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【連載小説】7. 一歩一歩 / あの頃咲いたはずなのに

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 現場監督の一日は早かった。
 朝六時頃起床し、七時前には家を出る。車で事務所へと向かい、七時半ごろ到着する。スーツから現場作業に着替え、八時に朝礼を行い、業務が始まる。営業部時代よりも多少起きる時間が早くなったくらいだが、朝礼での各現場担当に作業工程を説明する仕事があり、朝の段取りで一日の進捗が決定するため、朝一で気持ちを一気に引き上げるのが大変だった。初期配属が施工管理部で、六年ほどの実務経験があったとはいえ、同じ期間のブランクもあったため、感覚的には、ほぼゼロに戻っていた。

 アミューズメントパーク「ネオランド」の建設にあたって、ウワサ通り、営業部と施工管理部の温度差はかなりあった。「日本初上陸」「最新技術を駆使したアトラクション」という耳障りの良い言葉は、施工管理部には何一つ響いていないようだった。
 異動直後から、マネジメント業務を行えるはずもなく、まずは施工管理業務の感覚を取り戻す時間が必要だった。現場監督のそばについて、各業務の手順を確認する。新卒の頃に戻ったような感覚になった。

「栄転」で異動してきたはずなのに。
 業務をこなすたびに頭に浮かび上がったが、その心配もよそに、ニ週間も経てば、新卒の様な立場から開放され、現場の統括業務に変わった。
「栄転」にふさわしい業務内容だったが、短期間で上辺をさらっただけの知識では、到底対応できるはずもなかった。

「ここもう対応入っていいの?」
「掃除できてないんだけど」
「搬入遅れてんの? これじゃ間に合わないよ」
 段取りの不備で、職人たちの怒号が飛び交う。施工管理部で働いていた若手時代を思い出した。
「渋谷区のマンション建設に関しては、スケジュール通り遂行しており、半年後の納期に問題なく間に合いそうです」
「ありがとう、次。百瀬どうだ」
「は、はい。えー、こちらも概ね順調です。大きなトラブルもなく進行しております」
 波風が立たない返答を意識する。
 新卒のころと変わらぬ知識の千雅は、マネジメント業務をするには、あまりにも身の丈にあっていなかった。これが期待の大きさなのだろうか。期待に答えるというのはこれほど、苦しいものなのだろうか。営業部からの大きな期待が重くのしかかって、今にも押しつぶされてしまいそうだった。

*****

 千雅が家を離れたことで、再び家が広くなった。四人がけの食卓の半分が空席になり、世那と蒼唯が、思う存分スペースを使ったとしても、かなりゆとりがあった。単身赴任直後、千雅の不在を蒼唯はさほど寂しがることはなかったが、日が経つにつれて実感が湧いてきているようだった。一ヶ月経った今では、その寂しさが自覚へと変わり、しっかりするんだという意気込みを表すように、浅くいすに座るようになっていた。

 また、蒼唯は勉強を嫌がらなかった。むしろ好きな方だった。 「がんばりノート」と呼ばれる宿題をするためのノートが学校から支給されており、毎日提出することが決まりになっていた。教科の指定は特に無く、「一日二ページ」が目標になっていた。蒼唯は、算数が好きなようで、学校で習っている足し算と引き算をノートに書くことが多かった。

2+4=6
5―3=2
9―6=3
8+7=15

 片手では収まらない数字の計算もすんなり出来るようになっていた。算数ばかりやることは、明確な理由があった。
 蒼唯は、「百ます計算」に夢中になっていた。百ます計算は、縦軸と横軸に十個ずつ数字が記載され、それぞれ交点に指定された計算方法の答えを書く計算トレーニングだ。
 これを学校で行うときは、いつもタイムを測っていた。先生のスタートの合図と同時に計算をはじめ、終了したタイミングで挙手をし、先生がタイム伝え、そのタイムをプリントに書く。
 この百ます計算に、蒼唯は闘志を燃やしていた。蒼唯は、クラスの五番目くらいで手をあげることが多く、まだ一位になったことがなかった。「7」「8」「9」が計算に入ると、途端にスピードが落ち、同時に周りから聞こえる鉛筆の音に心を乱され、タイムを落とすことが多かった。

 悔しい。胸が苦しい。
 蒼唯は「負ける」気持ちを初めて体験した。
 絶対に一位になってやる。
 がんばりノートを進める原動力になっていた。

「あおい、そろそろご飯食べるよ」
「もうちょっと待って」
 あと三問書けば、がんばりノートの一ページが終わるようだった。学校からの宿題は、一日一ページだったが、蒼唯は四ページ目が終わりそうだった。これは、今日に限ったことではなく、ほぼ毎日目標を大幅に達成していた。世那は、蒼唯に一度も勉強を強要したことがない。優等生な娘を見て、ほっと胸を撫で下ろしていた。
 がんばりノートのページがいっぱいになったところで、達成感を放出するように、勢いよくノートを閉じた。勉強で得られる達成感を、小さいうちから喜びと感じ、そこに向けて努力をすることができる娘を誇りに思いながら、世那は食卓に料理を並べた。
 今日の献立は、ピーマンの肉詰め、豆腐の味噌汁、きんぴらごぼう。二人にしては広すぎる食卓で、向かい合いながら、手を合わせた。

「ちょっと、ちゃんとピーマンも食べなさいよ」
 慣れた手付きでピーマンを剥ぎ取る蒼唯に注意をする。すっかりミニハンバーグに変わっていた。
 ピーマンの肉詰めは、百瀬家では定番メニューになっていたが、その度に蒼唯は、ピーマンを剥ぎ取り父の皿に乗せていた。  
 父は、ちゃんと食べなきゃだめだろと、覇気の無い口調で言いながら、蒼唯からのピーマンを自分の肉詰めに重ねて、頬張った。端から見ると、もはや小ちゃなピーマンを丸々食べていると錯覚するほど、肉が見えなかった。
「だって、苦いんだもん」
「頑張って食べなさい。パパいないからピーマン渡す人はいないんだよ」
「じゃあ、ママにあげる」
「ママはね、今日はピーマンが食べられない日なの、ピーマンを食べるとね、体が緑になってしまうの」
「自分のは、食べてるじゃん」
 世那は子供騙しに適当にあしらってみせたが、蒼唯はかなり冷静だった。我が娘の頭の良さが仇となった。
「じ、自分のは大丈夫なの。他の人のピーマンのは食べるとだめなの。ほら、つべこべ言わないで食べてみて。美味しいよ」
 蒼唯は、世那の目をじっと睨みつける。世那は、あまりの視線の鋭さに思わず目をそらし、右側にあるティッシュを不必要に三枚取った。ティッシュに目をやっても、痛いほど強い蒼唯からの視線が左頬に焼き付く。世那も意地になって目線をティッシュから離さず、硬直状態が続いた。
 しびれを切らした蒼唯は、深くため息をつき、仕方なく剥ぎ取ったピーマンを、ミニハンバーグの上に乗せ、不満げに頬張った。

「どう? おいしいでしょ? ね?」
 世那は、美味しいという感想をカツアゲしようとした。
 蒼唯はゆっくりと咀嚼していく。なかなか感想を言わず、沈黙が続いた。
「にがくない、たべれる。おいしい」
 蒼唯は顔をあげ、小さくつぶやいた。そして、別のミニハンバーグにピーマンを重ね始めた。
「でしょ、美味しいでしょ、蒼唯すごいじゃない」
 娘への称賛と、自分への誇りが入り混じり、世那は声が大きくなった。そして満面の笑みを浮かべた。
 蒼唯はどことなく晴れやかではない表情を浮かべながらも、ピーマンを克服した小さな達成感を、ピーマンとともに噛み締めた。

「ただいまー」
 玄関から懐かしい声がした。母と蒼唯は同時に玄関の方を見て、お互いの顔を見直し、一緒に玄関へ向かった。
「おかえりなさい」
 蒼唯と世那は笑顔で、千雅を出迎えた。蒼唯は、すぐさま父の腰に抱きついた。千雅は両手の荷物を地面におろし、右手で蒼唯の頭を撫でた。世那も蒼唯にかぶさるように、抱きついた。父は驚きの表情を浮かべながらも、左手で世那の頭も撫でた。

「ね、パパ。ピーマン食べられるようになったんだよ」
 蒼唯はそう言いながら、力強くフォークを持ち、脇を開け、堂々とピーマンの肉詰めを食べた。世那は苦笑いを浮かべながらも、対等に戦うべきではないと思い、静かに見守った。千雅は、蒼唯の成長を、優しく頭を撫でて讃えた。千雅の表情には、嬉しさの中にもどことなく物寂しさが混じっていることを、世那は瞬時に感じ取った。
 一ヶ月ぶりの千雅の肌は、こんがりとしていた。内勤の営業職から再び現場仕事に戻り、日々奮闘していることが見て取れた。
「ご飯食べた?」
 キッチンに向かって歩きながら、世那が尋ねる。
「軽く食べてきたんだけど、せっかくだし食べようかな。蒼唯が ピーマンを食べられるようになった記念日だしね」
 言い終わるときには、蒼唯の目を見て答えていた。蒼唯は笑いながら、再びピーマンを頬張った。世那は千雅の夕飯を準備しながら、蒼唯のオンナとしての成長の著しさを実感した。

 夕飯を食べ終わると、蒼唯は千雅にがんばりノートを見せた。
 今日は四ページ埋めた、三冊目に入ったのはクラスで自分だけだと、目一杯自慢をし、久しぶりに甘えた表情を浮かべた。世那は、少し胸が締め付けられるも、千雅の偉大さを改めて感じた。千雅は、娘の頑張りを存分に讃えてあげた。やはり、その様子には何か物寂しさが宿っているような気がした。

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読書が苦手だったからこそ、読みやすい文章を目指して日々励んでいます。もし気になる方がいらっしゃいましたら、何卒宜しくお願い致します。