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【読書】 斜陽 太宰治~恋すること生きること~

戦闘開始

昭和25年刊行。『斜陽』。

時代に反逆した小説があるとしたら、この一冊を挙げたい。

信じられなかった。女性が女性という理由だけで、自由な恋愛を禁止されていた時代。一生一人の男に操を立て続けるという不文律。

聞こえてくるようだった。「なんてはしたない小説だ」「なんて羨ましい恋だろう」そんな当時の人々の声が。

読み終えて、初めて、「戦闘開始」の意味が分かった気がする。かず子の科白。「戦闘開始」。それは、著者自身の抵抗だったのかもしれない。彼を取り巻く時代と人々と自分自身への。


結婚するということ

私には、何だって出来るわよ。(中略)ヨイトマケにだってなれるわよ。(p,59)

ヨイトマケ。ヨイトマケの唄なら聞いたことがる。けど、その実態は、今の今まで知らなかった。

建築現場などでの地固めのとき、大勢で重い槌(つち)を滑車であげおろしすること。また、その作業を行う人。作業をするときのかけ声からいう。(デジタル大辞泉)

貴族。夫は大企業の重役で、その子女は将来を確約されていた時代。でもそれは、脆く、時代の波にのまれてゆく運命にあった。

主人公かず子はバツイチの出戻り女で、その昔は名を馳せた没落貴族。年老いた母と二人で暮らしていた。

生活力は無い。この時代の女性にとって、結婚とは何だったのか。ぼくは、今に言う、就職活動とまるで変わらないなと感じた。

そんなかず子が、ヨイトマケ、つまり、土方の仕事をしなければならなほど、家計はひっ迫していて、他の生き方を模索することを余儀なくされる。これは、小説の中だけの話じゃない。真実なんだ。

結婚の重みというのが、バツがつくことの意味が、年齢が、今とはまるで違った価値のあった時代だと気づかされる。

僕にこどもは産めないから

私、子供がほしいのです。幸福なんて、そんなものはどうだっていいのですの。お金はほしいけど、子供を育てて行けるだけのお金があったら、それでたくさんですわ(p,104)


衝撃だったのです。

夫や妻がいなくても、こどもが欲しいという人が一定数いることは知っていました。こどもが欲しくても出来なくて苦しんでる人もいて……。

僕は男だから、お腹を痛める経験ができない。逆立ちしたってそれは無理だ。だから、自分の子どもを生むという偉業も、幸せも感じることができない。少しだけ、いや、こどもに自分の人生をかけられるかず子が羨ましくてしょうがなかった。

男に母性はあるのだろうか?女に父性はあるのだろうか?

それはさておき、こどもを拠り所として生きようとするかず子。それとは真逆に、ただただ自分の性欲を解消したいがために愛だの恋を語る男。でも、両者もあまり変わらないのでは?と感じた。

ふと思ってしまう。男でも女でもない世界があってほしいなと。男でも女でもない一人から始まる物語がないものかと……。性のない世界、もしくは性自認のない世界で生きてみたいと考えてしまうのです。

まとめ


はばむ道徳を押しのけられませんか

「戦闘開始」に始まる、母が死に、かず子の恋の成就へ向けた後半。弟の死と、作家との間にできたこどもを作家の弟の恋した作家の妻に抱かせようとする手紙のラスト。

正直に言うと、前半までの感動は薄れてしまい、現実に連れ戻されたような気持ちになる。

現実は、とことん、それぞれの生きる道をひた走るのみだ。

不道徳とされる恋に走るかず子。生活力のなさと、世の中に絶望して、自殺を遂げる弟。描写に描かれる下卑た人間たち。

どれも人だ。自分の中にある何かしらの共通部分が、ちくりと指摘されたような気持ちになる。

『斜陽』の名言は「人間は恋と革命のために生まれてきた」といわれているけど、そんなことはないと思う。

「はばむ道徳をおしのけられませんか」

この一文に一番感銘を受けた。確かに誰もが何かと戦っている。

道徳感の希薄になった現代でも。

だから、ここでは書き直したいと思う。

「人間は生まれてきた幸せを感じるために生きている」と。



2020年8月19日

【読書】 斜陽 太宰治(恋すること生きること)

taiti










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