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「アジャイル」の答え合わせ

 「アジャイル」という言葉の広まりようには、隔世の感を感じずにはいられない。ごく当たり前のように開発の選択肢として捉えられるようになった。若い組織であろうと、伝統的で歴史ある組織であろうと、関わらずだ。

 そんな状況をぼくらは夢見たはずであるし(ここでいう「ぼくら」はかつて、アジャイルに取り組むも全くうまくいかず、死屍累々の失敗を重ねていたコミュニティの仲間たちのことだ)、実際に至ったことには自分が一つ仕事を成し得たのだという感慨を抱く。

 …なのだけども。なのだけども、本当にぼくらの仕事はより良いものになったのか、かつては考えられなかったような成果をあげられるようになったのか、と問うと、言葉に窮するところがある。いや、もちろん良くはなっているのだけど、うーんと、でも、なんというか決して楽になったわけではないし、相変わらず人と人で取り組む仕事って難しいよね…ごにょごにょ。

 年度があけてから、ひたすら「インセプションデッキ」をつくり続けている。1時間おきに、全く異なる組織のデッキづくりの面倒を見ている、という日さえある。デッキづくりの重要性は変わっていない。それはつまり、仕事に取り組む人同士でのごく基本的な認識あわせが、控えめに言ってもうまくいっていないということを意味した。10数年経っても、ぼくらは同じ地点にいるのかもしれない。

 相変わらずプロダクトオーナーは何をしたら良いかで戸惑っているし、スクラムマスターは名前ばかりで役に立っていない。バックログという名の機能一覧を端っこから潰していくことをしているし、スプリントという言葉を使ったスケジュール表が示される。どういうこっちゃ?

 ありがたいことに、「カイゼン・ジャーニー」や「正しいものを正しくつくる」を読みまして、あるいはこれから読みます、というお声をいただく。少なからずの方々に手にとって頂いている感覚がある。なのだけども。

 一体、「アジャイル」はどこで着実に進んでいるというのだろうか?

 良くわからなくなってきた。ひょっとして私の勘違いなのだろうか。それとも、たまたま自分の耳目に触れるものに偏りがあるだけなのだろうか。それはそうかもしれない。私の仕事は課題設定とその解決にある。問題、課題に向き合う日常でなければ困る。なのだけども。

 「アジャイル」が自分の想像の中の「アジャイル」になっていては、もっと困る。仕事としてではなく、もっと広く「アジャイル」に何らか思うところ(関心だったり、疑問だったり)持つ人と交わってみたい。そう考え、場を持つことにした。なんの前提も、文脈も置かず、ふらっと勉強会を開くのは実に久しぶりのことだった。

 「アジャイル」の答え合わせをしてみようか。それぞれの持っているものをね。まず私のほうから示すし、来た人からも聞きたい。これまでにはない応答にであえたら。良いな。

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