ドイツのメルケル首相、党首辞任へ

▼2018年10月30日付朝日新聞に、二つの大きな国際記事が載った。一つは1面トップで〈独メルケル氏、党首辞任へ〉、もう一つは〈新大統領「ブラジルのトランプ」/ボルソナーロ氏「自国第一」SNSで主張/軍事独裁政権を賛美〉。共通するテーマは「民主主義」だ。

【記事1】〈ドイツのメルケル首相(64)は29日、与党キリスト教民主同盟(CDU)の党首を辞任すると表明した。12月の党大会で党首選への立候補を断念する。今月14日と28日の二つの州議会選挙で歴史的な大敗を喫し、党人事の刷新が不可欠と判断した。首相職は2021年秋の任期まで続ける意向だが、国内外での指導力の低下は必至だ。〉

【記事2】〈極右ポピュリストの大統領が南米でも誕生した。28日投開票のブラジル大統領選の決選投票で、元軍人ジャイル・ボルソナーロ下院議員(63)が当選を決めた。「自国第一」や軍事独裁政権を賛美する過激な発言で知られ、異名は「ブラジルのトランプ」。人口世界5位の大国は、なぜこの候補を選んだのか。〉

▼ドイツは「難民」「移民」、ブラジルは「汚職」が大きな要因になった。国によって要因はさまざまだが、世界のあちらこちらで、「民主主義下の選挙」という仕組みと「SNS」の普及によって、民主主義そのものを否定する動きが進んでいる。

「民主主義」という言葉は、もともとは「悪い言葉」だった。平凡社の『世界大百科事典』によると、プラトン、アリストテレス以来、〈民主主義を統治の一形式ととらえ、しかもそれを否定的にしか評価しないという考え方は、その後近代にいたるまで、ヨーロッパ各国の統治構造が例外なく王政的ないし貴族制的であった事実と対応して、少なくとも18世紀末まで、ほとんど揺るぎのない共通の了解であった〉(半沢孝麿、以下同じ)

この事典の記述を追いながら、「民主主義」の歴史をおさらいしてみよう。

〈今日みられるように、民主主義がプラスの価値として自明化したのは、19世紀中を通じて戦われた、それまで政治の世界から排除されてきた民衆による権力参加、または権力奪取の激烈な運動と、その帰結である20世紀前半における各国での普通選挙制実現以後のことである。この過程で、民主主義という言葉は、最初はむしろそれら民衆運動を否定する伝統的語法で用いられ、その中から、しだいに戦う民衆の自己実現へと転化していった。

〈近代において民主主義が強く意識されはじめたのはアメリカ独立革命およびフランス革命である。そのいずれにおいても、イデオロギーのレベルに先行して事実のレベルでの民衆エネルギーの解放があったが、その意味を敏感に感じとって、対抗の理論武装を急いだのはまず支配層であった。

〈フランス革命以後19世紀末まで、ヨーロッパのどの国でも、民主主義は、当初は主として旧貴族や地主、後には資本家という支配層と対立する民衆の戦いの言葉であった。

民主主義の歴史的不可避をいち早く洞察した支配層が、むしろ民主主義シンボルを先取りして権力基盤の強化を図ったこともあった。はやくも1830年代初期のイギリスで、後の首相たる若きB.ディズレーリが、イギリス社会は完全な民主的社会であり、しかもその民主主義はフランスとは異なってもっとも高貴な民主主義であると称して、貴族と労働階級による中産階級の挟撃を企てたこと、国民投票によって帝位についたナポレオン3世が、みずからの権力を〈国民の民主的精神〉によって正当化しようとしたことなどがそれである。〉

かつては民衆の戦いのシンボルだった民主主義は、今やあらゆる政治権力者が自己の地位と政策の正当化を訴えるシンボルへと大転換をとげた。いずれも国民の総力戦となった二つの世界大戦が、政治権力にとって民主主義シンボルの重要性をさらに促進することになった。〉

▼つまり、民主主義が「いい言葉」として定着したのは20世紀前半、とくに1945年前後であり、それから2018年まで、わずか70年ちょっとしか経っていない。「民主主義」はとても若い言葉であり、しかもこの200年で意味が激変していることがわかる。ということは、これからの200年で再び意味が激変しないとも限らない。

▼もう一つ、民主主義について考えさせられる研究に触れておく。岩波の「世界」2017年2月号に載った「民主主義の脱定着へ向けた危険 : 民主主義の断絶」という論文だ(ロベルト・ステファン・フォア氏とヤシャ・モンク氏の共著)。この論文のポイントを一言でいうと、「世界中で、軍による統治に賛同する人が増えている」ということだ。具体的には、彼らが行なった「世界価値観調査」(ウェーブ3からウェーブ6、1995年ー2014年)で、〈世界中のほぼ全ての地域で、高所得者層の方が低所得層よりも「軍が統治すること」に賛同する傾向が見られる〉。

さらに、

注目すべきは、非民主的な政治制度への寛容性が特に裕福な若者の間で強まっていることである。

〈歴史的にみて20世紀後半のわずかな期間を除き、民主主義は多くの場合、貧しい者からの再分配の要求に応えることを意味し、したがってエリートからは懐疑的な目でみられてきた。つまり西洋諸国の富裕層が民主的な制度への嫌悪感を深めているという近年の動向は、歴史的な規範への回帰に過ぎないのかもしれない。

▼この調査がおこなわれた2014年以降、政治家の独裁傾向を強めているのはSNSである。SNSという前代未聞の道具を使って生みだされる新しい思想によって、これまでの文明のかたちそのものが変わるのかもしれない。

(2018年11月2日)

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?