なぜ、アジャイルには「手順書」がないのか
やり方とかプロセスとか、作法とか、私達の仕事を助けるものは沢山ある。そういったものを総称して「型」と呼んでおく。
「型」を使えば、うまく仕事ができるようになるかもしれない。「型」が分かるようになるために、ガイドを作ったり、レクチャーを受けたり、練習してみる。
ここで2つの問題がある。「型」を使いこなせない、そして「型」を使っても成果があがらない。この2つは混在しやすい。「型」に意味がないかどうかは、使いこなしてからの判断だ。
さて、苦労して「型」に合わせることができたとする。ところが今ひとつ何が成果になるのかわからない。スクラム、OKR、リサーチなど、見様見真似ガイド通りに動けるようになったとして、目の前の仕事でその良さを感じない。何のために、スクラムを適用したのか、分からなくなる。
他人にその重要性を説明しようとして、言葉がもたつく。意外と、そのWHYについて言葉にすることができない。どこか浅く感じる言葉しか出てこない。自分が感じる重要性とは裏腹の言葉の軽さ、そこにもどかしさを感じる。
この「型」のWHY、意味についての言語化は甘くみないようにしたほうがよい。前回も、アジャイルの回転とは何を意味にしているのかを言葉にしたが、意外と難しい。当たり前のことを言っているだけのように思える一方、どこか難解な説明になってしまう。
新しい取り組みは他人に伝わりにくい。伝わらないのは、あなたのせいだけでも、アジャイルのせいだけでもなく、そもそも動的な概念を言葉では表現しきれないところにもある。どんなスポーツでも、理想的な動きを説明するのは難しい。言葉で説明するのを諦めて、具体的な動きで説明する。動きをなぞってもらい、分かってもらう。動けるように、何度も繰り返す。
アジャイルとは、チームの動き型のことでもある。だから、「一緒に取り組んで分かってもらう」というはじめ方が効果的になる。なぜ、アジャイルには「一緒にやる」だとか「コーチ」という言葉が出てくるのか。端的に言えば、動きの話だからだ。サッカーに手順書がないように、アジャイルにもない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?