市谷 聡啓 (papanda)

白と黒の誘惑 https://ichitani.com/

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    組織を芯からアジャイルにする

    市谷聡啓
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    デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー 組織のデジタル化から、分断を乗り越えて組織変革にたどりつくまで

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    正しいものを正しくつくる プロダクトをつくるとはどういうことなのか、あるいはアジャイルのその先について

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    カイゼン・ジャーニー たった1人からはじめて、「越境」するチームをつくるまで

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    チーム・ジャーニー 逆境を越える、変化に強いチームをつくりあげるまで

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「アジャイルなプロダクトづくり」

 プロダクトづくりには2つの状況がある。何もない、ゼロから臨む場合と、すでにあるプロダクトをより良くしようとする場合とで。いずれの場合にも、「何が正しいのか?」に答えるための仮説検証と、作りながら確かめていくアジャイルの二刀流で臨む必要がある。  ただ、指す言葉は同じでも、「ゼロから」と「すでに」で適用する方法は変わる。置くべき焦点が異なる。そうした文脈の違いを捉えながら、どのようにしてアジャイルにプロダクトをつくるのか。ここを語るための本を書いた。文字通り「アジャイルなプ

    • いつ、自分の考えや判断が「正しい」と、評価できたのか?

       この人とは意見がいつも合わない。どう考えても、自分のこれまでの知見に照らし合わせると、こちらのほうが可能性があると思うのだけど。そこが相手に伝わらない。もう1年か、何年か前に自分は辿ってきた既出の話なんだよ…。もう、いい加減分かってくれないかな。時間がいくらあっても足りない。  と、思うことはあると思う。私も、よくある。一方で、この話の結論を先に述べると、 いつ、自分の考えや判断が正しいと、評価できたのか? (本当に、自分の考えや判断が正しいを評価できるのか?) この

      • 「ウェルビーイング」と「アジャイル」

         先日、渡邊淳司さんと「ウェルビーイング☓アジャイル」というテーマで対談を行った。とても示唆があり、充実の2時間を過ごすことができた。この模様は渡邊さんが手掛ける冊子にまとめられる予定になっている。同時に、私も気付かされるところを言語化していきたいと思う。  渡邊さんの「ウェルビーイングのつくりかた」を読んでいると、だれのウェルビーイングなのか?という問いをもとに、わたし、ひとびと(三人称)、わたしたちという分けが提示される。このわたし、わたしたちをどう捉えるかがウェルビー

        • 「Do」でも「Be」でもなく、「BeCome」なアジャイル

           「アジャイル」と言った時に、それは「アジャイル開発」のことなのか「事業開発のためのアジャイル」なのか、「開発以外も含めた仕事の進め方としてのアジャイル」なのか、それとも「組織運営のためのアジャイル」なのか、引き続きちょっとした混乱がある。  「アジャイル」を抽象的概念(すなわち「探索」と「適応」)として見直したとき、それはあらゆる営みに通じるものになる。ゆえに、先のどれにでもあてはまる。ここがどうしても他者と、チームと、組織と、理解をあわせづらい。  「構成概念」とい

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        「アジャイルなプロダクトづくり」

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        • 組織を芯からアジャイルにする
          147本
        • 正しいものを正しくつくる
          135本
        • DevLOVEのノート
          157本

        記事

          チームや組織の意図を表す「一枚デッキ」

           チームや組織に必要なものは沢山ある。  目的や目標、つまり目指しているものが明確になっていなければ、先の見えない試行錯誤の時間が長く続くだろう。仕事を果たすために、専門性や経験が問われる。集団で何かを実現しようというのだから、うまく機能するための動き方も要る。  だから、こうした観点を補強しようとチームや組織としての改善の営みは果てしなく続いていく。改善のためのアイデアやナレッジは渇望され、重宝され続ける。  近頃、特に必要性を感じることが一つある。それは、「意図を表

          チームや組織の意図を表す「一枚デッキ」

          なぜ、アジャイルには「手順書」がないのか

           やり方とかプロセスとか、作法とか、私達の仕事を助けるものは沢山ある。そういったものを総称して「型」と呼んでおく。  「型」を使えば、うまく仕事ができるようになるかもしれない。「型」が分かるようになるために、ガイドを作ったり、レクチャーを受けたり、練習してみる。  ここで2つの問題がある。「型」を使いこなせない、そして「型」を使っても成果があがらない。この2つは混在しやすい。「型」に意味がないかどうかは、使いこなしてからの判断だ。  さて、苦労して「型」に合わせることが

          なぜ、アジャイルには「手順書」がないのか

          スプリントの回転の中で実現しているのは、「価値」か、それとも「進捗」か

           アジャイルで各種定義されていること、例えばスクラムイベントやバックログといった概念で、何を実現しているのか、そこにどんな意味があるのかを考えてみよう。  さっそくイメージにしてみる。 リファインメントで行っていること  プロダクトバックログとは一体何か。そこでリスティングされるものは、「これが実現できたら価値につながる」という価値の候補である。あるいは、「これは価値がありうるかもしれない」という価値の仮説である。存在してしかるべきという機能は前者にあたり、本当に効果が

          スプリントの回転の中で実現しているのは、「価値」か、それとも「進捗」か

          「アジャイルは楽しい」だけで押し切らずにアジャイルとは何かを言葉にする

           結局のところアジャイルで何が嬉しいのか。ということを「楽しい」という感情だけで押し切らないとしたらどう言えるのか。ウォーターフォールの何がダメで、アジャイルのどこが対比的に機能するのか。  ここを丁寧に語ろうと思った動機については前回既に書いている。  最初の問いに答えようとするのは、意外と難しい。それはまさにアジャイルが経験主義に基づくものだからと言えるだろう。「アジャイルの何が良いのか?」を語るためには自分の身の上におきたことを説明することになる。経験はどうしたって

          「アジャイルは楽しい」だけで押し切らずにアジャイルとは何かを言葉にする

          「アジャイル」の答え合わせ

           「アジャイル」という言葉の広まりようには、隔世の感を感じずにはいられない。ごく当たり前のように開発の選択肢として捉えられるようになった。若い組織であろうと、伝統的で歴史ある組織であろうと、関わらずだ。  そんな状況をぼくらは夢見たはずであるし(ここでいう「ぼくら」はかつて、アジャイルに取り組むも全くうまくいかず、死屍累々の失敗を重ねていたコミュニティの仲間たちのことだ)、実際に至ったことには自分が一つ仕事を成し得たのだという感慨を抱く。  …なのだけども。なのだけども、

          「アジャイル」の答え合わせ

          インセプションデッキづくりで何をしていることになるのか?

           期初にあたるためか、最近インセプションデッキづくりに携わることが多い。ほぼ毎時間、デッキをつくっている日もある。今更、インセプションデッキ?と思われる人もいるかもしれないが、デッキの有効性はいまだにある。むしろ、めちゃくちゃ高い。  というよりは、デッキレベルの認識あわせもできていない状況で、プロダクトづくりなり、プロジェクトなり始めたところでうまくいくはずもない。ところが、このくらいの内容でさえ合っていない、おざなりになっていることが少なくない。デッキが登場して10年以

          インセプションデッキづくりで何をしていることになるのか?

          仕事の 「点」 に囚われず、 「流れ」 を読む

           スプリントプランニングをいつ、誰が、どんな内容で実施するのか。あるいは、受け入れ条件の記述書式をどう決めるか。完成の定義は? デイリースクラムで何を話す? etc、etc  これら一つ一つについて考えを煎じ詰めていくのは大事なことだ。クオリティと効力感は細部に宿る。ただ、開発が、仕事が、より良き状態となるのを目指すのに、これら一つ一つに焦点をあてる前に捉えるべきことがある。それが「流れ」だ。  「流れ」に対して、冒頭にあげたことは「点」だ。「点」の一つ一つがどうあると良

          仕事の 「点」 に囚われず、 「流れ」 を読む

          プロダクトをつくろう。そして、そこから「物語」を取り出そう

           最近の関心どころから、井庭さんの創造システム理論を紐解いていた。「創造」そのものをシステムとして、人から外部からして捉えることで、その本質を見ようとするアプローチは、「創造」だけに留まらず広く適用が考えられる。例えば、組織システムもその一つとして。  井庭さんの理論では、「創造システム」と関わるためのすべが「パターン・ランゲージ」であり、それは「発見」に導かれるためのメディア(媒介物)となる。創造的な状況に進むには、何かしらの切欠が必要になる。そこでパターンを用いる。パタ

          プロダクトをつくろう。そして、そこから「物語」を取り出そう

          仕事における「はやさ」とは何か

          「はやい、とはなんだろうか。」  この問いをもらった時、さっと応えようと思ったのは「適応のはやさ」についてだった。かわりばえしない、私にとってはいつもの回答パターンだ。  ただ、「適応のはやさ」は刺さりが悪い。たいていの場合、相手の表情には「言っていることは分かるが、それを正解にしたくない。」という色がありありと現れる。少しだけ「はやさ」について考えてみることにした。  結論からいうと、「判断のはやさ」をあげたい。ソフトウェア開発や仕事そのものにとって「はやい」とは何か

          仕事における「はやさ」とは何か

          目標管理のフレームとしてのOKR、分断を乗り越える手がかりとしてのOKR

          「開発もビジネス側に踏み込んでいかないといけない。」  義務感からはなく「そうありたい」という思いとして、この手の決意を耳にすることが以前よりも増えた。現場がより価値を形作っていくためには、どうあると良いのか。考え抜いた末に、出した結論。もとより容易ではないとわかっているが、それでもそうでなければ変わらない。  プロダクトオーナーと開発チームの分断課題について十数年前から言及しているように思うが、いよいよこの課題に向き合う現場が増えているのは感慨深い。と同時に、根深いとも思

          目標管理のフレームとしてのOKR、分断を乗り越える手がかりとしてのOKR

          原則で語るか、感情で語るか

           最近、ある方との出会いで、新たなインスピレーションが得られた。コロナ以降の流れで、仕事以外での「新たな出会い」なるものはめっきり減ったままだった。やはり、新たな出会いは新たな思考をもたらす。この感覚は久しく忘れていたように思う。  一つ整理がつきそうなのは、こんなことだ。原則で語るのか、感情で語るのか。もしくは原則ドリブンか、感情ドリブンか。  人には何かしら、こうありたい、だからこうしたい、こうしていたい、といった「信念」「価値観」が宿っている。今のところ、「信念」と

          原則で語るか、感情で語るか

          ナラティブ・チーム報 (輪番でチームの日報を書く)

           同じものをみていても、あるいは同じ時間をともにしていても、どうみているか、どう感じているかは人によって違う。  だから、ふりかえりであるとか、その他のワークショップや場を設けることで、意識的に分かろうとする。考えをあわせたい場合もあるし、合わせるのではなく違っていることを分かるようにしておきたいという場合もある。いずれにしても「共通理解」を一定得る、時折得ることで、チームや組織の営みを良くする。  こうした「何に、何を感じているか」を表出するのが容易ではないときがある。

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