仕事における「はやさ」とは何か
「はやい、とはなんだろうか。」
この問いをもらった時、さっと応えようと思ったのは「適応のはやさ」についてだった。かわりばえしない、私にとってはいつもの回答パターンだ。
ただ、「適応のはやさ」は刺さりが悪い。たいていの場合、相手の表情には「言っていることは分かるが、それを正解にしたくない。」という色がありありと現れる。少しだけ「はやさ」について考えてみることにした。
結論からいうと、「判断のはやさ」をあげたい。ソフトウェア開発や仕事そのものにとって「はやい」とは何か? それは判断がはやいかどうか、と考える。
はやい判断ができているかどうか、はやい判断をするための営みが行えているかどうか。仕事のはやさを求めるならば、「判断」に要する時間に着目するべきあろう。
ここでいう仕事の粒度は、大きくも小さくも考えられる。ざっくりと「ソフトウェア開発」として、その一部の「実装」として、あるいは「1時間程度のタスク」として、というようにスケールは伸び縮みさせて捉えられる。いずれの場合でも、「判断に要する時間」に目を向ける。
結局のところ、「そのものを処理する時間」はそれほど差がなくなってくる。差は、
「仕事をはじめる判断」
「ゴールをどこにおくかの判断」
「AとするかBとするか、どっちにしておくかの判断」
「どこまで作り込んだら良し(完成)とするかの判断」
こうしたところに現れる。
端的には、
「判断する →(判断に則り)そのものを処理する」
と捉えがちだが、実際には
「判断のためのあれこれ → 判断する→そのものを処理する」
判断の前処理がかなり存在する。
この「あれこれ」自体が単なるムダ(考えても判断のクオリティがあがらない)な場合もあるし、物事が整理されていないために「あれこれ」が不用意に長引いてしまう、といったこともある。
「あれこれ」、あるいは「ウロウロ」「ぶらぶら」してみることで、発見や学びがあって、それを目的とすることももちろんある。そういう狙いでもなければ、「判断のためのあれこれ」をいかに短くできるか、「ほぼゼロ」に近づけられるかが、「仕事のはやさ」を見るうえでの切り口になる。
見るスケールによって、捉えるべき仕事(開発、実装、タスク..)は大い変わる。しかし、粒度が大きな仕事も一つ一つの「判断」が寄り集まって成り立っている。ということを考えれば、仕事をときに微分して、その時々における判断に要する時間に着眼していけば良い。
最後に蛇足ながら、アジャイルに触れておく。アジャイルは、「判断のはやさ」にも通じる。サイクリックな動きで、判断の機会を作っている。1、2週間での判断、あるいはデイリーでの判断。もし、アジャイルのタイムボックスに「おそさ」を感じるならば、その尺を短くするときであるし、サイクルは1日という長さも割っていくことになる。
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