見出し画像

書籍「それでも人生にイエスと言う」

ヴィクトール・エミール・フランクル著の「それでも人生にイエスと言う」。
ずっと気になっていた本ですが、やっと手にとることができました。
読めば読むほど、知れば知るほど、こういう立派な人が世の中にいる、いた、という事実に救われる気がします。

本書の概要
ウィーン生まれの精神科医である著者は、ナチスにより強制収容所に収容されます。
ホロコーストを生き抜き、解放された翌年に、その体験と思索を語った講演集がこの本。
「夜と霧」と同様、世界中で翻訳され、読み継がれています。

「人生とは何か」「何のために生きるのか」という、誰もが常に抱えている疑問。
特に病気になったとき、逆境にあるとき、苦悩に満ちた日々を過ごすとき、この疑問はいっそう私たちの頭から離れません。

でも、無意味感、空虚感、病気、障害、苦痛、すべてを超えて、人生はそれだけで価値がある。
そう心から納得させてくれる本でした。

心に留めたい金言の数々

素敵な考え方やなあ、忘れたくないなあと思う箇所がいくつもいくつも出てきます。
そのうちの一つがこちら。

「私は人生にまだなにを期待できるか」と問うことはありません。「人生は私になにを期待しているか」と問うだけです。
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、「人生の問い」に答えなければならない、答を出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。

私は普段から、「生きることに意味はない、とにかく生きて、幸せな経験、素晴らしい経験をできるだけたくさんして死んでいく、それだけのこと」という考えで生きています。

上記の著者の考え方は、生きる意味を問わない点は同じでしたが、人生が自分に問いを出していて、それにたえず答えていくのだという視点は新しく、同時にめちゃくちゃ腑に落ちました。

病気や苦悩のまえに、人生が無意味で無価値なものに思えたとしても、それは人生からの問いの一つであり、どう答えるか?行動するか?が期待されているんだと。

もう一つ、フランクル先生の金言をどうぞ。

けれども、人生に重みを与えているのは、ひとりひとりの人生が一回きりだということだけではありません。一日一日、一時間一時間、一瞬一瞬が一回きりだということも、人生におそろしくもすばらしい責任の重みを背負わせているのです。その一回きりの要求が実現されなかった、いずれにしても実現されなかった時間は、失われたのです。「永遠に」失われたのです。
しかし逆に、その瞬間の機会を生かして実現されたことは、またとない仕方で拾われて現実になったのです。(中略)
私たちが死んでもなくならないもの、私たちの死後もこの世にのこるものは、人生のなかで実現されたことです。それは私たちが死んでからもあとあとまで影響を及ぼすのです。私たちの人生は燃えつき、のこされるのは、実現されたものがもっている効力だけです。

一瞬一瞬が、自分の「答え」であり、あらゆる選択肢のうち一つだけを選んで実現させたものになる。
逆に、それ以外の選択肢は永遠に失われていく。
それに気付くと、震えるほど自分の選択の責任は重いですね。

今の自分の行動は、人生から提示された問いに対する自分の「答え」なんだ、「答え」が積み重なって自分の人生になっていくんだという自覚を持ちたいもんです。
一瞬一瞬、大事に生きよ。ほんまに。

強制収容所や患者たちとの具体的なエピソード

この本が面白いのは、単なる哲学書、精神論の話ではなく、著者が実際に体験してきた数々の具体的なエピソードが語られるからです。

特に強制収容所の話は、想像を絶する体験ですが、同時に、心のもちよう、ものごとの捉え方で、人間は強くいられるんだということを教えてくれます。

ただ、彼がホロコーストを生き延びたのは、ついつい偉大な精神科医だからで、気高い心を持っていたからだと思いがちですが、こんな一文がとても印象的です。

強制収容所の実体験がないみなさんのおおくの方は不思議に思われることでしょう。お話ししたようなことすべてに、そもそもどうして人間が耐えることができるのかと私にきかれることでしょう。ご安心ください。すべてを体験し生き延びた人間自身が、あなた方よりずっと不思議に思っているのですから。

いつ死んでてもおかしくなかったけど、なんだか知らない間に生き延びていたという感覚なんかな、と、先生の言う通り安心しました。
それでも、解放後に恐ろしい実体験を丁寧に語り、数多くの人を励まし、癒したフランクル先生の奇跡的な生還は、世界へのプレゼントですよね。

なぜ人間は恐ろしいことができるのか

この本を読んで改めて思ったんですが、
なんで人間は、人間の集団は、戦争するんでしょうね。
最近のニュースを見てても、毎日のように思います。
「なぜこんなひどいことをするのか?」

歴史的な背景、譲れない領土、宗教的な争い、色々な要素が絡み合っていることは記事を読んだり解説動画を見たりして、納得したような気持ちになるんです。
が、やっぱり根底のところで、「だとしても、戦争ってしないほうがよくない?」という小学生みたいな疑問がまた出てきます。

小学校~高校のあいだで、頭では「やらないほうがいい」と分かっているのに、なぜか友達を無視してしまったり、仲間外れにしてしまったりすることと同じなんかも。
私にも身に覚えがありますが、今でもその時の動機とか感情、何を思ってそんなことをしたのか、よく分からん。
それと似てるんかな…


とりとめもない雑感にお付き合いいただき、ありがとうございました。
ちなみに、この本の冒頭はわりと哲学的な要素多めで、若干進みにくい。
ので、具体エピソードとか興味をそそられるところからパラパラとめくっていくのもおすすめです!

「夜と霧」も読まな(読んでないんかい)



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?