【OWLオムニバス】私の心に響くチャント
みなさまこんにちは、オムニバス担当のHarakoです。
Jリーグが声出し応援解禁の流れということで、今月はチャント=応援歌をテーマにしてみました。
私も先日、声出し応援実証実験の対象試合に行ってきました。
声出しエリアで観戦はしていませんが、久しぶりに聴いた両ゴール裏から響く歌声には、胸が熱くなりました。詳しくは記事にて!
もともとゴール裏で熱唱していた人も、そうでない人も、声のあるスタジアムが戻ってきた感動は同じだと思います。
そしてきっと誰にでも、声出し応援ができない間も心の中で歌い続けていたチャントがあるのではないでしょうか。
選手だけではなく自分の背中も押してくれる曲。
忘れられないスタジアムの光景と結びついている曲。
OWL magazine執筆陣にとって、そんな1曲とは?
それぞれのゴール裏に、耳を傾けてみましょう。
栃木SC「突撃」(さとうかずみ@むぎちゃ)
ゴール裏。
試合開始前、各々の座席、スペース、場所で「その時」を待つサポーター。
...…ぞろぞろとゴール裏中心部への「密集」が始まる。
ギュッと凝縮される。
そこにいる全ての人が肩を組み、正面のピッチを見据える。
今となってはコロナ対策には全く向かない様式。
ゴール裏以外に陣取る栃木サポーターも、その様子に(はじまるぞ)と構える。
スタジアム全体の空気が、「ピンッ」と張り詰め、
一瞬の静寂の後、
「黄~色い戦士ッッ!!!」
トラメガの電子回路な声がそれらを切り裂く。
「強い気持ちで~ぇ~ッ!!」と、凝縮した集団の声が 続く。
黄色い戦士
強い気持ちで
俺たちと共に
勝利掴み取れ
この街の誇り
栃木闘え
ア・カペラの大合唱。
シビれる。鳥肌が立つ。血が沸き立つ。
踏ん張る脚。背筋も伸びる。
武者震いとは、これだなと感じる。
まさに闘う前...…。着火寸前...…。
ラ~ラ~ 栃木SC!! ラ~ラ~ 栃木SC!! ラ~ラ~ 栃木SC!! 栃木SC突撃!!!!
「壮」なア・カペラの後、
太鼓の音、バスドラが加わり響く。もう一段階ギアが上がる。
そして、歌いながら「密集」がはらはらと解けて行く。定位置第二形態へ。
そして跳ねる。大旗が加わる。一気に派手な「動」へと変化する……、
……トップギア!!!
※冒頭約2分間が「突撃」
このチャント……いつ誕生したんだったかしら……
2015年だったろうか。
2016年、J3に落ちたシーズンだったかな……?
誕生からコロナで声出し応援が中止されるまで、
選手入場前の集中入魂の「儀式」となった。
栃木SCのチャントはどれもこれも、カッコイイのだ。
ひとつピックアップするのに、えらいこと迷ったのだ。
その中でも「突撃」は、静から動。 ア・カペラ。 まさに、私たちの届けたい「声」のみ。
今までにはないスタイルのチャントだった。
ア・カペラとは、そもそもは簡素化された教会音楽の様式のこと。
また、そこから転じて、教会音楽に限らず、声楽だけで合唱、重唱を行うこと。意味は「聖堂で」「礼拝堂で」の訳があげられ、起源として象徴的聖歌「グレゴリアン・チャント」がある。
「突撃」も、栃木SCホーム 聖地「グリスタ」「カンスタ」で歌われる、私たち栃木SCを信じ愛する者の象徴 、聖歌(チャント)である。
どうぞ、声出し応援が帰ってきた暁には、選手入場前、そそそ...と、栃木SCゴール裏が「密集」しだしたら、「お。はじまるぞ」と、注目してほしい。
空に吸い込まれる京都慕情。そして、とあるサポーターの話。(中村慎太郎)
新スタジアムができてよく話題にのぼる京都サンガだが、これは西京極の陸上競技場での話。
当時、サポーターは『京都慕情』というアンセムを、試合前に歌っていた。最近はあまりやらなくなったという噂も聞くがどうなのだろうか。
『京都慕情』の原曲は、青春ベンベケベンのギターリフでお馴染みのベンチャーズが作ったもの。
人に対する感情の深さ、複雑さという京都人らしさを音楽で表現している。 これをチャントにして、試合前に歌い上げるアンセムに採用したのだが、歌詞が多く難易度が高いとされていた。ぼくはチャントが好きなので『京都慕情』も民衆の歌(横浜F・マリノス)』も覚えてしまったのだが、サポーターはこの曲を浸透させるために苦労していたようだ。
西京極のスタンドに入るところで、サポーターから歌詞カードをもらった。 「是非一緒に歌いましょう!」
と爽やかに声がけしてもらったことを覚えている。それは、京都サンガが、J1昇格プレーオフでヴォルティス徳島に敗れた翌年のことであった。そのせいか紫魂、京都サポーターにはある種の哀愁が感じられた。
哀愁があることが、妙に京都らしく感じる。そして、その上で優しくされると胸が小さく締め付けられる。
そのあと、選手バスが現れたときに、サポーターがお迎えするのを眺めていたし、試合中も『紫魂』『イエローサブマリン』『REMEMBER』などの特徴的なチャントを歌うのを聴いていた。
西京極は平面的なスタジアムで、サポーターの声はほとんど反響することなく京都の空へと吸収されていった。
アレーアレー アレアレ
フォルツァ京都 アレアレ……
その試合は山瀬功治選手が活躍していたのと、伝説の男比嘉さんを生で見れたのが印象的であった。
それ以上に印象的なのは試合から少し経ったあとの出来事であった。
ぼくは勝手に京都サポーターにシンパシーを覚えていた。だから、金髪のコールリーダーの挙動やスタジアムでの振る舞いを何気なく観察していた。そして、いつかどこかで話せたらなぁ……、と何となく思っていた。
試合から約2ヶ月後。
京都サンガサポーターが運転する車が事故にあい、3名が重軽傷を負い、1名が死亡したという報があった。
アウェイ遠征の途中での事故とのことであった。どなたが事故にあったかは知らないし、面識もないし、話したこともない。しかし、このときのニュースは本当に辛かった。
西京極において、あの時の空気を共有したサッカー仲間が、先にいってしまったのだ。もし、ご存命ならどこかでお酒を飲みながらサッカー談義ができたかもしれないのに……。
面識はないのだが、もしかしたらぼくに話しかけてくれたサポーターだったかもしれない。そう思うととても苦しくなった。
ぼくは好きなチャントを聴かれたときに『京都慕情』と答えることが多い。あの日、西京極で歌っていたサポーターのことを思い出しつつ。
愛するサンガよ 俺たちと 共に歩んでいこう
喜び悲しみ分かち合い どんなときも側に居る
京都の誇り 胸に抱いて 鳳凰が如く羽ばたけ
誰にも負けない想い込め 全てを懸けて闘え 京都!!
ガイナーレ鳥取のホームゲームには「鳥男」が最も似合う(KAZZ)
ガイナーレ鳥取の試合前に歌われるチャント。
ご存知「鳥男」である。
原曲は、ガガガSPの「弱男」。
私は少なくとも2004年ぐらいからこれがあったのを知っている。その頃のマッチデープログラムに歌詞が印刷されていたのを確認している。
福岡ダイエーホークスの関西応援団が、「鷹の道」というタイトルでこの曲をチャンステーマとして採用していて、どちらが先にできたものか、という話が時々出て来るようだが、正直なところ、どっちでも良いと思っていたりする。
というか、そんな論争自体くだらないとさえ思う。良い曲だからそれを使い、広めただけなんだろう。それはホークスでもガイナーレでも同じことだと思っている。よく方々のチームで使っている「イエローサブマリン」なんて、その典型例みたいなものだ。どこが発祥かとか、そんな野暮は言いたくない。
単にあれは良い曲だから採用するチームが多いというだけの話だと思う。我がガイナーレ鳥取でもかなり前から採用していて、すっかりメジャーなチャントになっている。
というわけで、「鳥男」だ。
私がゴール裏で活動していた頃は、ずっとこれを歌ってきていた。コールリーダーなどという役目には縁がなかったが、歌う時は心底気合いを入れていたつもりだ。試合の冒頭だし、選手を迎え入れるテーマ曲でもあるのだから、気合いも入ろうというもの。
他チームでいうと、例えばヴィッセル神戸でいえば「神戸賛歌」みたいな位置づけだと思っていたりする。あの曲から試合が始まる、言わばファンファーレみたいなものだと思う。
やはりあれを聴くと胸が高鳴る。それどころか、ゴール裏を離れた今でも、時々歌いたくなることがある。長年、慣れ親しんだ曲だから、なおのことそうかもしれない。
あれが歌われてこそのガイナーレ鳥取のホームゲームという印象は、今でもとても強くする。昨今のコロナ禍で歌われなくなって久しいが、せめてYouTubeにあるこの曲のサンプル動画を流すことはできないものか、などと思ったりもする。
それだけでも、試合に向かう雰囲気が異なるように思う。応援する側もだし、実際にプレーする選手たちも恐らく同じだろう、などと勝手に想像してしまう。
それほど、この曲はガイナーレ鳥取の試合開始に向けてのファンファーレという役割を十二分に果たしていると考えても良い。
試合会場で声出しができるようになった時のどこかでスタジアムにいるとして、私はこの曲を聴いたら、それだけで感極まってしまうかもしれない。そんなバカなと思うだろうが、本当にそう思ってしまうのだ。
やはりこの曲は、ガイナーレ鳥取のホームゲームが一番似合う。
青空に溶けるアンセム(薄荷)
忘れられない体験がある。
2018年最終節、松本山雅FC vs 徳島ヴォルティスの一戦が始まる前のことだ。
よく晴れた、信州松本の11月。
いつも以上に隙間なく、緑色に染め上げられた観客席に、眩しくて目を細める。
呼吸するたび、冴え冴えとした空気が肺の奥に突き刺さる。頬に触れるその冷たさをよく覚えているのは、これから始まる試合に向けて昂ぶる感情に、身体じゅうが滾っていたからだ。
この日は、松本山雅FCのJ2優勝と、2度目のJ1昇格をかけた試合だった。
空気が違っていた。何か特別なことが起こる前の、神聖な静寂があった。
こんなに多くの人がいるのに、とても静かだ。学校の式典で校長先生が登壇する直前のような、落ち着かないながらも姿勢を正してしまう、あの感じ。
ざわざわと足踏みしながら、誰もがその時を待っていたと思う。
太鼓は、なかった。歌だけが始まった。
どんな時でも、俺たちはここにいる
愛を込めて叫ぶ、「山雅が好きだから」
その瞬間、ぶわっ、と全身が粟立った。
声が、アルプスの風に乗って空へと昇っていく。そんな感覚を覚えるほどに、厳かで、凜とした空気。
2万人近い松本山雅FCサポーターによる、完璧な斉唱だった。
まるで讃美歌でも歌っているかのような、澄んだ高揚感が全身を満たす。
ここは、どこだろう……。
通い慣れたアルウィンのはずなのに、どこか遠く外国のスタジアムにでもいるかのよう。夢見心地にそんなことを思いながら、身体は呼吸をするように歌っていた。
いったいどんな気持ちで、選手たちはこの光景を見ているのだろう。この歌声を聴いて、何を思っているのだろう。
この時、この瞬間、私たちは間違いなく日本で一番のサポーターだった。
涙が出そうだ。まだ試合が始まってもいないのに。
「Onesou1!!」
スタジアムいっぱいにチームスローガンを轟かせ、人差し指を高く突き上げる。
いつもの熱が戻ってくる。私のよく知っているアルウィンの温度に沸く。
そんな、儀式を終えた後の宴のような熱狂のなかで、選手入場が始まる。どの選手も、四面の観客席を見回しては嘆息しているように見えたのを、今も覚えている。
その日、松本山雅FCは、J2初優勝という結果とともにJ1昇格を決めた。
大混戦の昇格争いに終止符を打つ試合のラスト4分間、「山雅が好きだから」の大合唱が途絶えることはなかった。
アルウィンには何度も足を運んでいる。もちろん、これからも通い続ける。
けれど、このとき以上の体験は、もうないかも知れないと思っている。
あるいは、再びおとずれるそんな瞬間を求めて、私はまたチャントを歌える日が戻ってくるのを待っている。
すべてはゴール裏のドアから始まった(Harako)
7月6日。
私は味の素スタジアムで、ゴール裏の声出し実証実験エリアからとあるチャントが聴こえてくるのを、今か今かと待っていた。
FC東京を応援するようになったのは、大学時代に味の素スタジアムでアルバイトしていたことがきっかけだ(プロフィール欄の記事参照)。
某大手イベント運営会社の派遣スタッフとしてチケットもぎり、案内、物販などを担当していた。スタンドへの入り口で席種の確認や案内をするのも、業務の1つ。ゴール裏のドアに配置されることもあった。
試合中ずっとコンコースのドアで過ごした経験がある人は少ないのではないだろうか。あの場所は、ゴール裏のサポーターが発する声がダイレクトに伝わってくる。
局面ごとに歌われるたくさんのチャント。
いいプレーを見せた選手名を連呼するコール。
惜しいシーンでの落胆の声、ときにはブーイング。
そしてゴールが決まれば、比喩ではなく足元が揺れるほどの大歓声。
次々と耳から飛び込んでくるスタジアムの喜怒哀楽に、仕事中なのを忘れて没入してしまうこともあった。反省している。
FC東京のことは何も知らず始めたバイトだったが、こうして「ゴール裏リスナー」を続けるうちに、私は少しずつチャントを覚えた。
試合を盛り上げる「君の瞳に恋してる」や「コーヒールンバ」。得点したら「東京ブギウギ」。勝利へのカウントダウン「眠らない街」——。
ふと気がつくと、落ち込んだときに頭の中で、1曲のチャントが流れるようになった。
「俺らがついてるぜ」だ。
おー俺の東京 今日も行こうぜ勝利めざし
行け行けよ東京 いつも俺らがついてるぜ
誰がなんと言おうと まわりは気にするな
自分を信じていれば 勝利はついてくる
上京したばかりで、やりたいことは山のようにありつつ、知識も自信もエネルギーも足りず、不安だった私。まさしく、まわりを気にしまくっていた。
このチャントは、そんな私の背中を、優しく熱く押してくれた。
くじけそうになったとき。周りと自分を比べて落ち込んだとき。誰かの心ないひと言に傷ついてしまったとき。いつもサポーターの歌声が聴こえてきた。
誰がなんと言おうと まわりは気にするな
自分を信じていれば 勝利はついてくる
地方に赴任してFC東京の試合をほとんど見られなかった時期も、ようやく東京へ戻ってきたらコロナ禍で声出し禁止になった時期も、心の中のチャントが途切れることはなかった。
そして2002年7月6日、味スタ。
3-0で迎えた後半30分すぎ。
ついに「おー俺の東京 今日も行こうぜ……」の合唱が始まった。心なしかコロナ禍前よりも大きくなった気がする歌声は、数分にわたって続き、スタジアム中に、そして私の心に響きわたった。
コンコースのドア横で初めてこのチャントを聴いてから、10年以上。
大学を卒業し、就職し、なんとか仕事を続けてここまで歩いてこられたのも、すべて「俺らがついてるぜ」のおかげ……、というのはさすがに大げさだが、私の人生に欠かせない一曲であることは間違いない。
私はこれからも、「俺らがついてるぜ」を心の中で歌いながら生きていくだろう。
スタジアムでも、早く歌いたいな。
いつも仲間だぜ!小瀬に響く「We are Kofu」の決意(リセル)
2017年12月2日、J1リーグ最終節。
J1残留の残り一枠を争うヴァンフォーレ甲府は、後半アディショナルタイムにリンス選手が決勝ゴールを決める。
甲府サポーターは狂喜乱舞し、しばらくして試合終了の笛が鳴った。
勝利の喜びは、ほんの一瞬だった。
「あー、清水勝ったね」
後ろの席にいた人が抑揚のない声でつぶやく。
甲府がJ1に残留する条件はただ一つ。最終節に勝利を収めた上で、清水エスパルスが敗戦する。それだけだった。甲府の吉田達磨監督にも、スタッフから清水の勝利が伝えられ、吉田監督はうなだれていた。
残留圏のクラブと勝ち点1差でJ2降格が決定。
来シーズンからはJ2で戦うことになる。
私をはじめ、甲府サポーター皆その事実を飲み込めないまま、最終戦後のセレモニーを迎えた。決勝ゴールを決めた直後の歓喜が嘘のように、小瀬は終始静まり返っていた。
セレモニーが終わり、選手や監督、スタッフがスタジアム内を周回し始める。J1時代しか知らない私にとっては、初めて味わう降格の瞬間。悔しさと来シーズンへの不安で、私はメインスタンドからスタジアムの様子を呆然と見ることしかできない。
その時だった。
ウィア甲府 ラララララ ウィア甲府 いつも仲間だぜ
ラーラララララ ラーラーラー ウィア甲府
ゴール裏のサポーター達が「We are Kofu」のチャントを歌い始めたのだ。
2017シーズンは6試合連続無得点の時期もあり、シーズン総得点は23。深刻な得点力不足で1点に泣いた試合は数知れず、本当にあと1点取れれば残留できたのかもしれないのだ。
そしてその結果、J2降格が決定した。この場で怒号や罵声を浴びせることもできるだろう。
しかしそれでもゴール裏のサポーターは「いつも仲間だぜ」と歌っている。
良い時だけでなく悪い時も、どのカテゴリーにいても、クラブとサポーターは「仲間」なのだ。
力が抜け切っていた自分の体に、何かが湧き上がった。
ヴァンフォーレ甲府がある限り、甲府サポーターとしていつも、いつまでも仲間でいよう。
仲間は、仲間の頑張りを否定しない。仲間が辛い時は励まし、支え、後押しする。
これからJ2という茨の道が待ち構えていようと、仲間のために精いっぱい応援する。
小瀬に響き渡る「We are Kofu」に、私は甲府サポーターとしての決意を新たにした。
2022年現在、甲府はいまだJ1昇格を果たせていない。
それでも私は今もこの思いを胸に、甲府を全力で応援している。
いつも仲間だぜ!
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サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…