見出し画像

目標管理のフレームとしてのOKR、分断を乗り越える手がかりとしてのOKR

「開発もビジネス側に踏み込んでいかないといけない。」

 義務感からはなく「そうありたい」という思いとして、この手の決意を耳にすることが以前よりも増えた。現場がより価値を形作っていくためには、どうあると良いのか。考え抜いた末に、出した結論。もとより容易ではないとわかっているが、それでもそうでなければ変わらない。
 プロダクトオーナーと開発チームの分断課題について十数年前から言及しているように思うが、いよいよこの課題に向き合う現場が増えているのは感慨深い。と同時に、根深いとも思う。不動の定番課題にもなっているということだから。

 この、自分の持ち得るもの、できることで、価値づくりに貢献したいという思いは、状況を変えても同じように芽生える。私は、プロダクトや事業、組織を芯からアジャイルにするために自前の会社を立ち上げて営んでいる。自立しながらも、顧客企業に所属してでも理念やミッション、課題解決を実現したいと思うことがしばしばある。
 この感覚は、冒頭の思いと通じている。分断の種類は全く異なるが、根にあるのは、自分の所与の立ち位置を超えてでも、それが価値に繋がるなら身を投じたい、という湧き上がりだ。

 つまり、どういう立場・シチュエーションであっても、「越境に投じる(投じたい)」という思いは自生しうるのだ。ときに自分の立ち位置に嘆きたくなることもあるかもしれないが、立ち位置に理由を求めても解消しないということが見えてくる。

 私達は越境して何を得たいのだろうか。「課題」なのだと思う。分断された先にある「課題」、それは「プロダクトとしてどうあると良いのか」というお題であり、「事業がもっと社会に価値をもたらすには」という命題でもある。あるいは「会社としてどこへ向かうか」という方向性の課題もありえる。分断によって、課題をともに背負えなくなっている。それを自分が動くことで少しでも変えられるなら、と私達は越境する。

 一方で、「課題」には「責任」が貼り付いている。対象の課題を解決するべき役割、立ち位置というものが存在する。良かれとはいえ中途半端に課題にだけ関わられたところで、進展は望めず、手間と時間だけがかかる。ということでは、越境お断りとなるのも無理はない。課題は聞いても「責任」はともにしない、というのであれば。

 単純に「課題」も「責任」もともに背負う構図に持っていけるかというと、そうもいかない。組織体制上期待する職責と関連するため、「口ではなんとでも言えるが本質はかわらない」という世界から抜け出すことはできない。

 だから、新たな「課題」をつくるのが適している。まずもって、ともに目指すものを定義するということだ。目指すものがあって、現状がそうはなっていないから、問題そして解くべき課題と整理される。
 新たな「課題」(新たに目指すもの)は、単独の「職責」として果たすべきものではなく、チームや組織として共通できるものを選ぶ。だからこそ、「課題」とともに「責任」をともに背負うことができる。

 この目指すものの練り込みについては、そもそも成果とは何か?から考えると良い。

 「課題」と「責任」をともにする、という構図を導くにあたっては、OKRとその理念はフィット感が高い。単一職責に基づくOKRであれば、それは単一の目標設定フレームである。一方、チーム・組織の狭間に見出す突破口としてのOKRであれば、それは分断を乗り越えるための手がかりになる。「課題」と「責任」を関与者で共通にできる可能性がある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?