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取り締まって。

私は、机にかじりつくようにして書く、書く、ひたすら、書く。
その書いた先の英語の文章ではなく、書くというその行為が、私をここからスッと違う世界へ連れて行ってくれるかのように。まるで幽体離脱でもするように。

実際そんな感じなのだ。あの時は。


私は中学3年女子、周りからは可愛いとよく言われるけど、たしかにこの小規模学校の中で私が1番、アイドルのような可愛らしさがあるのは自覚している。告白してくる男子はことごとく振ってきた。全く、興味がないからだ。
というか、今考えればそういう、恋愛に浸る気持ちになれる余裕がなかったのかもしれない。

受験生。私には将来の夢がある。警察官だ。
正しいことを正しいと、間違っていることを間違っていると指摘して相手が頷かざる得ない職業として、私は尊敬しているし憧れている。

私を嫌っている同じ卓球部の気が強い女子が、私の事を嫌いな理由を他の部員に言ってたのを、嫌がらせのようなにんやりした顔で教えてくれた。あなたは、あなたのそのにんまり顔に少しも違和感を感じないのだろうか。私に向けているその醜い顔を右手で握り潰してやろうかと思った。

「なんか一生懸命でキモくない?ただのぶりっ子じゃんあいつ」

だそうだ。

あんまり気にしているつもりはないけど、私は確かに勉強だけでなく、部活にも手を抜かない。勉強は努力でどうにかなるが、私は運動は得意じゃなくて、練習の割にはできていないはずだ。一生懸命でキモいのかもしれないが、ぶりっ子とはなんなのだ。自分のミスや部員のミスに、周囲が暗くならないようにと声を張ることが、あの子にとっては、ぶりっ子なのだろうか。わからない。


学校に気を許せる人がいたことがない。
休み時間や昼休みは勉強しているか、小説を読む。声をかけてくる子もいるが、面倒だと思う。
思春期の女子特有のもの全てが苦手だ。

私の唯一の理解者は母だった。2人でずっと生きてきた。

母は、とても気を使う人だ。そして誰よりも働き者で、仕事も家事も育児も徹底してきた人だ。
ただ、ガラスの心の持ち主だったのだ。
母は、今現在隣町の精神病棟で入院している。


私は母方の祖母の家で、祖父と3人で暮らしている。もうこの生活が続いて一年になる。

半年前から私は、夜、気がつくと記憶がないことがある。そして右手にはカッターと左手首にはいつも数本の赤い線が入っていた。流れる赤を、目で追っていると、ふと意識を取り戻す。が、いつから記憶がないのかも思い出せないほどになっている。

祖父母は、駆け落ちした母のことをよく思っていなかった。
私に対しても同じことだ。

私はホテルに1人で泊まっているような感覚に陥るほど、祖父母と同じ家で同じ空気を吸っているはずなのに、空間を仕切られているような、孤独と圧迫感を感じた。

自然、自分の部屋に閉じこもることが増えた。

ある日学校で事件が起こった。
ある女の子の靴が片方無くなり、発見されたその靴はガムテープでくるまれ、内側は泥まみれだった。
犯人は、分からなかった。
担任や学年の先生、全職員でアンケートを取ったり聞き取りしたりして、なんとか情報を掴もうとしていたようだが、結局ダメだった。

警察に届けは出したようだが、それでもダメだったのだろうか。

その子は次の日から学校を欠席した。

私は、その子が周りの女子に嫌われていることを知っていた。その靴事件がある数日前、彼女が慌てた様子でトイレから出てくるところを見かけた。トイレを覗くとニヤニヤした女子が数人いた。あいつらだろう。


解き明かしてくれる人は、いないのだろうか。ダメなものはダメだと、神様がしっかり修正をしてくれればいいのに、ボールペンで書いたスペルの違う英単語を修正するように、一瞬で。

母と会えるのは、日曜日の午前中だけだ。母の精神を保てる時間はそんなに長くはない。そのほんの短い時間でも、母がベッドから動けない時は、キャンセルされる。私も、会えないのは寂しいけれど、母に無理はさせたくない。


祖父母は母に会おうとはしない。入院費用は出してくれているようだが。


私は、母の為に、強くなる。私が孤独や不安に負けず、人に頼らないことが、将来の夢を叶えることになり、それが母のためになる。

だから私はひたすら書く、書く、書く。
気がついたら、記憶がない日があっても。
気がついたら、手が赤で染まっていても。
気がついたら、涙が出るほど不安な夜も。
気がついたら、孤独で押し潰されそうになる夜も。


だから待ってて。夢はきっと手に入れるから。将来の私。将来の大好きお母さん。

お母さんとまた暮らせるようにするからね。


私には夢があるという希望がある。

そして、たまには良いこともある。
今日、生理痛が酷くて保健室に行った。
授業を抜けるのは避けたかったが、堪らない痛みだった。

保健室の先生は、おそらく20代半ばくらいだろうと思う。挨拶程度しか関わりがなかった。保健室に行くのは初めてだった。

ベッドに横になった私に、毛布をかけて湯たんぽをお腹に当ててくれた。
季節は夏。保健室はエアコンが効いてて涼しかったが、生理痛を抱える私には寒さを感じるほどだった。「寒いでしょ?熱中症の子も来たりするから結構キンキンにいつも冷やしてるのよね。」と言って、毛布をもう一枚追加でかけてくれた。子宮の痛みが、湯たんぽの温かさで和らいだのか、気がつくと眠っていた。目が覚めると、起き上がり、先生の方を見た。先生はニッコリして、「相当疲れてたのね、いつも頑張ってるからね。担任の先生もさっき様子を見にいらっしゃったけど、あまりにも爆睡してるもんだから、もう少し様子を見ましょうって。2時間も眠ってたのよ。」と言いながら、私が座るベッドの方へ近づいてきた。そして、私の左手をそっと手を添えるよくにして持ち上げた。そして「先生、さっき少し見えちゃったの。先生に消毒させてくれないかな。」真っ直ぐに見つめてくる先生の瞳を見ると、拒否しようという気にはならなかった。
先生は、消毒をして手首に包帯を巻いてくれた。処置をする間、先生は何も言わなかった。
包帯を巻き終わった先生は、両手で私の左手首をそっと包むとこう言った。
「頑張ることは凄いことだし、大事なこと。でもね、自分をこうやって削るくらいきつい時は、誰かに頼ることも必要なの。そっちのエネルギーも必要だよ。あなたの辛さを十分理解できるかは分からないし、同じようには思えないかもしれない、だけど、理解しようとしてくれる人はいるから。先生や担任の先生は少なくとも、あなたの話を聞くから。何かできることがあれば、させてほしい。力になれればと思う。」

真っ直ぐに見つめてくる先生からは、やはりその言葉に抵抗しようとする気持ちは湧かなかった。

その日の給食は、保健室で先生と一緒に食べた。
先生は、あの言葉以上に、何かを言うことはなかった。それが心地が良かった。
他愛もない話をしていると、食べ終わる頃にはお腹の痛みは引いていた。

それからは、先生と、私は週に一回放課後に話すことになった。

最近、お母さんの事情を話した。先生は質問は少なめで、私の話をよく聞いてくれた。


そのちょっとした時間で、私はかなり心にゆとりができているようだ。

頼ることが必要

それを理解してきている自分もいる。


夢を叶えたいんです。
と言った私に、
「あなたは絶対叶えられる。強い意思があるから大丈夫。先生だけは悪いことしても見逃してね、なんちゃってね。ちゃんと先生を取り締まって!!」と笑った。


私は没頭する。書く、書く、書く。
気づけば、夜、記憶がない日も少なくなってきた。自分の血を見ることも極端に少なくなった。


私は大丈夫だ。お母さん。




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