Take-13:映画『燃ゆる女の肖像(2019)』は面白かったのか?──この映画を観て何も振り返れない人は不幸である?──
【映画キャッチコピー】
『すべてを、この目に焼き付けた──』
【作品の舞台】
1770年:フランス、ブルターニュの外れにある孤島。ブルターニュは大西洋に向かって突き出したフランス最大の半島で非常に入り組んだリアス式海岸である。合計で800前後の島々が本土の沖合にある。
【原題】
『Portrait de la jeune fille en feu』
直訳で『炎の中の若い女性の肖像』となりほぼ原題を踏襲した邦題となっている。
皆様、よき映画ライフをお過ごしでしょうか? N市の野良猫ペイザンヌでございます。
この作品は2020年初頭かな? その年の1本目に劇場で観たのを覚えております。
そして、なんかとんでもないものを観てしまったな……と圧倒されたことも。
その後結局これを越える作品には巡り合えず、その年の個人的ベスト1をとうとう守り抜いた映画こそ、この『燃ゆる女の肖像』。
この年にはケイト・ウィンスレットとシアーシャ・ローナンが共演した『アンモナイトの目覚め(2020)』という女性同士の愛を描いた作品もありました。こちらは性描写的に「ここまで見せていいの?」くらい激しいシーンもありましたが着眼点やテーマ的に『燃ゆる女の肖像』、こちらの方がボクにとっては、より別の意味で強烈でしたね。
とにかく「なんか、すげぇカットだなコレ…」ってのが、このポンコツな素人目にでもわかるほど全編に散りばめられております。
まだ電気も通わぬ十八世紀、蝋燭の光、壁に映る影のゆらめきが目に心地よくさせ、キャンパスに炭を走らせる時のシャッシャッともガリガリともとれる音、こちらがまた耳を心地よくさせと……
真っ暗、そして微かな音でも響く「劇場」という場所でなぜ映画を観るのか──その答えに溢れた映画だったと思います。
これほど凄いラストカットも久々だなとちょっと唸りましたね。
前々回こちらで取り上げた映画『第三の男(1949)』のラストに匹敵、いや自分の中ではもう越えてんじゃないかと正直思ってますね。なぜ『第三の男』と比べているかというといわゆる「シカト」ラストシーンだからです。シカトと言ってもおそらく相手は気付いてるのにわざとシカトしてる状況であり、まさに『第三の男』と似たような状況(正確には似て非なるものですが)。
振り向いてほしいような、そうでないような……そんな主人公の気持ちとシンクロし、観ているボクも一分以上「瞬き」できませんでした。
女性同士の愛を描いた映画は数多くありますが、おそらくボクがものごごろついて初めて目にした、所謂レズビアンを題材にした映画は『マイ・ライバル(1982)』という五種競技を描いた作品だったと思います。
こちらはテレビで観たのですが、まだ幼かったこともあり異様にドキドキした覚えがあります。もちろん「エッチな場面」があったというのもありますが😅同時に「え、なんで女の人同士、裸で抱き合ってんの?」と子供心に不思議でしかたなかったからでもあるんですよね🙄
「秘め事」という言葉を越えた「禁じられているもの」、タブー、見てはいけないものを見ているような……そんな気持ちでした。
当然「ジェンダー」なる言葉もまだない頃であり、自身も年齢的にもまだ「レズビアン」という言葉さえ知らない頃。
いや、そもそも社会全体がそういう概念についてよく理解できてない時代だったのではないかな──とも思います。
当然その時代にも、同性愛たまは性同一性障害中に悩んでいる人もそれなりにいたはずです。ただ単なる「ジェンダー差別」というよりも自らがおかしいと感じたり「自分は病気なのでは?」 と「押し隠す」ことが多かったのではないかと思いますね。
『戦場のメリークリスマス(1983)』で坂本龍一さんが演じたヨノイ大尉──敵国の捕虜、ましてや同性であるデビッド・ボウイ演ずるジャック・セリアズ陸軍少佐に対し、自分でも気づかぬうちに恋心を抱いている──あんな気持ちだったのではないかと。
誰が許さないというよりも自らが許せない、そして何より「時代が許さなかった」というところが大きいのでは、と思われます。
ちなみにこれを書いてる途中、調べてたのですが、先ほど紹介した映画『マイ・ライバル』こそ、ハリウッドの中で“レズビアンというものを初めて公言した映画”だったそうです。へぇ〜、なかなかの偶然で驚きましたw
まあそんな時代なのでさっき言ったことにも多少信憑性が出てくるかと思われます。
話は戻って『燃ゆる女の肖像』ですが、舞台は18世紀、昭和どころかさらにさらに遥か昔であり、社会に求められる役割が男女ではっきり分かれてた時代。
作中では「女性が描くべき絵は決められてる。だから描くときはこっそり描く」なんて台詞もあります。
主人公の女性二人は画家とモデルの関係。
「見る側」と「見られる側」という関係も興味深いです。
その立ち位置の絶妙なバランス、時によっては主従関係の反転、はたまた本当に「見ている側」とはいったいどちらなのか?──そういった、ボクらの日常生活でも時に頭をかすめることが散りばめられてたりと。
「見えている者は“見えない振り”もできる」そんな言葉なども思い出します。
「女性が男性を愛するとき」と「女性が女性を愛するとき」って心の持ち方や相手に対し求めるものなんかも微妙に違いがあるのかな? ──そんなことも頻繁に妄想してましたね。もし少しでもわかるよという方がいたら、そっと教えてほしいくらいです。
「冥界を出るまで愛する者を決して振り返ってはいけない。振り返れば地獄へ逆戻り。連れ戻される」
そんなギリシア神話、オルフェの物語がモチーフとなってますが、そこが前半で述べた「シカト」のラストへと繋がり「愛する者を振り返ることが許されない当時の男性上位社会」をうまく表してます。
「振り返るは一瞬の愛、そして永遠の地獄。されど振り返らずもまた安定と言う名の天国で儚く続く虚無という闇」なのかもしれません。
まあ、それも「振り返るものがあればこそ」です。
「ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読んで共感できない人は不幸である」なんて言葉があるように「この映画を観て何も振り返れない人もまた不幸である」そう言っていいのではないかと、少し思ったりしましたね。
この監督セリーヌ・シアマは以降も脚本で参加した『パリ13区(2021)』や『秘密の森の、その向こう(2021)』などが公開されてますが、いずれもとても素晴らしかった。
長編デビュー2作目、少年のふりをした少女を描いた『トムボーイ(2011)』なども今では配信で簡単に観れますので、そこまで遡ってみるのもよいかもですね。
女性というものを徹底的に掘り下げる映画を撮らせれば、いま最も信頼のおける女性監督なんじゃないかな──と個人的にとても信頼しております。次回作も楽しみです。
ではまた次回に!
【本作からの枝分かれ映画、勝手に6選】
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