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うつ病・ニートだからこそ至れる「真の慰め」

私の妻は長年うつ病です。

時々

「私はニートだ。何の役にも立たない排泄物製造機だ」

絶望のつぶやき

と、つぶやきます。

要は「真の絶望」です。

こういった絶望に至ると、ベストセラーの新約聖書が真の慰めになります(私は今のところクリスチャンではありませんが)。

知らない人のために、以下、新約聖書の主要部(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書)を要約します。


丁度2000年ほど前、人間の真の生き方を説く「凄い人」が突然現れました。

その「凄い人」をみて「凄い!」と感銘を受ける人が続々と現れました。

しかし、それが逆に

「世間を乱している!」

2000年前にも世間はありました

と感じる人々も現れました。
そういった世間人が結託した結果


壮絶ないじめ


が起きてしまいました。具体的には、唾を吐きかけられ、葦で頭を叩かれたりしたそうです。そして、いじめの究極形態である(冤罪としての)死刑宣告も受けてしまいます。

その死刑で死ぬ直前でも、世間の「罵倒」がかなり激しかったようです。


私自身


「なぜ新約聖書が2000年も世界の人々の心を打ち続けているのか?」

2000年も生き続けていることに対する問い


という問いに対して、


このように、何も悪いことをしていない人(神?)が
世間から偏見を抱かれ、壮絶なイジメを受けて死んでしまったことが
背後に潜んでいるからなのではないか


と思い至っています。

この慰め(God bless you)の感覚を

共感・理解できますか?


うつ病に関しても


何も悪いことをしていないのに
世間から「ああしろ、こうしろ」と責め立てられ、
自己肯定感が押し潰されてしまったことが
背後に潜んでいる

と思い至っています。新約聖書とかなり似ていると思いませんか?



本当に神が全知全能で慈悲深いならば、
戦争やもっと身近ないじめが事実上起きてしまっている現実を
どう説明できるのか。

神など存在しないと結論付ける方がむしろ自然だ。

巷の人々の神観


と、宗教の神に対して、この程度の認識しか持っていない世間の人々

悟りを開いたとされる組織のトップ(カリスマ)が
「神・愛・宇宙の法則!」と叫び、
それに対して「ありがたやー!」と群がる下々の人々

カルトに近い)宗教の組織形態


といった胡散くさい宗教組織(というかカルト)の人々には決して理解されない感覚ですね(皮肉)