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【連載小説】8. 三人と観覧車 / あの頃咲いたはずなのに

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 千雅は単身赴任中でも、絶対に欠かさないことを三つ掲げた。「蒼唯の誕生日を祝う」「運動会に参加する」「年に一度家族旅行に行く」
 どんなに忙しくなったとしても、これだけは欠かさない。千雅は強く言い切った。大黒柱としての威厳を感じさせる宣言は、百瀬家に圧倒的な安心感をもたらした。
 この三つのイベントは、八月(家族旅行)、九月(誕生日、運動会)に集中していた。そのため、単身赴任が始まって、約ニヶ月でご褒美が押し寄せた。

 家族旅行は、父の都合に合わせ、場所は東京になった。旅行のプランには父母の意向も組み込まれ、国立競技場でサッカー観戦をすることになった。
 蒼唯は、割れんばかりの歓声に少々怖気づいているようだったが、ゴールが決まった瞬間から楽しさに変わったようだった。父と母は、すっかり「千ちゃん」と「せな」に戻っていた。全国高校サッカーの聖地である国立競技場には、箸にも棒にもかからないほどの実力だったが、三年間懸命に練習に励んだことには変わりなかった。

 あの頃の淡いわたしたちに、蒼唯が溶け込んでゆく。時間軸の錯覚が興奮を増幅させた。
 ホテルに戻っても、蒼唯はサッカーの応援スタイルが抜けず、ベッドの上で飛び跳ねながら歌い続けた。シングルベッド三つをくっつけて一つにしていたため、サッカー場での真上ジャンプではなく、ダンスをするかのように縦横無尽に飛び回っていた。

「やーめなさーい、ベッド壊れるでしょー」
 世那が弱い力で注意をする。母だとしっかり注意できていただろうに、ホテルに戻っても、あの頃のままだった。千雅に至っては、椅子に座ってビールを飲みながら、注意をするどころか、蒼唯のジャンプと同じリズムで頷いていた。

 次第に蒼唯の勢いは衰え、軋み続けていたベッドも音を立てなくなった。大浴場で普段より何倍も大きいお風呂での犬かきで、最後の力を使い切り、部屋に戻るとすぐに眠りについた。
 父が不在で家の布団もゆとりはあったが、今日の蒼唯は広いベッドに対する喜びを表現するかのように、手足を蜘蛛のように広げていた。

「蒼唯、ぐっすりだね」
 蒼唯の掛け布団を整えながら、世那が囁いた。
「大はしゃぎしてたもん、そりゃ疲れるよ。世那も飲む?」
 千雅が冷蔵庫から缶ビールを取り出す。世那は笑顔で頷き、ベッドの向かい側にあるソファに二人で腰掛け、小さく乾杯をした。
「二人でこうやって飲むのも久々だね」
「そうだな。ごめんね、家のこと任せっきりになっちゃって。なんとかサポートできればとは思っているんだけどさ、なかなか出来なくて」
「いいの、いいの。今は仕事に集中して。あ、でもこれは貸しだからね。タダじゃないです」
 世那は足をあぐらに組み換え、千雅に近づいた。千雅はちらっと世那の方を見て、大きめに喉を鳴らしながらビールを飲んだ。

「今年は、観覧車乗れたら良いんだけどなー」
 体育座りの膝の上で、両手で缶ビールを持ちながら、言葉を落とした。
「どうだろう、去年は結構怖がってたよね、乗れるといいけど」
「三人で乗れたら、めちゃくちゃ幸せだと思わない⁈」
「そりゃ思うけどさ、無理なものは無理だからねー」
「そうだけどさー」
 世那は缶ビールを持った手を下ろし、膝の上に顎を乗せ、いじけるように呟いた。
「三回だね。三回乗ってみて、ダメだったら諦めよう。だから、あとニ回」
「うん、そうしよう。乗れますように」
 世那は缶ビールを机に置き、両手をくっつけて、向かい側で寝る蒼唯に向かって念じた。その様子を見て、千雅も真似るように、念じた。

 そんなことは露知らず、蒼唯は相変わらず蜘蛛の形をしている。
「ね、世那」
「ん?」
 世那が振り向くと、千雅は覆いかぶさるように近づき、唇を重ねた。千雅はすぐに体重をかけていくが、すかさず舌を滑り込ませ、世那も応戦する。手の動きも大きくなっていく。父と母の顔がすっかり板についている二人は、あの頃とは違いベッドの蜘蛛の様子を伺っていたが、互いに唇を離そうとはしなかった。父母である以前に、夫婦だ。お互いにそう伝え合うように、少ない夫婦の時間を全身で感じていた。

 「父」がいると「川」の字で寝ることが出来る。
 千雅がいて初めて、百瀬家は動き出し、穏やかであたたかな時間が流れていく。ただ、今日は少しの間だけ、世那が蒼唯と千雅の間に入った。もう少し夫婦の時間を味わいたい。お互いのシングルベッドで寝ていた大学生の頃を思い出すかのように、身を寄せ合った。「川」というよりは、電波を発信しているようだった。父母である以前に、夫婦なんだ。夫婦のパワーに圧倒されたのか、伸ばし疲れたのか、蜘蛛は少しこじんまりしていた。

 頭を最大限上に向ける。相変わらずの壮大さに、一年前の恐怖を思い出しているようだった。
 おとなニ枚、こども一枚。券売機でチケットを購入し、列に並びながら、その時を待つ。夏休みに加えて東京という立地のせいで、待ち時間は去年よりも遥かに長かった。蒼唯はどんどん口数が少なくなった。同行が開き、観覧車以外の情報は何一つ受け入れず、真向から対峙していた。

 今回のゴンドラも、窓からの景色だけでなく、地面からの景色も眺めることが出来た。蒼唯は、ゴンドラに乗るやいなや、絶対に足をつけないよう椅子に小さく縮こまり、目を力強く手で抑えた。去年よりも瞬殺だった。今年もだめだった、チャンスは残り一回。父母から懸けられている期待など知る由もなく、力強く抑えられた目は真っ赤な跡がついていた。
あっという間に過ぎ去った家族旅行を終え、千雅を残し、世那と蒼唯は東京をあとにした。

 千雅がいない家は、やはり広い。心にもぽっかりと穴が空いた。
 しかし、あと一ヶ月もすれば誕生日が来て、その後二週間ほどで運動会がある。
 蒼唯は父と過ごせるメインイベントが立て続けに待ち構えてる安心感から、それほど寂しさを感じていないようだった。

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読書が苦手だったからこそ、読みやすい文章を目指して日々励んでいます。もし気になる方がいらっしゃいましたら、何卒宜しくお願い致します。