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母の日の後悔

今度の日曜日は母の日ですね。私は毎年母の日になると自責の念で辛くなります。

実は私の母は約二十数年前に階段から足を滑らせ頭を打って重い脳障害を負いました。当時は命が助かるかどうかも分からず、昏睡状態が続き地獄のような日々でした。

脳の損傷がひどかったので、ほぼ盲目で認知能力が大変低く、身体も麻痺が多かったのですが、その後、ゆっくりと植物状態から何年もかけて奇跡的に回復し、日中はなんとか座って食事も摂れ、私達とも辻褄は合わないながらも簡単な会話ができるまでに回復していました。

しかし、2016年夏に溶体が急に悪化し、全く動けなくなり、一日中ベッドで寝たきりで、ほとんど目も開けず口もきけない状態にまたなってしまいました。倒れた直後のような状態に戻ってしまいました。そして、翌年夏にある日突然息を引き取りました。

私はその年も夏には帰国していましたが、日本からアメリカに戻った直後に主治医から電話があり、心拍数と血圧が朝から低いのでどうなるか分からないと連絡があり、その数時間後にはもう帰らぬ人となりました。電話口で母の死を確認することになりました。

ずっと、日本とアメリカを数ヶ月毎に行ったり来たりしながら介護を続けていたので、どこかで必ず死に目には会えるだろうと信じていました。でも、結局は息を引き取る瞬間には立ち会えず、たくさん言いたいことがあったのに何も言えず、次に会った時には静かに眠るように冷たくなった母の姿でした。

私の実家には母が脳障害を負う前年の母の日の写真があります。姉が贈った赤いカーネーションの前で嬉しそうにしている母の元気な姿の写真です。私が写真を撮ったので、この日のことはよーく覚えています。私は毎年母の日には必ずプレゼントをしていた人ですが、なぜかこの年は母に特別なプレゼントをしませんでした。後から何か買ってあげよう!くらいに思っていて、母の日の当日には何もしなかったのです。そしてそのままずるずる日が過ぎて、結局この年は母の日のプレゼントをあげそこなったのを覚えています。カードなどもあげなかったので、もちろん「有難う」の言葉も言えず、そのままになってしまいました。

そして翌年の年明けすぐ、母は脳障害を負い入院しました。母はこの時から母の日が来ても全く分からなくなってしまいました。目も見えなくり、娘の私が誰だか分からなくなってしまいました。

この時になって大・大・大後悔しました。母の日という素晴らしい日があるのに、ちゃんと感謝の気持ちを現さず、母を喜ばすことができなかった自分をひどい娘だと思い、とても悔やみました。

どうしてあの年だけ母の日に何もしなかったんだろう?母がはっきりと物事が理解できる間にどうしてちゃんと「有難う!」って言えなかったんだろう?・・・って、悔やんでも悔やみきれず、毎年母の日が来る度に後悔して悲しくなってしまいます。

結局、母が息を引き取る時もそばにいれず、最後の最後にも「有難う!」って言葉を直接言うことができず、今は遺影を前に「ごめんなさい!」としか言えません。

自分が母親という立場になった今だから、余計に母への思いが増してきますが・・・、もう遅いのです。

お花が好きだった母に、もう一度だけ母の日のカーネーションを贈りたい。できることならもう一度母に会いたい!母の日にちゃんと「有難う!」を言いたい。・・・後悔先に立たずです!

一生、この母の日の後悔は続くと思います。後悔の念をいだきつつ、母への感謝や愛情は、心の中でひっそりと持ち続けていこうと思います。

この記事を読んだ方で、お母さんが元気な方は、私のように一生後悔を背負うことのないように、是非母の日をちゃんと一緒に過ごして「有難う!」を言って下さい。

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