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また、通院できませんでした。


来月18歳になる
劇症1型糖尿病の息子。

「そろそろ内科に」とのことで
6月、小児科医からの紹介状を持って
C病院に1度行ったものの
2度目の7月5日の予約日は通院せず…。

小児科医に連絡して
今度はS病院への紹介状を用意してもらい
今日がS病院予約日だった。

が、行かず…。

S病院にキャンセルの電話をしたら
「紹介状を書いてくれた先生からの連絡で
キャンセルになりますので
紹介状を書いてくれた先生に連絡して下さい」と言われた。

小児科医のクリニックに電話した。

受付の人が電話に出た。

私は
突然、涙と鼻水がどっと出て、
息が詰まり、
声が出なくなった。

「いたずら電話だと思われるかもしれない」
「早く喋らなきゃ」と気力をギュッと振り絞った。

私は震える声で
とぎれとぎれ喋った。

「お待ちください」と保留音が鳴った。

看護師が出た。
「このままずるずる通院しないと
命にかかわるので話し合って
いつ行けるかわかったら連絡下さい」と言われた。

私は
「そんなの言われなくてもわかっている。
当然のこと。
でも、家ではそれができないから困っている」
と思い、
更なる苦しさに潰されそうになった。

そして私は
「頭には入れておきますが
約束はできません」と応えた。

飽きられた口調で電話は終わった。

「そう。
私は昔からこれが嫌いなの」
と、鮮明に思い出した。

電話対応の話ではない。
話し合いができない家柄のことだ。

不都合や心配、不安があると怒鳴る両親。
父親は家を新築した時が特にひどくて
「なんで?」「なにが?」と意味が分からないまま
機嫌が悪いと包丁を持って追いかけられた。
新築時、私の部屋には鍵がなかったから
鍵を買ってきて部屋に着けた。
何度か、鍵に助けられたが
部屋のドアに体当たりで突き破り
ドアが破れ包丁を持て入って来られるようになってからは
私も諦め
「いいよ。殺せ」と言うようになっていた。

母は「警察呼ぶからな」と言って呼んだことは一度もない。
常に批判と強力なつねりで防備し
自分の方に敵意が向くと逃亡する。

と言うか、
私の記憶では
家を建てて借金ができたことで不安になっていた父と、
物を大事にせずお菓子や服など無駄に買う癖がある母。
次第に、父は母に言いたいことを言わなくなっていた。

新築して水洗トイレになり、
”トイレは大の時しか流してはダメ”と不衛生なルールを作って
臭いし、汚い、散らかった新築の家。

そして弟は
下級生をいじめたり、カツアゲしたり、万引きしたりで
学校や警察から呼ばれる。

唯一、賢い子と思っていた愛猫は
家に入ってくる度に
「家汚れる!」と怒鳴り、
家の外に愛猫を放り投げる母。
いつしか愛猫は帰って来なくなった…。

こんな時も、家族で話し合いをしたことは無い。
喧嘩とか暴力じゃなくて
思っていることを言って
少しずつ妥協点を見つけらっれるようにしていきたいのに
この家族は、暴力、逃亡しかできないのだ。
時が経つのを待つことで家族として成り立ってきた。

私はそれが嫌いなの!
ずっと前から。
今も。

それをしっかり思い出した。

時が経つのを待つことで
瞬間的に表れる暴力と離れることはできるけど
その根源からも逃げているので
どうしてそうなるのかを知ろうとすらしない。
だから、同じことを何度も繰り返す。

なのに
「困った」
「なんでこんなことに」と言っている家族。
私はそれを見て
「因果応報でしょ」としか思えなかった。

私は、逃げるだけで”は
できないことを増やしているだけだと考えていたのだ。

”感情的な暴力から逃げた、落ち着いたから戻った”
これではエンドレス。

その後、話し合いを持たなければと思い
そのことを持ち出すと
子供から指摘されるのは面白くないらしく父は暴れ、
母は暴言を吐くだけ吐いて、逃げる。
弟は「蒸し返すな」と他人事で呆れ顔。

こんな家族を立て直そうとしていた私。
自分の家族がダメなことを知られたくなかった。
人は変われると思っていた。
「私がしっかりしなきゃ」
「家族は信じなきゃ」
「息子は私の子供だからわかっているはず」
「私も小学生の時にこの家おかしい、って気づいていたし」
などと、夢を見過ぎていた。無謀だった。

私は、
家族、血縁、最小単位のグループに拘り過ぎていたのだ。
その前に、人間であることに目を向けていればよかった。

・人間は楽な方に流れる癖がある。
・人間は都合よく考えたがる癖がある。

この癖にとらわれると
理想と現実のギャップが広がりストレスを生む。

私は子供の頃から先の事を考えて
準備する癖があった。
それを几帳面で窮屈だと、家族には鬱陶しがられた。

私は、
考えればわかること、
想像できることを回避せず
慌る、心を乱す方ことを”無駄”と感じていたからだ。

全てが想像できるわけではなく
想像を超えてくるものもあるけど
心の乱れを押さえることで
立ち直りは早く
その分、
その後の判断の選択がしやすいと
今でも考えてる。

でも、
それ以上に大事なのは”環境”かもしれない。

家族が最小の集団だと思って
「ここは私が何とかしなきゃ」と
この環境に執着していた。

今の時代だからか
「家族が最小の単位であることがおかしい」
と思うようになった。

だって、家族だって別人格だし
そもそも生まれてくる場所は選べないのだから。

って、
そう思うことは
”自分にとって都合のいい解釈”。

でも、
「もういい加減、それでいっかな~」と思う。
まだ喉は絞まっているけど。










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