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「つくね小隊、応答せよ、」(十参)


3人は秋月の敬礼した右手を見て、息をのんだ。


その右手は、血まみれだった。


よく見ると、腹部からかなりの出血があり、帽子で傷口を押さえ、右手で圧迫していたようだ。

渡邉が、座って、タバコに火をつけながら訊いた。

「…傷は、深いのか?」

そして秋月にタバコを咥えさせる。

秋月は礼を言って、深くタバコの煙を吸い込む。目をつむり、まるで温泉につかっているかのような顔になった。久しぶりのタバコだったんだろう。

「すまん。タバコな、んて、久、しく吸ってない。すまんな、ありがとう。傷は、まあ、深い…かなり、深い…」

「動けそうか?実はさっき、岩場で艦砲射撃にあった。偵察機が来るから、発見されないように移動中だ」

「あ、さっきの、はお前らか。俺は、その前の艦砲射撃、でやられた。うまいこと逃げたが、砕けた岩が、腹をえぐった。5人でいたが、あとの4人は完全に直撃だ。ここまで歩いてきたが、もう歩けん」

秋月の言葉は、もうどこに逃げても逃げ場はない、という言葉と同義語だった。

清水と仲村は、直立不動で押し黙っている。

渡邉は、水筒の蓋を回す。

「秋月、おまえ、しばらく水ものんでねえだろ、ほら、飲めよ。さっきの雨を溜めた水だ」

秋月は唇を舐めて、渡邉に頭をさげ、ごくり、ごくり、と水をうまそうにのむ。

腹から、水が滲んでいるのを、清水は見た。胃にも穴が空いているのだろう。この傷だと、長くはない。仲村を横目で見ると、仲村もそれに気づいたのか、なんとも言えない悲しそうな顔をしている。

秋月は、ゆっくりとまた、血の滲んだタバコを吸い、遠い目をする。

「俺はよ、爺さんに、育てられてよ、たてつけの悪い、隙間風だらけの家でよ、それで、夜はうすきみわりいわけよ、だから、爺さんに、なにか話をしてくれって、いつもせがんだんだ。爺さん、むかしから歯がねえから、むふぁしむふぁしあふとこふぉに、みてぇな話方でよ、ほとんど話の内容は、わからんかった」

秋月は、白くなったタバコの灰を、ぼんやりみつめる。その指先はほんの少し震えている。出血多量で、指先の感覚がなくなってきているのかもしれない。

「こんな戦場に出てきてみたらよ、夜の布団のなかで、昔話を聴いてるような、そんな時間が、いかに幸せ、だったかわかるよ。寒くても、貧しくても、ひもじくても、あれはあれで、幸せだったんだなぁ」

秋月は、最後の一服を吸い、地面にタバコを落とした。

秋月の滲んだ血の上に落ちて、じゅりっと音がする。

「おい、渡邉、頼みがある」

「なんだ、言ってみろ」

「昔話、聞かせてくれねえか」

「昔話?…いや、おれは…無理だ。うちのばあさんは、そういうのがなかったんだ…だから、知らん。…あ、でも、清水、お前なら、話せるよな?」

渡邉は直立不動の清水を見上げて言う。

清水は頷く。

秋月は、何度か頷いて、

「じゃあ、その、清水一等兵、その、昔話を、頼めるか…」

清水は素早く敬礼をする。

「承知いたしましたっ!それでは!自分のふるさとに伝わる昔話でよろしいのでありましょうか!」

秋月が頷く。

「承知いたしました!それでは、失礼して、お話させていただきます!

むかし!むかし!あるところにっ!旅の僧侶の一実坊弁存という旅の僧侶がおったとききおよんでおりますっ!そしてぇ!弁存は、村をまわりっ!」

秋月が蝿をおいはらうように笑いながら手をふる。

「おい、その昔話には、帝国軍人が出てくんのか?どんな昔話だよそりゃ、そんな話し方はよせ、兄弟に語るみたいに、きか、せてくれ…」

「失礼いたしましたっ!」



清水は、昔話を語りだした。


旅の僧侶弁存が、とある村にたちよった。

そこでは、娘を生贄にして、田畑を守ってもらうための祭りが、毎年行われている。

神が若い娘を生贄になどと欲されるわけがないと、弁存は祭りの祭場で、待ち伏せをする。

すると、神の正体が、猿の化け物、狒狒であることをつきとめた。

狒狒は、「信州信濃の早太郎に、このことを知られるな」という意味の唄を唄いながら、娘を食い殺す。

狒狒たちのおそれているものは、早太郎という人だ、と弁存は思った。

弁存は、信州信濃の光前寺にて、早太郎を探し当てる。

が、早太郎は、人ではなく、犬だった。

早太郎は、山にすむ狼、山犬の子。

動きは風のように素早く、そして逞しい。

弁存は、寺の老僧に、早太郎と狒狒退治に行かせてください、と願い出る…









「わたしはね、いまからね、支度をするからね」

老僧は本堂に向けて歩き、、石畳の上で土下座をしている弁存を振り返りながら言う。

「し、支度とは、なんの支度にございましょうか…」

弁存は、不安な面持ちで、老僧を見上げる。

「早太郎はね、お主に染み付いた狒狒を臭いを嗅ぎ取ったみたいだね。

たぶん、奴らが殺したたくさんの娘の血の匂いもね…。

早太郎は、お主と共に行くそうだ。

その、見付天神の狒狒を退治するそうだ。

だからね、わたしは早太郎の旅の支度をするんだよ。

孫のようにかわいがった、からね…さみしいけどね…でも、早太郎が行くって言うんだ…わしが支度しないで、誰が支度をするんだろう。

ほら、桃太郎もご両親が旅の支度を整えたよね、それと、同じだよね」

そして風呂敷に食べ物をいくつか包み、それを早太郎の背中に背負わせました。

そして、早太郎の頭を撫で、顔をしわくちゃにしてにっこりと笑いかけます。

「早太郎、ちゃあんと、帰ってくるんだよ、ちゃあんと、また、おまえの元気な鳴き声を聞かせておくれ、な?約束じゃぞ?な?」

老僧は涙ぐみ、早太郎は頷くように、大きくひとつ吠えました。

「さ、ふたりとも、急ぎなさい。秋祭りまで、時間がないよ」

弁存は老僧に頷き、深くお辞儀をして、早太郎とともに、走って寺の山門をくぐりました。

夕日が、山門の向こうの山々を、花嫁の唇のように、紅く染めています。



「そして、弁存と早太郎は、10日かけて、遠州見付村に、たどり着いたそうです」


秋月は、目をつむって話を聴いている。情景を思い浮かべているようだ。

渡邉も仲村も、話を邪魔しないように、真剣に話に聞き入っている。

密林の木々の間を鳥が鳴きながら飛び抜けてゆき、風が吹いて、大きな葉を揺らす。

葉に宿った雨が、樹上から、さらぱらと落ちてきて、美しい青空が垣間見える。

秋月は、血だらけの腹をおさえている。しかし、圧迫止血はもう通用していないようで、いまはズボンのあたりまで赤く染まり始めている。

清水は、その血をちらりと見て、また話し出す。




「なんと、到着したその日は、ちょうどあの祭りの日でした。

弁存は、狒狒がおそれている早太郎を連れてきた、と村の人々に説明して、狒狒を退治する、と言いました。しかし、村の人達は、弁存の話を聞き入れず、また去年と同じ様に、村の娘を棺に納め、神社に運んで行ってしまいました。

狒狒たちを怒らせれば、来年からは1年に3人寄越せ、と言いだすかもしれまぜん。村人たちが、狒狒に立ち向かうことは、恐怖でした」



弁存は、なんとも言えない悔しく悲しい顔をして、早太郎を連れ、森の中へ消えていきました。





日が暮れると、村の男達が神社に棺を安置して、去ってゆきました。

あたりはまるで洞窟のなかのように静まり返り、鳥や虫の声、風の音はいっさい聞こえません。



神社の森に潜み、弁存は早太郎に言いました。


「早太郎、私があの娘を棺から出して、どこかへ隠す。

お主は、あの棺の中に入り、狒狒たちを待ち伏せしてはもらえぬか。

まさか奴らも、棺の中身が、お主、早太郎だろうとは思わないだろう。その隙きを突く。

奴らが、棺の蓋を開ける。開けたと同時に、早太郎、お主は攻撃を仕掛けてくれ、私も助太刀させてもらう。

今日のこの娘と、何百年先の娘たちを、お主が救うのだ。このような祭りは、今宵で終わりだ。頼む、早太郎、お主だけが、光じゃっ」

早太郎は、不機嫌そうに小さく、ぶおんっと吠えました。

弁存は、早太郎の頭を撫でようとしました。しかし、早太郎は嫌がってその手を振りほどきます。

どうやら、老僧以外に撫でられるのは、好きじゃないようです。

弁存は、寂しそうに、小さく、す、すまん、と言いました。



月がのぼります。

境内が、明るく照らされています。

雲がたなびいてきて、月にゆっくりとかかりました。


境内に墨をこぼしたように暗闇が広がります。


すささささささ ずざざっ


弁存は、境内の真ん中に安置された棺に走り寄ります。


棺のそばで、小さな声を出しました。

「娘よ、聴こえるか。私は、旅の僧、弁存と申す。返事をせずに聴いてくれ。

わたしは、お主を助けたい。

この神社に棲む神というのは、ただのまやかしの化け物、正体は3匹の狒狒じゃ。神などではない。

わたしは、狒狒を退治する早太郎という山犬を連れて参った。お主と入れ替わりに、早太郎をこの棺に納める。

今から蓋を開けるゆえ、声を出すなよ、よいか?わかったら、2回、棺を叩いてくれ…」

弁存は、中の娘が恐怖で気を失っていないことを祈りながら、目をつむり手を合わせた。


雲が晴れる…


境内が明るく照らされる。

まずい…

弁存は棺の影に隠れ、身を小さくする。


「おい、娘、必ず助ける。拙僧を、早太郎を、信じてくれ…頼む…」


弁存はまた目をつむり、手を合わせる。

月に、雲がかかる。

境内が、墨に染まる。



















こつ 



  こつ









棺の中から、小さく、娘の合図が返ってきた。


弁存は、奥歯を噛み締めて、小さく、よしっ、と呟いた。


「よし、ゆっくり蓋をあける、よいか、絶対に声、そして音を出すでないぞ、よいか、開けるぞ…」


音がでないように弁存が蓋をあけると、顔をしわくちゃにさせて声を殺して泣いている娘が棺のなかにいた。

弁存は、ひとつ頷いて、娘の頭をゆっくりと撫でた。

娘は、鼻で荒い息をしながら、両手で口を押さえて、声をだすのをこらえている。弁存は、娘を力強く抱き締めて、棺から外に娘を出す。


白い装束を着せられ、薄化粧を施された14、5の娘。

弁存を見上げて、いまにも泣き出しそうな顔をしている。

弁存は、森のなかに潜む早太郎に、手をあげて合図を出す。




早太郎は、森の中から

すさささ、と翔びあがった。

雲がかかる月夜に、白い早太郎の姿が浮かび上がる。

まるで、星空を駆ける白い犬の星座のように、そう見えた。

娘の泣きはらし、潤んだ瞳に、その早太郎と、星空がうつる。


早太郎は、星空から、棺の中へ、音もなく着地した。

弁存は早太郎に頷き、棺の蓋をゆっくりと閉める。

早太郎の氷のように美しい瞳が、棺のなか、輝いて見えた。




弁存と娘は、音もなく森のなかに消える。

雲が晴れる。

棺が、月に、ゆっくりと照らされてゆく。

音のない、静かな美しい夜。



森のなか若い娘は弁存にしがみつき、弁存は早太郎の入った棺を、祈るように見つめている。

「早太郎、頼む」










ぎぎ






ぎぎぎぎ






ぎしぎし




ぎしぎしぎし





ぎぎぎぎぎぎぎぎ




社から、床板を踏む音が聞こえてきた。

弁存は、体が震えるのを感じた。

昨年の恐怖を、体が覚えているのだ。


弁存は、娘を、茂みに隠す。








ぎぎぎぎぎぎ





ぎぎぎしぎぎぎぎぎぎ






どだどだ






ぎしぎしどだどだどだどだどだ




だだだだだどどどどどどどどどどどだだだどだどだどだどだどだ




だばっだんっ!!!!!!!




本殿の、扉が、勢いよく開かれた。







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