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天皇は「国見」をする件

▼昔々、天皇が、高い場所から「国土を見る」ことを「国見(くにみ)」と言った。

この「国見」をキーワードに、評論家の片山杜秀氏が朝日新聞2016年8月24日付に文芸時評を書いていた。

題材は、明治神宮をテーマにした朝井まかて氏の『落陽』。

▼〈(新聞記者の)主人公は先帝の事跡を追う。やがてひとつの仮説にたどりつく。明治天皇の徳や恩を支えていたのは、天皇は現人神(あらひとがみ)という建前論より、もっと生々しい行為、国見(くにみ)ではないか。

 『万葉集』の舒明(じょめい)天皇の歌にこうある。「天の香具山登り立ち国見をすれば国原は煙立ち立つ」。山上から国を見て民の飯を炊(た)く煙に安堵(あんど)する。明治天皇も繰り返し国中を回った。近代的交通機関が未だ不十分な明治初期に北海道まで行った。〉

▼近代以降も、天皇は国見をする存在であり続けた。太平洋戦争に敗れた後、昭和天皇は「人間宣言」を発表した。そのなかにいわく、

朕(ちん)ト爾(なんじ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、

終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依(よ)リテ結バレ、

単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ

片山氏は、この言葉を「国見」とリンクさせる。

「人間宣言」は難しい言葉だが、引用は要するに、天皇と国民とは、神話や伝説ではなく、「お互いの信頼と敬愛」によって結ばれる、という意味だ。『落陽』と人間宣言を受けて、片山氏は以下のように分析する。適宜改行。

〈象徴天皇の行為は一種の国見と切り離せない。そうもとれる。天皇が神性を除かれれば、国民が天皇を一方的に崇敬する構図は成り立たない。

残るのは「相互ノ信頼ト敬愛」。自然にできる感情ではない。具体的な行為で作るものだ。国見だろう。

象徴天皇とは国見により国民とつながり、国見が困難になれば退位も辞さない。(中略)

国見の思想と戦後民主主義が切り結ぶと、象徴天皇は旅人になる。野を行き山を行き、国民と共感共苦する天皇。それができなくなれば退かれる天皇。〉

▼片山氏の分析は面白い。いわれてみれば、まさに天皇は旅人である。旅ができなくなれば天皇は、天皇の役割は果たせない。また、この役割は、交通手段が飛躍的に発達した近代以降だからこそ、成り立つものでもある。

▼これから天皇が旅する国土には、日本国籍を持たない人々が、かつてない規模で住むようになる。その人数は、今生きている日本人が経験したことのない多さになるだろう。

個人的な希望だが、「すぐ」だと角が立つので、2020年の東京オリンピックの後、令和3年くらいまでに、天皇皇后両陛下には、日本国籍を持たない人々が通う日本語学校を訪問していただきたい。

なぜなら、それは上皇陛下の思想を受け継ぐものだと思うからだ。

2001年、上皇陛下は誕生日の記者会見で、以下のように発言した。

有名な「ゆかり発言」だ。

要するに上皇陛下は、天皇として、「天皇の先祖には朝鮮半島出身の人がいる」という事実を公言したのである。それは必然的に、天皇家は「国籍」などという近代以降の底の浅いものの見方に閉ざされたものではない、という表明にもなった。

〈日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。

▼筆者の希望は、それほど非現実的なものではないと思う。

(2019年5月1日)

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