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あの日の景色。あの日の味。

忘れられない景色って誰にでもある。

スイスを旅行した時に老夫婦が手を繋ぎ、歌って散歩していたのが忘れられないって人もいると思うし、

雨の薄暗い教室で、となりの子の2Bのえんぴつの筆記音と、その真剣な横顔が、なぜか忘れられないって人もいると思う。

ものすごく非日常的な景色だったり、とてつもなく日常的な景色だったりもする。


同じように、忘れられない味ってある。

ニューヨークの47番ストリートの店でテイクアウトしたチキンパニーニ。

別に誰にも好きとは言ってなかったけど、密かに楽しみだった給食のミートスパゲッティ。

人にとっては、なんてことはない景色や味だったとしても「わたし」にとっては大事な景色や味。
そんな景色や味が、人の数だけある。

みなさまはいま、天井や、空や、電車のつり革を見上げ、忘れられない景色や味を思い出しているかもしれない。

そんななか、僕の忘れられない景色と、忘れられない味を綴っていこうと思う。



夏休み。

毎年のように、小学生の僕と妹は、おじいちゃんの家に預けられる。
あ、妹と言えば、妹の出産のことを書いたら、たくさんの人に読んでいただけて、とっても驚きと嬉しさのホッピングシャワーであった。読んでいただいた皆様、とつぜんここでありがとう。

祖父母の家の近所には僕と妹の友達はいない。
だから、楽しみと言えば誰かとの遊びではなく、おばあちゃんが作る濃いめのカルピスや、昭和後期のかき氷機で作るがりがりした荒いかき氷ぐらいだった。

そんな僕らにも、特別な楽しみがあった。いつもごろごろとしている僕と妹を見かねて、週に2回ぐらい、おばあちゃんは言うのだ。

「プール行くばい。」と。

福岡のおじいちゃんの家から、自転車で30分ほどの距離にある、南市民プール。
いま考えたら、自転車で30分って結構な距離だけど、遊びに飢えた夏休みハイエナのあんこと、あんこ妹にとっては、プールは肉汁の滴る生肉であった。

おばあちゃんのその声で僕らは飛び起き、散歩前の犬のように玄関でそわそわし始める。小学生時代のあんこぼーろは、プールが純粋に好きなただのあんこぷーるだったのだ。
そしてプールには、なによりも、僕の大好きな食べ物があった。
忘れられない味ってありますかって聞かれたら、こういうタイミングで答えるぐらい。

あの、あんこさんにとって忘れら ありますよ!プールの後に食べたわらび餅ですよ!



プールでは、たくさんの子供が遊んでいる。
そんな、芋を洗うタライのような場所で、妹とふたりでふざけあう。大人になってあんなふうに一緒くたにまぜこぜに、誰かと同じ空間で遊ぶってないよなぁ、って思ったけど、僕が行ったことないだけで、ライブやクラブはそういう場所だった。洗い芋のように遊ぶのは、人間の性なのかもしれない。

プールから上がり、着替え、表に出る。
たくさんの蝉が鳴いている。
アスファルトは、ホットプレートのように熱い。そして子供は、地面との距離が近い。いまより夏は、断然暑かった。

そんな真夏のプールの駐車場に「それ」はあった。

白と緑のパラソルの、銀色の手押し車。
小さな旗には、「わらび餅」と書いてある。
すぐそばに、日焼けしたじいさんが座っていて、プールから帰る子達に声をかけている。


僕にとっての忘れられない味は、プールのあとのわらび餅。

おばあちゃんにお金をもらい、わらび餅を買う。

おじちゃんの周りには、子供たちが集まっている。買う子供もいれば、買わずに見るだけの子供もいる。

おじちゃんの手つきを見るのも好きだった。

金網のおたまを、手押し車に内蔵されている銀色の深い容器ににいれ、掬い上げる。ふるふると柔らかい水晶たちがたくさん現れる。

よく水を切り、きなこ砂漠にやわらか水晶を投下して、きなこ砂漠の上できなこまみれにする。それを別の網でほろほろとふるいにかけて、余分なきなこを砂漠へ戻す。

そしてきなこ柔らか水晶をモナカの容器によそって、もう一枚のモナカで閉じ、つまようじを二本刺し、二枚のモナカを輪ゴムで止める。

はいどうぞっ おじちゃんは手際よく手を動かし手際よくそう言う。

僕は輪ゴムを慌ててバチンとはずし、モナカを開ける。
きなこ砂漠のやわらか水晶たちが、昼寝するひんやりひよこたちみたいに体を寄せあっている。

きなこが甘くて、モナカはパリパリで、わらび餅はひんやり冷たくて、他にはない、とても風情のある食べ物に思えた。

「はよ食べんね。熱中症になろうが、はよ行くばい。」

おばあちゃんが言う。
僕はわらび餅を食べながら、おばあちゃんを見る。

おばあちゃんの向こうには、青々とした夏の山。春のものとも、秋のものとも違う、生命力を暴発させたようなぎらぎらと、深く奥行きのある緑。
そしてその山の向こうには、特大の真っ白な入道雲。
そして、自転車のそばで立ち、僕を見るおばあちゃん。かぶった白い帽子は、風に揺れている。

この景色を見たとき、僕はこの景色を一生忘れないのだろうなぁ、とそう思った。そして、いまその事を書いている。



さて、先日の妹の出産の記事。
コメントをくださった方々のページへ赴いたりして、何名かの方と繋がることができた。

先日「夏の蛇口」という日記のような詩のようなものを書いた。夏の蛇口は捻るとお湯がでて、そのあと冷たい水に変わるよねって夏の訪れを表現したもの。

そのコメント欄に、件の妹記事のご縁で繋がったシモーヌさんがコメントをくださった。



「昔、福岡の大橋で食べたわらび餅が夏の最高の思い出です。」


大橋ってどこだろ。。と、調べてみる。

福岡市の南側にある。

福岡市の南側には、おじいちゃんの家がある。そしておじいちゃんちから、大橋までは、歩くとけっこうな距離。
車だと10分ぐらい。
自転車だと、30分ぐらい。





っ!





ぬっ!!!!!!!!!





こ、これはまさか。僕は大興奮しながら、コメントをいれる。まさか、な。


「市民プールの前でわらび餅食べましたぞ!」





するとお返事がくる。











「なんと!まさにそれのことです!」






シモーヌさんも、あの芋洗い会場にいて、
そして、あんこぷーると一緒にわらび餅を買って食べていた!(だろう)

思い出の味が、有名店のハンバーグとかならまだしも、ひとり経営のわらび餅じいさんだよ?それが被るってどういうこと?

noteのなかで、思い出の味が一緒の人と出会う確率っていったいどんな確率のもんなの???

だれか計算していただきたい!



この記事が投稿されるのと同時に、シモーヌさんも、わらび餅の記事を投稿してくださることになっている。

シモーヌさんが投稿されたら、ここにリンクを貼ろうと思う。


↑面白かった。。

あんこぷーる脳内では、わらび餅網ですくってたようになってるけど、シモーヌさんはスコップで記憶されてる!

でも、スコップって言われるとスコップでやってたような気がする!!


懐かしすぎる!


ありがとうこざる!

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