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プロダクトオーナーに情熱は必要か?

 プロダクトオーナーに情熱のようなものは必要だろうか? 何とはなくそんな会話があり、少し考えた。

 深く考えなければ、それは当然に必要だろう、という答えに辿り着く。「プロダクトオーナー」という言葉の背景には、プロダクトづくりのリード役としてのイメージがちらついてくる。より、文脈から解放されて想像するならば、アントレプレナーシップのようなイメージも想起される。プロダクトオーナーにはどこか起業家的気質があってしかるべきとみなしてしまう。

 実際にはどうだろうか。インハウスで、プロダクトを手掛けるプロダクトオーナーに、アントレプレナーシップや起業家的気質といったイメージがあてはまるだろうか。スタートアップやベンチャーでもなければ、結びつきは弱く感じられるかもしれない。

 プロダクトオーナーという言葉も、スクラムガイドにおける定義も、意味的にはそれほど大きく変わっていないはずだが、この言葉を使う側、その状況、文脈のほうが変わってきている。裾野が広がって、当初のイメージとは異なるところでも言葉が届き出したということは言えそうだ。

 さて、そうした現実を踏まえて、あらためて、冒頭の問いに向き合ってみよう。「プロダクトオーナーに情熱は必要だろうか?」

 良いプロダクトをつくるためには情熱が必要、というよりは情熱が無ければプロダクトづくり自体を継続できない、といった方がよりフィットするように思う。プロダクトづくりは、どう考えても面倒な仕事だ。最初の段階においては誰とも知れない「想定ユーザー」を仮説立てて、その課題やニーズを想像し、確からしいかを検証する。仮説検証には様々な誤謬が入りやすく、かつ、つくり手側の頭の中も様々なものだから、何をつくるべきか、については惑いやすい。プロダクトへの組織的な期待、思惑もある。肝心のモノづくりにおいてはエンジニアリングという広大なテーマが待ち構えている。気にすることが多く、専門的で、複雑で、厄介だ。

 多少、良さそうだなと感じる、ちょっとしたアイデアくらいなら、比較的思いつくものだ。問題は、そのアイデアを形にし、プロダクトづくりとその運営という活動を持続させればさせるほど、やるべきことが飛躍的に増えていくところにある。一人では耐えられないから、チームでやる。チームでやると、意思の疎通、思惑違いが起きてその調整が必要で…どう考えても、この仕事をやり抜いていくには、情熱が必要だ

 仮に、情熱という思い入れが無かったとしても、プロダクトづくりができる、こなせているとしたら、それは「タスク」になっている可能性がある。タスクであるならば、持続できる。だって、仕事なんだから

 この時点で、プロダクトづくりは起業家的気質云々からかけ離れたところに存在するようになる。タスクだから、こなす。こなすことが目的になる。そうした状況がダメだと言いたいわけではない。自分の仕事がどうあるべきなのかなんて、自分で考えることだ。

 ただ、タスク仕事である以上は、ゴールの定義がはっきりとしていて、あるいははっきりとさせるためのスコープ設定もなされていることだろう。そうした仕事は、「想定内」に置かれる。つまり、プロダクトづくりが想定内の仕事になる。想定内のプロダクトづくり、というのは、果たして "プロダクトづくり" なんだろうか? というふうに、私なんかは思ってしまう。


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