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芥川龍之介『仙人』との出逢い

本棚に整然と並んでいる書物の中に、
それは佇んでいる。

読みすぎてボロボロになった表紙は、
まるで殴られ過ぎたボクサーの顔みたいだ。

この作品に出会っていなければ、
もしかしたら、今考える自分はいないのかもしれない。

ともすれば、
一言では片付けられない思いだ。


芥川龍之介が描く作品はどれも好きだ。

その中でも一番読んだ作品は、実は
『仙人』ではなく『羅生門』だったが。

この『仙人』という作品との初対面は、
活字や書物ではなく、映像、ドラマだったことで、具現化されて今も強烈に心に残っているのかもしれない。


映画やテレビが好きなこの遺伝子は、
『世にも奇妙な物語』
これが昔から好きだった。

なぜか理由はわからない。自分でも。

そのテレビの中で
『仙人』はそのまま映像化されていた。
それを初めて観た時は『世にも奇妙な物語』が作ったストーリーだと思っていた。

なんなら、ストーリーテラーのタモリさんが
作ったのか?とも、幼き心は思ったかもしれない。

観終わった瞬間は、
鈍器で頭を殴られた感覚だったな。

まさに『世にも奇妙な物語』だったのだ。

その原作が、後に芥川龍之介作品だということを知り、近くの本屋さんで買ってきたその書物を、繰り返し繰り返し読み耽った。そう長い物語ではないから、繰り返し読めてしまうのだ。

それが『仙人』と自分との出逢いであったことは、言うまでもない。

この物語は「夢を叶える」とか「努力する」とか、そんな簡単な表現で表せるものではなかった。

自分の中で、言葉にできないのだ。

物書きが書くことが出来なくなったら
「書けない」ということを書けばいい、
ということを何かで読んだことがあるが、
表現としてはそれに近い。

『仙人』になれるかなれないかは
自分の気持ち次第だということを、
あの時の自分は強く思った。

自分が何者になりたいかという気持ちは、
人生におけるとても重要な気持ちなんだと
思う。

人生というストーリーを歩んでいく上で
その生き方を決定付けるものになるからだ。


芥川龍之介。
名前からして何やらカッコいいけど、
それら全ての作品がイケメンだ。

「文学」というものの真髄が沁み渡ってくる。


そして先に出てきた『羅生門』。
これは記憶を辿り高校時代まで遡る話だから、その話は、機会があればまた別の時にすることにする。



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