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治療的哲学:不変的な人間の本質から考える

人間の本質は変わらないものだ。
その不変の中で「どう考えるか」が求められるとぼくは思っている。

マット.リドレーは著書の中で、
「人はこれまでずっと食べ物を探し、セックスをしたがり、子どもの世話をし、地位を求めて競い、痛みを避けてきたし、これからもずっとそうするだろう」
それに付け加えて
「それはほかの動物とも同じだ」
と述べている。確かにそうだろう。

このことを中心として、私たちは自動的に戦略を立て、競い、学習し、優越になり、また、苦悩する。

つまり人間の関心事は「生存と存続」だということだ。

愛だとか善だとかを持ち出すのはこの「不変」に対する言い換えでしかないのかもしれない。少なくとも平凡に暮らす上でそれ以上の言葉を必要とはしない。

目の前にある「生存と存続」の成功をどう達成するかといった課題は消えることはないだろう。

存続の達成はうまくいっても生存の達成という課題が残る。そこから「どう考えるか」は哲学の課題になるはずだ。

この課題を前にした時、哲学での言葉遊びは出る幕がない。関係がないからだ。

必要なのは実践で使える思考が必要だ。生物学としての思考の意味とも共存しなくてはならない。
それらはビジネスの成功の話とは距離をおくものだ。

真剣に取り組むべきは「生きること」についての話である。

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