市谷 聡啓 (papanda)

白と黒の誘惑 https://ichitani.com/

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    組織を芯からアジャイルにする

    市谷聡啓
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    デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー 組織のデジタル化から、分断を乗り越えて組織変革にたどりつくまで

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    正しいものを正しくつくる プロダクトをつくるとはどういうことなのか、あるいはアジャイルのその先について

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    カイゼン・ジャーニー たった1人からはじめて、「越境」するチームをつくるまで

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    チーム・ジャーニー 逆境を越える、変化に強いチームをつくりあげるまで

    市谷 聡啓

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固定された記事

これまでの仕事、これからの仕事

 もし、明日不慮の事故に遭い、この世を去るとしたら、この本は「遺書」になるのだろうと思った。書きながら、そんなことを感じたのははじめてのことだった。自分の中にあ…

目標管理のフレームとしてのOKR、分断を乗り越える手がかりとしてのOKR

「開発もビジネス側に踏み込んでいかないといけない。」  義務感からはなく「そうありたい」という思いとして、この手の決意を耳にすることが以前よりも増えた。現場がよ…

原則で語るか、感情で語るか

 最近、ある方との出会いで、新たなインスピレーションが得られた。コロナ以降の流れで、仕事以外での「新たな出会い」なるものはめっきり減ったままだった。やはり、新た…

ナラティブ・チーム報 (輪番でチームの日報を書く)

 同じものをみていても、あるいは同じ時間をともにしていても、どうみているか、どう感じているかは人によって違う。  だから、ふりかえりであるとか、その他のワークシ…

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ハイウォーターマークは、嘘をつかない。

 この時期になると、人事異動や組織変更による変化、場合によって「劇的」と言っていいほどの変化が起こることがある。私も、私自身を含めていくつかの変化を得てきたので…

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「コレクティブ・インパクト」と組織アジャイル

 組織も一つの「システム(系)」と捉えるならば、「システム」に関する方法論、知見、仮説が組織にも通じるはずである。私が扱う "組織変革" とは「アジャイルを組織に宿…

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「アジャイルとは設計しないことか」 へのもう一つの解説

 「アジャイル」という概念を広く適用していこうとすると、思わぬことに気づくことがある。例えば、「"仕事をする" のに必要なこととは何か」といった極めて根本的な事柄…

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透明性、検査、適応を3ヶ月やり通した先に得られるもの (ただし骨折において)

 左足第5中足骨骨折から実に10週が経過した。  ようやく、2本だった松葉杖が1本になり、装具(ギプスの代わりになるもの)を外し、よちよち歩きを始められたところだ。…

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アウトプットと、アウトカムと、インパクト

 引き続き、ソフトウェアと、プロダクトと、システム(系)を巡る話。  プロダクト作りにおいては、「アウトプット(結果)とアウトカム(成果)」が論点としてよくあが…

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ソフトウェアと、プロダクトと、システム(系)

 前回、「つくる」の解像度を上げようという話を書いた。  「ソフトウェア」という概念を、あえてエンジニアリングの視点に振り切らせると、「プロダクト」とは、ソフト…

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「つくる」の解像度をあげる

 「解像度をあげる」とは、より見分けられるようになるということだ。同じようなものと捉えていたことを明確に区別できる。理解の「密度」が高くなる。だから、言葉でより…

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その帰り道で、一人何を思うか?

 デブサミに登壇した。  2020年以来のリアル開催ということで、久々の場だった。今回はいつもの雅叙園ではなく、羽田空港。その場の違いがかえって20年前の初回、デブサ…

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組織と無私、そして外野の声

 ひょんなことで「無私」とはなんぞやということを調べていて、西田幾多郎に行きついた。  そこで「行為的直観」、目の前の矛盾に対して「私」を置き去りにして行為に臨…

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「アジャイルとは何か」を説明する

 「アジャイルとは何か」ということを、先日語らせて頂いた。また、ずいぶんと根本に返った話を今更と思われるかもしれない。ただし、「アジャイルとは何か」、このことに…

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プロダクト作りのその先にある、システム作り

 ProductZineのWinterイベントでお話したこと。プロダクト作りのその先にあるシステム作り。ここでいう「システム」とは、ソフトウェアのことではなく、「構造」「仕組み…

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アジャイルを「共有」するのではなく、「共通」にする

 「アジャイルな事業・組織を目指したい。どのように取り入れていけば良いか」という設問に出会うことが増えている。  この手の表明に、「そのアジャイルは、Doなのか、…

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固定された記事

これまでの仕事、これからの仕事

 もし、明日不慮の事故に遭い、この世を去るとしたら、この本は「遺書」になるのだろうと思った。書きながら、そんなことを感じたのははじめてのことだった。自分の中にある「仕事」について、言い残したいことをぐつぐつと煮詰めた本。それが「これまでの仕事 これからの仕事」だ。  現場、チームのこと、プロダクト作りのこと、組織のこと、これまで何度となく変遷してきた語るべき対象は、「仕事」の考え方、方法、込める思いへと言った。アジャイル開発、仮説検証、デジタルトランスフォーメーション、組織

目標管理のフレームとしてのOKR、分断を乗り越える手がかりとしてのOKR

「開発もビジネス側に踏み込んでいかないといけない。」  義務感からはなく「そうありたい」という思いとして、この手の決意を耳にすることが以前よりも増えた。現場がより価値を形作っていくためには、どうあると良いのか。考え抜いた末に、出した結論。もとより容易ではないとわかっているが、それでもそうでなければ変わらない。  プロダクトオーナーと開発チームの分断課題について十数年前から言及しているように思うが、いよいよこの課題に向き合う現場が増えているのは感慨深い。と同時に、根深いとも思

原則で語るか、感情で語るか

 最近、ある方との出会いで、新たなインスピレーションが得られた。コロナ以降の流れで、仕事以外での「新たな出会い」なるものはめっきり減ったままだった。やはり、新たな出会いは新たな思考をもたらす。この感覚は久しく忘れていたように思う。  一つ整理がつきそうなのは、こんなことだ。原則で語るのか、感情で語るのか。もしくは原則ドリブンか、感情ドリブンか。  人には何かしら、こうありたい、だからこうしたい、こうしていたい、といった「信念」「価値観」が宿っている。今のところ、「信念」と

ナラティブ・チーム報 (輪番でチームの日報を書く)

 同じものをみていても、あるいは同じ時間をともにしていても、どうみているか、どう感じているかは人によって違う。  だから、ふりかえりであるとか、その他のワークショップや場を設けることで、意識的に分かろうとする。考えをあわせたい場合もあるし、合わせるのではなく違っていることを分かるようにしておきたいという場合もある。いずれにしても「共通理解」を一定得る、時折得ることで、チームや組織の営みを良くする。  こうした「何に、何を感じているか」を表出するのが容易ではないときがある。

ハイウォーターマークは、嘘をつかない。

 この時期になると、人事異動や組織変更による変化、場合によって「劇的」と言っていいほどの変化が起こることがある。私も、私自身を含めていくつかの変化を得てきたので、実感がある。ときに、その変化の前に、なすすべを失った気分、膝から崩れ落ちるような感覚を得ることすらある。無力さを感じる。 「無力さを感じる」のは、それだけ「全体」を見えているからだ。  自分が積み上げてきたこと、努めてきたこと、その結果の推移が見えているからこそ、目の前の変化によってすべてが帳消しになってしまうの

「コレクティブ・インパクト」と組織アジャイル

 組織も一つの「システム(系)」と捉えるならば、「システム」に関する方法論、知見、仮説が組織にも通じるはずである。私が扱う "組織変革" とは「アジャイルを組織に宿す」ということだが、このアジャイルな変革についても「システム」に関する理論、実践知が頼りになると考えられる。そのうちの一つが「コレクティブ・インパクト」だ。  私はコレクティブ・インパクトについては専門家ではなく、むしろ知人からそのヒントをもらった立場である。これは、社会課題解決の文脈においてその活動の後ろ盾とも

「アジャイルとは設計しないことか」 へのもう一つの解説

 「アジャイル」という概念を広く適用していこうとすると、思わぬことに気づくことがある。例えば、「"仕事をする" のに必要なこととは何か」といった極めて根本的な事柄にむきあうことになる。  「アジャイル開発」であれば、「仕事をする = 開発する」であるから、「そもそも開発とは何か?」という問いで立ち止まったり、ウンウン悩み始めることは少ない。「開発する」ことについて持ち合わせている知識を元に、アジャイルに向き合っていく。  しかし、文脈が開発から離れた場合、たちまち怪しくな

透明性、検査、適応を3ヶ月やり通した先に得られるもの (ただし骨折において)

 左足第5中足骨骨折から実に10週が経過した。  ようやく、2本だった松葉杖が1本になり、装具(ギプスの代わりになるもの)を外し、よちよち歩きを始められたところだ。2ヶ月以上固定していた足を生脚で地面につけるのは勇気が要る。自分の足でありながら自分のものではないような感触。ちょっと踏み損ねただけで、いろんなところに影響がでそうな繊細な足になっていた。  この骨折からあらためて思ったことがある。人間のからだはブラックボックスで、外部からはフィードバックを頼りにするシステムに

アウトプットと、アウトカムと、インパクト

 引き続き、ソフトウェアと、プロダクトと、システム(系)を巡る話。  プロダクト作りにおいては、「アウトプット(結果)とアウトカム(成果)」が論点としてよくあがる。「アウトプットがあるかどうかだけに意識が向いていないか」「アウトカムに繋がるアウトプットや諸活動になっているか」という問いだ。  文脈としては 「単なる出力結果(機能開発)」vs 「アウトカム(ユーザー価値)」 や、 「収益」vs 「アウトカム(ユーザー価値)」 といった二項で議論されることが多いだろう。「ユー

ソフトウェアと、プロダクトと、システム(系)

 前回、「つくる」の解像度を上げようという話を書いた。  「ソフトウェア」という概念を、あえてエンジニアリングの視点に振り切らせると、「プロダクト」とは、ソフトウェアでその中核をなしつつ、ユーザーやビジネスという視点を組み入れる範疇ということになる。  ここで、「いやいや、ソフトウェアにも当然ユーザーの視点があるでしょう」という見方が出てくるが、そこで「ソフトウェア」と「プロダクト」の境界をあいまいにすると、扱いがぼやけるため分ける。ここでは「ソフトウェア」とはエンジニア

「つくる」の解像度をあげる

 「解像度をあげる」とは、より見分けられるようになるということだ。同じようなものと捉えていたことを明確に区別できる。理解の「密度」が高くなる。だから、言葉でより説明ができるようになる。  それはただ単に細かいことをあげつらうということではない。区別できるようになった上で、さらに統合する。共通するところと、異なるところを比較して、区別する前の「全体」として言えることをまた生み出す。個別だけではなく、全体として解釈できるようにする。  このことを前提として何を言いたいかという

その帰り道で、一人何を思うか?

 デブサミに登壇した。  2020年以来のリアル開催ということで、久々の場だった。今回はいつもの雅叙園ではなく、羽田空港。その場の違いがかえって20年前の初回、デブサミ2003を思い起こさせてくれた。  デブサミには他のカンファレンスに比べて、内輪感が少なく感じる。それだけ多種多様なテーマ、人が集まる場になっている、と言える。デブサミは「誰にとってもアウェイ」。20年かけて、参加者、登壇者、コンテンツ委員、スポンサーと一巡してきても、やはりアウェイ。いつまでもアウェイ、そ

組織と無私、そして外野の声

 ひょんなことで「無私」とはなんぞやということを調べていて、西田幾多郎に行きついた。  そこで「行為的直観」、目の前の矛盾に対して「私」を置き去りにして行為に臨む、という状態のことを理解した。直面する状況によって、自分の動きがいざなわれる。中動態的なイメージを持った。無私とは、言葉通り、「私」がいない。意志はあるが、行動の源は自らにはない。もののあはれの感覚。  「無私」には当然ながら、ポジネガ両面を思い浮かべる。この二面性にはどう向き合うのか、は私にはまだ分からない。

「アジャイルとは何か」を説明する

 「アジャイルとは何か」ということを、先日語らせて頂いた。また、ずいぶんと根本に返った話を今更と思われるかもしれない。ただし、「アジャイルとは何か」、このことについて会話した相手は開発者、開発チームではない。日常で開発には携わらない方々だった。  そうした方々に向けて、アジャイルなるものを語る。それがいかなる経緯で今に至り、われわれに何をもたらし、どこへ向かおうとする営みなのか。その本質を語ろうとするのは、簡単なことではない。それでも、このところそうした機会を積極的に作って

プロダクト作りのその先にある、システム作り

 ProductZineのWinterイベントでお話したこと。プロダクト作りのその先にあるシステム作り。ここでいう「システム」とは、ソフトウェアのことではなく、「構造」「仕組み」「系」としての意味。  PSF→PMFの到達を得ることが、われわれプロダクト作り屋の本懐であり、最大の山場になる。その一方で、この両者が成り立つほど簡単なProblem(顕在課題)というのは、そう転がっているものではない。つまり、ビジネス規模が大きく期待できるほどの顕在課題はそもそも誰かが既に解決し

アジャイルを「共有」するのではなく、「共通」にする

 「アジャイルな事業・組織を目指したい。どのように取り入れていけば良いか」という設問に出会うことが増えている。  この手の表明に、「そのアジャイルは、Doなのか、Beなのか」といった打ち返しだけをしていれば良い時代は、とっくに終わっている。とてつもないビハインドを背負った現代組織が、変わっていくための手がかりを得るためには、またとない機運として活用する必要がある。  Doなのか、Beなのかという以前に、「アジャイル」という言葉を手にし、何かしらの組織的活動を始めようとしてい