、たまたま同じグループになり、それで一緒に行動することもあるのだが、まさか、こんなところで出くわすなんて……。

「何しに来たのよ」
「そりゃあ、お茶飲みに」
 私がギロリと翔を睨むと、彼はおおげさに肩をすくめて「おぉ、怖い」と言っていた。失礼な奴だ。

「お待たせしました。カフェオレです」
 翔の前に、湯気の立つカフェオレが置かれた。
「お茶じゃないじゃん」
「あ、そうだったね」
 ついツッコんでしまった。翔は何食わぬ顔でテーブルの上の砂糖壺から二欠片の角砂糖を取り出し、カフェオレに入れて混ぜた。
「さくら、何にする?」
「あ、そうだった。忘れてた」
 二人でメニューを見る。さっきのいちごパフェが頭から離れない。前に来た時はミルクセーキを頼んだんだ。自分で作るのはめんどくさいけど、店でなら飲みたいなって思う。

 結局、ミルクセーキとカフェオレ(これは日向が注文した)に、いちごパフェを一つ(これは二人で分けて食べることにした)を注文した。

「あ、翠我すいがくん」
 遼介くんが注文を取り、立ち去ろうとしたところに日向が声をかけた。
「はい」
「あずさねぇ、今日は五十嵐いがらしくんが送ってくれることになったから」
「あ……、分かった。ありがとう」
「うん」

 日向が満足そうにグラスの水を飲んだ。報告したかったに違いない。
 私たちはいつもあずさを家まで送り届けるという任務がある。ここにはあずさはいないので、遼介くんが心配すると思って日向はしっかり状況報告をした。予想通り、遼介くんはホッとした顔をしてくれた。

霞崎かすみざきさん、を、五十嵐が送っていく?」
「そうよ」
「なんで?」
「なんでって……ボディーガード的な?」
「へぇ、変わってんな。誰かに尾行でもされてんのかい? 霞崎さんは」
「想像にお任せします」

 私は努めて冷静に返答した。あずさの過去を翔は知らない。知らない人に、余計なことは言わない。

「それで……」

 日向が呟いた。彼女を見ると、翔の方を向いて言っていた。

「翔こそ、どうしてこの店にいるのかな?」

 あ、それ。私も疑問だった。私たちの高校からは電車に乗らないと辿り着けない場所に『喫茶 紫陽花』はある。たまたまここに来るなんて、あまり想像しにくい。

「あぁ、それはね。俺、遼介くんと友達になったんだ」
 私たちはポカンとして翔を見た。……友達? いつの間に? ってか修学旅行の時に翔と遼介くんは話をしてたっけ?
 翔がぶっと吹き出した。
「いいじゃん、別に。遼介くんにお店の住所とか教えてもらったから、今日思い切って来てみたんだよ。……このカフェオレ、うまっ!」

 へ、へぇー。チラリと遼介くんを見ると、バッチリ目が合った。ふわりと微笑まれて少しどきりとした。


「そういうところです」
「はい?」

 美味しそうにカフェオレを飲んでいる翔……の向こう側で、遼介くんと女性スタッフがいたんだけど、女性スタッフが遼介くんに話しかけた言葉が聞こえてしまった。

「何の話ですか?」
 遼介くんがキョトンとして女性スタッフに尋ねた。
「さっきの話です」
「さっきって……いつでしょう」
「朝。田中さんが辞めた話です」
「あぁ、はい。それが、どうして『そういうところ』なんでしょうか」

 女性スタッフが冷めた目で遼介くんを見やった。この人、ホールスタッフで接客業なのに、ずいぶんと表情が固すぎるんじゃないの? と思った。

「誰でも彼でも、そういうふうに笑いかけるから、誤解されるんじゃないですか?」
「えぇえ?」

 ……全部聞こえてしまった。隣の日向を見ると、同じように呆然としている。翔もだ。真後ろの会話に興味が出たのか、わざわざ首をひねって二人を見ていた。

「へい! まずはカフェオレとミルクセーキだ! パフェは後から追いかける」
「あっ! はい、分かりました!」

 来たー! 私たちの注文に違いない。
 案の定遼介くんが盆に乗せて、私たちのほしいものを持ってきてくれた。

「翔のを見てたら飲みたくなったんだよね」
 日向が小さくいただきます、と両手を合わせ、さっそくカフェオレを飲み始めた。
「それ、あずさの影響でしょ」
「あ、分かるー? なんか丁寧に生きてるって感じで、好きなんだー」
「分かる分かる。私もそれよくやるようになった」

 いただきますの、ごあいさつ。手を合わせ、いろんなことに感謝する。
 幼稚園では昔やったかと思うのに、成長とともにそんな儀式は忘れてしまった。なのに、あずさが毎日お弁当を食べる時にやっていたので、つい見とれてしまった。

 飲み物の後、しばらくしていちごパフェがやって来た。

「苺だ」
「苺たくさん」
「ちゃんとスプーンが二本……いや、三本あるよ」

 翔と一緒には食べないだろう、と驚いて遼介くんを見ると、申し訳無さそうな顔で
「翔くんも食べるかと思って」と言われた。

「スプーンあるなら俺も食う」
「やめて」
「よだれが付く。嫌だ」
 ひどい言葉を投げかける。私たちは笑い、翔は仏頂面でブツブツ文句を言っていた。

 すると、仏頂面から突然ニヤリと顔を変えて、翔は遼介くんに向かって尋ねた。

「さっきの話。すっごく興味がある。詳しく聞かせてくれ」

 いきなりだな。
 店内をぐるりと見渡すと、奥の方に何組かお客さんがいるくらいで、誰も座っていないテーブルも多かった。忙しくないのなら私も聞きたい。田中さんって誰だろう。一体何を誤解されたんだろうって。

 遼介くんが、小さくため息をついた。



(つづく)


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