日本語の「誤用」考ーー飯間浩明氏の指摘

▼10年ほど前と比べると、テレビで言葉を「かむ」人について、笑ったり、論(あげつら)ったりする場面をとてもたくさん目にするようになった。

もちろん、アナウンサーが原稿を間違えるのはよくないが、原稿を読むのが本職ではない人が、ちょっと言葉に詰まったり、言い直したりするのは当たり前の話だろう、かんだ時のテロップでの強調も含めて、なんであんなに事細かに突っ込むのか不思議だ。

「話し言葉」だけでなく、「書き言葉」も含めて、日本語の間違いに不寛容になっている状況について、その経緯をとても明快に解き明かしている記事があった。国語辞典編纂者・日本語学者の飯間浩明氏へのインタビューだ。2018年8月29日付朝日新聞。聞き手=中島鉄郎記者。

■「誤用」に目くじら立てるのは「戦後」の風潮

〈ーー最初は正しくなくても、使う人が過半数になると、「正しい」に格上げされる?

 「いや、ある言葉や用法を、簡単に『誤用』と決めつけてはいけないということです。そもそも私は、言葉の使い方を正誤でとらえる規範意識は新しくつくられたのではないかと疑っています

 --どういう意味でしょう。

 「長い日本語の歴史の中で、ある言葉の使い方が誤用だとか、正しくないとかいう批判が現在ほどあふれる時代はないのです」〉

▼ここで飯間氏は、清少納言が若い世代の言葉使いの乱れにがっかりする話や、17世紀の俳人、安原貞室が言葉の正誤について書いた話に触れる。しかし、清少納言のがっかりは「個人的な感想」であり、「誤り」とは書いていないし、安原貞室も正誤の判断について「『他人のために記すにあらず』と押しつけてはいません」という。面白い。

〈ーーなぜでしょうか。

 「日常の言葉はそもそも全て俗語であり、他人の言葉に目くじらを立てる風潮がなかったからです。その一方で、書き言葉の基本となる漢字は、正字か、誤字か、といったことが厳格に考えられました。鳥と烏、千と干を間違えたら伝わらないからです」

 --ではいつから「正誤」にこだわるようになったのでしょう。

 「近代、特に戦後からです。高度経済成長のあと、1975年前後から丸谷才一『日本語のために』、鈴木孝夫『閉された言語・日本語の世界』などが刊行され日本語ブームが起きました。『日本とは何か』といった、日本のアイデンティティーへの関心が高いのが特徴でした」

 「同時期に『あなたの日本語は間違っている』という内容の本も出始めました。例えば75年の『崩れゆく日本語』は、『あなたの日本語はこんなに乱れている』との副題で、新聞、雑誌、テレビなどの『誤用』を片っ端から指弾しています。このころから人々に『間違ったら恥ずかしい』という意識が強まってきたとみています」

 --日本語ブームが人々の言葉への意識を変えたのですか。

 「背景には、漢字のトメハネを必要以上に厳格化して、正誤をつけやすくした国語教育もあるでしょう。また、マスコミの用語本が書店で売られ、一般にも浸透しました。人々の関心は高く、言葉がビジネスにもなったのです。テレビのクイズ番組の影響も大きかったですね。視聴者参加型が増え、言葉を題材に『本来の正しい意味は?』などと出題されます。日本語学者が監修についても、どうしても正解か不正解か、単純化して分けられてしまいます」

 「一方で辞書自体が〇×に加担し、『冤罪』を作り上げた例もありました。『爆笑』は長らく、多くの辞書で『大勢で笑うこと』とされ、一人での笑いは指さないと受け取られました。しかし戦前の作家が、一人での笑いに使っていた例はいくつも見つけられます。三省堂国語辞典は第7版で『何人でもよい』と注釈しました」〉

▼もしかしたら、社会の「文書主義」が徹底されるようになってから、正誤をあげつらう風潮、テレビで言葉を「かむ」人を笑う風潮ができたのかもしれない。

■「自分基準」だけではコミュニケーション不全に

▼そして、インターネット内での会話について。

〈「私たちはまだ不特定多数との会話に慣れていません。ネット上の相手が何を伝えたいのか想像できない人もいます。誰かが『暑いな、地球温暖化?』とつぶやくと、温暖化ではないと指摘する人がいます。『すごく暑い』ことを伝えたい、という人の気持ちを受け止めようとしないのです」

 「他人を尊重するには、自分とは違う言葉の使い方があると認め、その意味にも関心を向けることが大事です。自分の基準だけで言葉を使っていると、コミュニケーション不全を来します。言葉の面でも、自分と違う他者に対する寛容さや配慮が必要なんです」〉

▼インターネットという、これまで経験したことのない会話の「場」が、言葉の正誤をめぐる無数の不毛な「マウンティング」を生み、使う人の心をササクレ立たせている。

「自分の基準だけで言葉を使っている」人の貧しさや浅さを、可視化、見える化する縁(よすが)は、インターネットの中には、なかなか見当たらない。

(2018年11月11日)

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