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ドラッカー風エクササイズC面

 ウェルビーイングについて調べていると、「わたし」と「わたしたち」の概念にぶつかっていく。そこで、自分とチームという対比だけではなく、「わたし」と「チームの中における "わたし"」という見方があることを示唆される。「わたし」も「チームの中における "わたし"」も、自分のことである。ただ、どこから見るかによって、自分から分かることが異なる。

 アジャイルにドラッカー風エクササイズというプラクティスがある。このプラクティスを冷静に読むと、「わたし」の表明に終始していることに気づく。

ドラッカー風エクササイズA面

 4つ目の問いが秀逸で、「他者から見た"自分"」を自分はどう捉えているかを表すことになる。ここを他者と答え合わせすると、自分の思い込みが差分として浮き出やすい。

 見えないものを浮かべたい、という点ではポジティブ面だけではなく、過去のネガティブな面も手がかりにできる。と考えたのが、ドラッカー風エクササイズB面であった。

いずれにしても「わたし」についての表明になる。と考えると、「わたしたち」についての会話も欲しくなる

ドラッカー風エクササイズC面

 「わたしが思う "わたしたち"」について表明する。A面での問いを参考に、
・このチームができること(を私はどう思っているか)
・このチームの価値観(をたぶんこうなんじゃないかと私は思っている)
・このチームの展望(を私はこう思っている)
を述べる。「わたしたちの中にいる "わたし"」からみた「わたしたち」。ここをほかの「わたしたち」と照らし合わせることで、違いを捉える。

 最後の問いは、A面同様に他者の視点に立って答えるものになる。その想像する答えは、
・わたしはこう思っている、だから他のメンバーもこう思っているはずだ。
・わたしはこう思っている、他のメンバーは違うことを思っている。
・他のメンバーがどう思っているかは分からない。
もちろんいずれもありえる。いずれであっても、他者とdiffを取ると分かることが増える。C面に向き合うことで、「わたしが思う "わたしたち"」と「ほかの人が思う "わたしたち"」の間に違いがあること、あって然るべきことが分かる。

 ちなみにB面は表の裏側に必ずついてるものだけど (つまりどんな人にも負の一面はある)、C面は概念として最初の媒体を離れている。つまり、わたしたちを考える上で自分を一旦離れてみることを示唆している。

 なお、C面はA面以上に、仕事を始めてみないことには想像もできない内容と言えるかもしれない。仕事が進むにつれて、A面からB面、C面を意図的に聴くことにしよう。

 自分にとって良さそうと思うことが、必ずしも他者にとっても良いかどうかは分からない。ごく当たり前のことだが、チームビルディングや時々に直面するチームの状況に際して、ラフに「わたしたち」を捉えていると、そんなことにも気付けなくなる。「わたし」=「わたしたち」でしか見れなくなる。

C面を聞いたあとに、A面に戻ると、「わたし」の捉え方にも変化が出てくるかもしれない。「わたし」→「わたしたち」→「わたし」。「わたしたち」を合わせたあとでの「わたし」。さて、チームメンバーは自分にどんな成果を期待しているだろうか? 

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