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【紫陽花と太陽・下】第四話 修学旅行2

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「修学旅行は、やはり京都になった」
「そうかぁ、懐かしいなぁ。僕が一人旅した時も京都だったな」
「そこで縁田えんださんと会えたんだものな」
「うん」
「もう一つの旅行先は沖縄だったのだが、飛行機を使うということで辞退した。京都へは陸路で行ける。飛行機より電車のほうがまだ安心できる」

 あずささんはそう言って、僕にすり寄ってきた。
 まるで猫みたい。
 家族の前では今までと同じように僕と接するのだけど、部屋に戻って二人きりになるととたんに猫になる。僕の服のはしをつい、と引っ張って、目が合うと頬を赤くして目を伏せる。腕をそろりと控えめに僕の腕にからめてくる。
 また理性が吹っ飛びそうだ……。

 もうすぐあずささんが旅行でいなくなってしまうので僕はがっつり仕事を入れていた。本当なら定休日以外の残り六日の間に休みを一日入れるのだけど、その週は休み無しで連勤にした。仕事で疲れ果てて何も考えずに寝たい。

「あずささん、修学旅行は、今も怖い?」
 思ったことをそのまま尋ねてみた。あずささんは少し考えて、それから言った。
「……怖い、よりは、寂しいの方が勝っている。中学校の時はクラスもグループも全然違ってはいたが、遼介りょうすけと一度道ですれ違うことができたから……。今回はどこを探しても遼介はいない。それが……寂しい」

 弱くなったものだな、とポツリとあずささんが呟いた。たまらなくなってあずささんを抱きしめる。つよしがいるよ、と言いかけたが、言いたくはなかったので言葉は出なかった。

 その日はあずささんが眠りにつくまで背中をずっとなでていた。

 *  *  *

 縁田さんの喫茶店は混んでいた。ホールスタッフ主任、と新しく作ってもらったネームプレートを胸に付けて、僕は額に汗をかきながらせっせと働いていた。

「うぉぉぉぉ‼︎ 手がーっ、四本、いや六本ほしいぞぉーっ‼︎」
「たまごサンド、二つ出したら、次はパスタです。麺茹でますか?」
「何⁉︎ こっちに来れそうなのかい⁉︎ フライパンと仕込んだ具を出しておいてほしい‼︎」
「はい」

 縁田さんが作業に集中できるよう、ホールスタッフの僕は全神経を集中させてお店がスムーズに回るよう声をかけていく。今日は僕以外にもう一人スタッフがいた。僕まで焦ってしまえばそれは周りを巻き込む。冷静に、冷静に……。

「いらっしゃいませ!」
「あ、冴木さえきさん、レジも来そうです。レジの方を僕入ります」
「遼くーん! フライパンはぁ⁉︎」
「出しました。具も出しました。すみません、一旦レジ行きます。サンドイッチ、冴木さんの方が持っていけるかと思います。
 いらっしゃいませ! ……冴木さん、空きテーブルは五卓のみです。ご案内の声掛けだけお願いします。その後オーダーの提供をお願いします」
「わ、分かりました‼︎」
「ありがとうございます! お会計はこちらです!」

 ちょっと、一人採用はしたものの、手が足りない。キッチンが縁田さん一人だけなのもこのところキツくなってきた。

 ここは喫茶店か? と疑問が出てくるほどお昼のピークタイムは賑やかになる。クラシック音楽がかき消されてしまうので最近はジャズにBGMを変更したほどだ。今までのような細やかな気遣いができなくなってしまった。お客さんと何を話したのか、全てをメモをとる余裕がなくなってしまった。一体どうしたらいいんだ……。

 今、目の前のことに集中する。キュッと口角を上げて微笑む。
 大丈夫、まだやれる。
 休憩に入ったら、解決方法がないかアイディアを考えてみるのもいいかもしれない。


「もう一人採用してぇ」
 キッチンの作業台に両手を付き、ガックリと項垂うなだれて縁田さんが呻いた。

「キッチン補助がいたらベストですよね」
「そうだ。今は遼くんがホールもキッチン補助もしちまってるから、最近ホールもバタついているのが気になる」
「……すみません」
「遼くんが謝ることじゃない。まずは立て直しだ。……冴木さん! 洗い場、ありがとね!」

 自動食洗機を設置した洗い物をするスペースは、洗い場と呼んでいる。冴木さんという僕より何歳か年上の彼女は、半年ほど前に入社した新人(?)さんだ。背が低く、高いところの物を取るのに苦労していたので椿つばきが成長して不要になった踏み台を店に持ってきたら、目を丸くして驚かれた。

 彼女は一日はもちろん一週間しても辞めなかった。半年続いた珍しい方だと縁田さんはニィと笑って言った。飲食の仕事はなかなかに肉体労働だ。ずっと立ち仕事、休憩以外に座ることはできない。お客さんによどみなく説明をするために頭だってフル回転だ。体力勝負のこの仕事を、彼女は頭の上でくるくるっと髪を団子にして一生懸命働いている。

「遼くんさぁ」
「はい?」
「あずさちゃんの修学旅行って、スケジュールとか知ってるのかい?」

 僕は小首を傾げた。もちろん知っている。事前にあずささんが、僕に旅のしおりのコピーを渡してくれたからだ。スケジュール表もきっちり書かれている。

「自由時間とかって、あるのかい?」
「そう、ですね……。確か最終日の午前中は、グループ活動として自由に街の中を散策できる時間となっていたはずです」
「なるほど」

 そんなことを聞いてどうするのだろう?

 僕が不思議そうに縁田さんを見ると、縁田さんはニヤリ、ではなく、ニコリと笑った。



 あずささんが修学旅行に行ってしまった。いや、行くのは分かっていたんだ。年間行事予定表できっちりと日付指定で書かれている行事なのだから。

 久しぶりに、本当に久しぶりに、家にあずささんがいない。一緒に暮らし始める前のことだから、かれこれ三年も前の記憶。その頃、中学二年生の頃の僕はいつも時間に追われ、宿題と眠気と闘っていたと思う。もう昔の話すぎてよく思い出せない。

 気が付いたらあずささんがいた。いつも隣に。
 隣りにいるのが当たり前と慢心していた訳じゃない。いつも僕を支えてくれることに感謝していたし、感謝を言葉にして伝えていたはずだ。

 ひろまささんと椿つばきを送り出し、桐華とうか姉は散歩に出た。出産予定日まで残りわずか。お腹は動くのも大変なくらい大きくなってきていた。靴下は履く足が見えないので苦労するし、冬が近くなれば何枚も厚着をして暖かくしておく必要があると言っていた。服を着るのも大変そうだ。
 いつ出産してもいいからと、家でゆっくり過ごすのではなく、むしろ歩けと言われているらしい。歩いて、自然に、出産する。

 僕は不思議な思いで桐華姉を眺める。……いつか、僕はあずささんとの子を授かることがあるのだろうか? そんなことを夢見ていいのだろうか? 大事なのは彼女が夢を叶えることだ。たくさんの子どもたちに伝えたいことがある。伝えるための職業を探し、いずれ職に就く。そのためにまずは大学に行く。そのためにさらに今は勉強をして学校生活を大切に過ごす。


 ガランと静まった室内のダイニングテーブルに淹れたての珈琲を置いて、僕はスマホと無線イヤホンを取り出した。最近時間があるといつも本を読む。読むと言っても、僕は漢字が苦手なのであずささんより読書に時間がかかってしまう。ウンウン唸りながら読書をしている時に、ある日彼女からスマホで本の内容を読み上げてくれる方法を教わった。それからはイヤホンで「聴」書をしている。

 イヤホンを耳につけ、スマホの読書一覧画面から何の本を読んでいたっけと探し出す。そして、読もうと思って、手が止まった。

 僕は今、本を読みたいと思って読もうとしている。
 探したいと思って、探している。
 僕は、今、自分の時間を好きに使えている。

 誰もいない部屋で加湿器だけがコポコポと小さな音を立てている。僕は驚愕した。そして唐突に、何かを知った、悟った? というのが本当か。

 昔、椿の世話と家のことと学校とで時間に追われていた頃に、喉から手が出るほどほしかった自分の時間。好きなように自由に使える時間がほしかった。椿がやっと寝たと思ったらそのまま自分も寝てしまい、気がつけば朝の五時。起きて朝食の支度をしなくてはならなかった。

 それが、今は、こんなにもあっさりと手に入ってしまっている。

 しばらく固まって読書をすることを忘れていた。ゆっくりと珈琲のマグカップに口をつけた。思考を再開する。

 でも僕は思う。今の自由な時間は、昔不自由だったから『自由だ』と分かることなのだ。
 当たり前のように自由に生きてきた人は、自分が自由であることに気が付かない。
 何も考えなくても目の前に料理が出されたら——それも毎日——料理は出てくるものだと当たり前に思ってしまうものなのだ、と。

 桐華姉はどちらかというと、自由な方だ。そりゃあ、母が亡くなった時は長女として色々苦労もあったのだろう。でも母は専業主婦だった。僕くらいの今の時期はそこまで家のことはしなくても良かったはずだ。

 だから分からないのだ。僕やあずささんが切望している何かを。気が付いてほしかった日々の些細なことを。僕は前に桐華姉に問いただした。部活に入っていない理由に気が付いてほしかった。家のことを毎日していることに感謝してほしいだなんて思わないが、せめて理解してほしかった。

 所詮無理なことだったのだ。僕の普通と桐華姉の普通はかけ離れすぎている。決して交わることはないのだ。同じ時を同じ空間で暮らしていたとしても、だ。


 僕は壁の大きな時計を見た。珈琲を飲み終える頃には、そろそろ家を出て出勤する時間になりそうだ。

 縁田さんからの驚くべき提案を頭の中で反芻する。あずささんが旅行に行って戻ってくるのは六日後だ。縁田さんは時々おじさんを飛び越えて、少年のようにいたずらっ子になる。突拍子もない事を、目をキラキラさせて、僕に提案してくるのだ。

 僕はスマホを開き、剛にメールを打ち始めた。



(つづく)

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【あとがきではないあとがき】
両親から課外活動を制限されていたあずさは、中学生でやっといろいろな活動を始めるようになった、という設定です。集団行動に不慣れ、体力もあまりなく、精神的なものからくる身体の不調から中学時代は必ずと行っていいほど倒れています。

「ふつう」の人にはなんてことないことも、難しい人がいる。
「当たり前」は人によってみんな違う。

育児や家事に忙殺されていると気が付く暇がないのですが、遼介はこの数日で新しい発見をしました。私自身も渦中にいる時は同じようにいつも追われていて、ふとした瞬間彼と同じように気付きました。
だんだんと遼介の考え方は自分とそっくりになっているかも(苦笑)

遼介、あずさ、剛の「ふつう」とは違う修学旅行。もともとは三話構成で作っていましたが、noteではまるっと続き物として今後も更新していきます。

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