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本当に働かないといけないの?

コロナも私の日常3-82
82日目 6月16日(水)

最近、よくジレンマを感じることがある。

私の今の仕事は、まあざっくり言うと障がいを抱える方々が就職できるようサポートしたり、就職後も定着できるようにしたりすることである。その仕事をしていく中で、自分たちの「当たり前」を押し付けることにどうしても違和感を感じてしまうんです。

私たちみたいな定型発達でさえ、「働く」とはどういうことかよく分かってないことが多い。とりあえずお金を稼ぐために、好きでもない仕事をしている人もいるだろう。働くことが幸せだとは言い切れないこともあるだろう。それなのに、私は、一体どんな権利で彼らにExcelやらWordやらありきたりなパソコン能力を教えて、当たり前とされているようなマナーを伝えているのだろう。どうしてそういう「枠」にハマったような仕事を出来る様に仕向けなければいけないんだろう。普通に企業に所属して働いて〜ということが当たり前であり幸せであるという前提で話が進んでいるけれど、ちょいとお待ち。本当にそれが幸せなの?それが当たり前なの?と思う。そういう生き方が正しいかどうかなんて、私にはわからない。なのにどうして、その生き方を他人に教えられるんだろう。

私たちは、働かないといけないという常識に囚われ過ぎているような気がする。別に人間は、働かなくても幸せだ。好きなことをできていれば幸せだし、なんなら好きな人に囲まれていれば生きてるだけで幸せだ。そして、別に働かなくても生きていける。大変かもしれないけれど、生きてはいける。無理をして私たちが当たり前に出来ることを押しつけて出来る様になってもらって、普通の企業でもきちんと働けるようにしていく、というのが本当に正しいことなのか私にはわからない。むしろ、彼らの特性は普通ではないところが良いところなのに、そこを潰して一般社会に馴染むように特性をなくしていくことが、本当にいいことだとは、私にはどうしても思えなくて。企業の経営者にADHDやアスペルガーが多いように、特性を活かして活躍できる場が絶対にある。人それぞれ個性があるように、彼らの障がいも個性だし、それを出来るだけ少なくして馴染もう!というのは、どうもおかしい。

というか、この人たちは普通に働かない方が幸せなんじゃないか?と思うことがよくある。働かずに親の元でゆっくり過ごしてもらって、好きなことをしてもらって、それでお金を稼いでも良いし、稼がなくても良いし、親が死んでしまったらグループホームに入ってもらってもいいし、そうやって過ごしてもらった方が、自分の特性を抑えて体調を崩しながら働くよりも、はるかに幸せなんじゃないか?と思うんです。こういうことを考えるとなんだか少し、涙が出てくる。なんの涙だろう。よくわからないけど、だって、彼ら、こんなに一生懸命に生きている。自分の思い通りにならない体や心や頭を背負って、毎日を懸命に過ごしている。それだけでどんなに凄いことか、私は知っている。しかもこれは別に、彼ら障がい者に限ったことではなくて、みんなに言えることだよね。「働かないと生きていけない」という思い込みや常識を本当に?と疑って考えるところから視点は広がっていくと思うんです。そうやって自分なりの「生きる」を見つけていくことができれば、絶対大丈夫だって気がする。

植物や動物はお金のない世界でも十分に生きている。お金に縛られて生きているのは人間だけ。別に極論お金のない世界で生きていくことだってやろうと思えばできるっていうことを、坂口恭平だって証明している。つまりお金のためだからと無理に働かなくてもいいということ。好きなことをしていれば自ずとお金になるものだけど、みんな好きなことを続けていないだけなんだよね、私も。

そういうことを、私は彼らに伝えるべきなんじゃないかって思うんです。たとえ理解されなくても、伝わらなくても、心に届けば伝わるような気がするから。変な常識に基づいた「枠」に彼らをはめようとするんじゃなくて、彼らが入れるような枠そのものを、彼ら自身の手で創り上げていってもらいたい。それが私が願わんとするところなんだ、とようやく気がついた感じで。よく気がついたな私、えらいぞ、というきもちで。

結局は、巡り巡って全部同じことなんだなあと思うんです。

じゃあ、おやすみ。

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