市谷 聡啓 (papanda)

白と黒の誘惑 https://ichitani.com/

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    組織を芯からアジャイルにする

    市谷聡啓
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    デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー 組織のデジタル化から、分断を乗り越えて組織変革にたどりつくまで

    市谷 聡啓
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    正しいものを正しくつくる プロダクトをつくるとはどういうことなのか、あるいはアジャイルのその先について

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    カイゼン・ジャーニー たった1人からはじめて、「越境」するチームをつくるまで

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    チーム・ジャーニー 逆境を越える、変化に強いチームをつくりあげるまで

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「アジャイルなプロダクトづくり」

 プロダクトづくりには2つの状況がある。何もない、ゼロから臨む場合と、すでにあるプロダクトをより良くしようとする場合とで。いずれの場合にも、「何が正しいのか?」に答えるための仮説検証と、作りながら確かめていくアジャイルの二刀流で臨む必要がある。  ただ、指す言葉は同じでも、「ゼロから」と「すでに」で適用する方法は変わる。置くべき焦点が異なる。そうした文脈の違いを捉えながら、どのようにしてアジャイルにプロダクトをつくるのか。ここを語るための本を書いた。文字通り「アジャイルなプ

    • 「PdMO」と「アジャイルなプロダクトづくり」

       最近、熱をあげているプロダクトマネジメントオフィス(PdMO)についての勉強会を開いた。考え自体は、もう数年前からパブリッシュしているものだが、ここにきて「PdMOに向き合わない日はない」という状況になっている。価値創出と組織変革の2つの文脈が交わるという点で、かつ現代組織が抱える負債をいなしつつもプラクティカルに取り組めるという点で、私と周辺にとっては欠かせないものになってきている。  例によって、ここ数年の取り組みから一定の蓄積が得られてきたので、言語化しはじめている

      • 「アジャイルなプロダクトづくり」 を現場、組織に。

         9月4日に「アジャイルなプロダクトづくり」を上梓した。この本を作るにあたってのインセプションデッキがこちら。どのような本をおおよそどう作ったかを書き著してみた。  さっそく、ご感想もいただき、大変感謝の限りです。  皆様、ありがとうございます。  デッキにも書いている通り、この本には「ストーリー」がある。まとまったストーリーを書くのは2020年の「チーム・ジャーニー」以来で、気がつけば4年ぶりであった。  「正しいものを正しくつくる」を「カイゼン・ジャーニー」のよう

        • 進捗マネジメントではなく、プロダクトマネジメントを始める

           何をマネジメントしたら、成果に辿り着きうるのか?  これまでの仕事のやり方と、今期待されている仕事のやり方、この2つの間にある大きな違いについて、気付くための問いだ。さらに、この問いの背景には、成果そのものの意味が異なる、という事実が存在する。  成果とは何か?  この問いに向き合うたびに、ドラッカーの顔を思い浮かべてしまう。シンプルながら突き詰めて答えようとすると歯ごたえのある良い問いだ。  決められた期日に、予定されたコストで、必要とされるアウトプットを揃える。

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        「アジャイルなプロダクトづくり」

        マガジン

        • 組織を芯からアジャイルにする
          154本
        • 正しいものを正しくつくる
          143本
        • DevLOVEのノート
          157本

        記事

          プロダクトづくりの「芯」にある、2つの約束事とは何か

           私達はなぜプロダクトづくりをしているのだろう?  その理由は人によって様々だと思う。ユーザーに価値を届けるために。ビジネスの成果をあげるために。そもそもつくるということが好きだから。チームで一つのことを実現していくでワクワクしたいから。どれもその人にとっての原動力に足ることだろう。  私は、プロダクトとソフトウェアという言葉を使い分けるようにしているが、ここでいう「プロダクトづくり」はいずれも含めている。取り組みによっては、単一のプロダクトに焦点をあわせるよりは「事業」

          プロダクトづくりの「芯」にある、2つの約束事とは何か

          プロダクトオーナーに情熱は必要か?

           プロダクトオーナーに情熱のようなものは必要だろうか? 何とはなくそんな会話があり、少し考えた。  深く考えなければ、それは当然に必要だろう、という答えに辿り着く。「プロダクトオーナー」という言葉の背景には、プロダクトづくりのリード役としてのイメージがちらついてくる。より、文脈から解放されて想像するならば、アントレプレナーシップのようなイメージも想起される。プロダクトオーナーにはどこか起業家的気質があってしかるべきとみなしてしまう。  実際にはどうだろうか。インハウスで、

          プロダクトオーナーに情熱は必要か?

          アジャイルのつもりでいてアジャイルでない、「つもりアジャイル」

           なんか違うアジャイルチームのイメージを4つほどあげてみる。 アジャイルの手順化 2週間に2時間だけのチーム バックログ空焚き問題 アジャイル風味のWF  アジャイルのつもりでいて、アジャイルでない。つもりアジャイル。  「アジャイルの手順」とは、プロセスやプラクティスの「定義」に固執し、結果的に「手順」として見てしまっている。その結果、手順としてあっているかどうかの評価が優先的になる。この流れから、アジャイルをプロセスとして厳密に定義しようとしてしまう(アジャイ

          アジャイルのつもりでいてアジャイルでない、「つもりアジャイル」

          4年ジャーニー

           新たな、しかし、最後になるであろう旅を始めている。いつぞやから始めた長年日記(ほぼ同じ日を1年タイムボックスで記す)も、残すところあと4年となった。  ちょうどオリンピックが開催しているらしい(テレビがないため、様子は流れてくるニュースでしか知らない)。あと4年といえば1オリンピックになる。ひと仕事をするにはギリギリの残余時間と言える。だから、本当に、最後のトライ。  23年3月に終えた、組織の中のひと業を、再び始めた。  過去のジャーニーを遡れば、組織のかなり地下深

          ドラッカー風エクササイズC面

           ウェルビーイングについて調べていると、「わたし」と「わたしたち」の概念にぶつかっていく。そこで、自分とチームという対比だけではなく、「わたし」と「チームの中における "わたし"」という見方があることを示唆される。「わたし」も「チームの中における "わたし"」も、自分のことである。ただ、どこから見るかによって、自分から分かることが異なる。  アジャイルにドラッカー風エクササイズというプラクティスがある。このプラクティスを冷静に読むと、「わたし」の表明に終始していることに気づ

          ドラッカー風エクササイズC面

          いつ、自分の考えや判断が「正しい」と、評価できたのか?

           この人とは意見がいつも合わない。どう考えても、自分のこれまでの知見に照らし合わせると、こちらのほうが可能性があると思うのだけど。そこが相手に伝わらない。もう1年か、何年か前に自分は辿ってきた既出の話なんだよ…。もう、いい加減分かってくれないかな。時間がいくらあっても足りない。  と、思うことはあると思う。私も、よくある。一方で、この話の結論を先に述べると、 いつ、自分の考えや判断が正しいと、評価できたのか? (本当に、自分の考えや判断が正しいを評価できるのか?) この

          いつ、自分の考えや判断が「正しい」と、評価できたのか?

          「ウェルビーイング」と「アジャイル」

           先日、渡邊淳司さんと「ウェルビーイング☓アジャイル」というテーマで対談を行った。とても示唆があり、充実の2時間を過ごすことができた。この模様は渡邊さんが手掛ける冊子にまとめられる予定になっている。同時に、私も気付かされるところを言語化していきたいと思う。  渡邊さんの「ウェルビーイングのつくりかた」を読んでいると、だれのウェルビーイングなのか?という問いをもとに、わたし、ひとびと(三人称)、わたしたちという分けが提示される。このわたし、わたしたちをどう捉えるかがウェルビー

          「ウェルビーイング」と「アジャイル」

          「Do」でも「Be」でもなく、「BeCome」なアジャイル

           「アジャイル」と言った時に、それは「アジャイル開発」のことなのか「事業開発のためのアジャイル」なのか、「開発以外も含めた仕事の進め方としてのアジャイル」なのか、それとも「組織運営のためのアジャイル」なのか、引き続きちょっとした混乱がある。  「アジャイル」を抽象的概念(すなわち「探索」と「適応」)として見直したとき、それはあらゆる営みに通じるものになる。ゆえに、先のどれにでもあてはまる。ここがどうしても他者と、チームと、組織と、理解をあわせづらい。  「構成概念」とい

          「Do」でも「Be」でもなく、「BeCome」なアジャイル

          チームや組織の意図を表す「一枚デッキ」

           チームや組織に必要なものは沢山ある。  目的や目標、つまり目指しているものが明確になっていなければ、先の見えない試行錯誤の時間が長く続くだろう。仕事を果たすために、専門性や経験が問われる。集団で何かを実現しようというのだから、うまく機能するための動き方も要る。  だから、こうした観点を補強しようとチームや組織としての改善の営みは果てしなく続いていく。改善のためのアイデアやナレッジは渇望され、重宝され続ける。  近頃、特に必要性を感じることが一つある。それは、「意図を表

          チームや組織の意図を表す「一枚デッキ」

          なぜ、アジャイルには「手順書」がないのか

           やり方とかプロセスとか、作法とか、私達の仕事を助けるものは沢山ある。そういったものを総称して「型」と呼んでおく。  「型」を使えば、うまく仕事ができるようになるかもしれない。「型」が分かるようになるために、ガイドを作ったり、レクチャーを受けたり、練習してみる。  ここで2つの問題がある。「型」を使いこなせない、そして「型」を使っても成果があがらない。この2つは混在しやすい。「型」に意味がないかどうかは、使いこなしてからの判断だ。  さて、苦労して「型」に合わせることが

          なぜ、アジャイルには「手順書」がないのか

          スプリントの回転の中で実現しているのは、「価値」か、それとも「進捗」か

           アジャイルで各種定義されていること、例えばスクラムイベントやバックログといった概念で、何を実現しているのか、そこにどんな意味があるのかを考えてみよう。  さっそくイメージにしてみる。 リファインメントで行っていること  プロダクトバックログとは一体何か。そこでリスティングされるものは、「これが実現できたら価値につながる」という価値の候補である。あるいは、「これは価値がありうるかもしれない」という価値の仮説である。存在してしかるべきという機能は前者にあたり、本当に効果が

          スプリントの回転の中で実現しているのは、「価値」か、それとも「進捗」か

          「アジャイルは楽しい」だけで押し切らずにアジャイルとは何かを言葉にする

           結局のところアジャイルで何が嬉しいのか。ということを「楽しい」という感情だけで押し切らないとしたらどう言えるのか。ウォーターフォールの何がダメで、アジャイルのどこが対比的に機能するのか。  ここを丁寧に語ろうと思った動機については前回既に書いている。  最初の問いに答えようとするのは、意外と難しい。それはまさにアジャイルが経験主義に基づくものだからと言えるだろう。「アジャイルの何が良いのか?」を語るためには自分の身の上におきたことを説明することになる。経験はどうしたって

          「アジャイルは楽しい」だけで押し切らずにアジャイルとは何かを言葉にする