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友達が 1人もいない 初対面 ~記事の印象を変える書き始めのコツ~

 私には友達が1人もいない。そんな前世で宣教師の妻を寝取ったのかと思うほどの受難の日々をなぜ送らなければならないのかと考えたところ一番最初の部分を常に間違ってきたのではないかと思うようになった。

 ある本で読んだ記憶であるけれど人は人の第一印象を出会ってからのわずか数秒で全て決めてしまうらしい。その事実は私からすれば社会的ご臨終案件なのだけれど冷静に紐解くと一番大事なのは見た目であるということのようだ。

 ちなみに私が身だしなみをちゃんとしなければならないということに気が付いたのはこの世に生をうけて四半世紀を過ぎたあたりの日本のデジタル化ぐらい遅いタイミングであるため、これまで私が虫も殺さぬ生類憐み的な葛湯のような優しさや柴犬ばりの素朴さを内に秘めていたとしても大幅に減点されていたということになる。

 その事実に気が付いたとき頭が1番痛いときの口内炎ぐらい真っ白になったが世の中をうまく立ち回る女性たちの賢さも痛感した。なぜあそこまでの呪詛が信じられている部族のシャーマンぐらい濃いメイクをするのかとずっと疑問であったがあれこそ相手の第一印象を一瞬で掴むための急先鋒であったわけだ。そんなのを見せつけられたら私は社会で生きていくということにたいしてF1のチェッカーフラッグばりに白旗を振り回さざるをえない。そしてその考えは本にも通ずるものがありそうだ。

 私は昔から本が好きだけれど買う本を選ぶときはやはり最初の書き出しの文章を見る。途中の部分を読むともし買うと決めたときにネタバレになってしまうからだ。するとやはり私が手に取ってきた本は書き出しから面白かった。そのことは作者もおそらく分かっていて最初の書き出しの部分にこそ自分の持てる文才の全てをぶつけているのだろう。

 仮にも毎夜noteのためにパソコンの前でエイの裏側にそっくりな仏頂面で恥辱にまみれた記事を書くエセ作家である私は最初の一太刀で勝負が決まるという歴戦の文豪たちのモダンな侍魂をくみ取り余命幾ばくもないエアコンぐらいブルブルと震えた。そしてそのテクニックはnoteにも生かせるのではと思ったところ私の過去の全ての記事ではこぞってある言葉から始まることになっていた。


私には友達が1人もいない・・・



なんだこれは?


 自分で勝手にやり続けておいてなんだがこの文面から始まる文章が明日への活力となる記事であるとは到底思えない。確かに私の記事は毎日趣向がころころ変わる風来坊な記事であり、ときにノープランのまま書き始めて自分でも疑問符で張り裂けそうになりそのまま妄想へと逃避行するようなSF(サイコパス・フィクション)へと突入することもあるが、それらの愚行はすべて少しでも多くの人たちに読んで欲しいという手のひらサイズの野心があるがゆえだ。

 にもかかわらずこの冬の夜のオホーツクを思わせる冷たく寂しい書き出しでは躊躇する読者も出てくるかもしれない。ただこれだけの間言い続けたことによって悲しきかな友達が1人もいないということが私の代名詞となってもきている。あの書き出しから私の記事へと導かれ毎日読んでくれているような、もうどうかしてい・・・心優しい読者のみなさんはきっと社会へと不満を抱えているに違いない。だから私のnoteのそもそもの方向性を決めた。社会に不満を抱える人たちの流刑地に私はなる。

 

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