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法人は個人を守らない話 芦原妃名子氏の死について

▼マンガ家の芦原妃名子(あしはらひなこ)氏が2024年1月29日、亡くなったことが報道された。そのニュースを携帯電話で見た時、思わず声を上げてしまった。それまでの経緯も、携帯電話で見ていたからだ。

▼芦原氏は『セクシー田中さん』(小学館)というマンガの原作者であり、先日、日本テレビが2023年10月期の枠でドラマ化した。

▼以下、インターネット内で目にした、価値ある発言を、時系列でメモした。

これは、個別の事例にとどまる話ではなく、構造的な問題であると考える。具体的には「脚本の問題」だが、その構造を要約すると、

「法人は、法人自身を守る。個人を守らない」

という話である。

▼芦原氏の死に至る、インターネット内での、事の発端は、日テレのドラマ「セクシー田中さん」の脚本(1話から8話まで)を担当した相沢友子氏の、2023年12月24日のインスタグラム投稿だった。

該当部分は、以下のとおり。

〈最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。〉

どういうことかというと、ドラマは全10話だったのだが、相沢氏が担当したのは第8話まで。第9話と第10話は、原作の芦原氏が担当したのだった。

▼相沢氏は、芦原氏のことを「原作者」と書いており、敬称を付けていない。そして、「困惑」し、「残念ながら」仕事をした、という感想を述べている。

これは「原作者である芦原のわがままのせいで、私は脚本を外され、迷惑した。不本意だ」と公言した、と読める。

▼この相沢氏の投稿の2日後、原作者の芦原氏が、なぜ最後の2話分の脚本を担当したのかについて、詳細な説明文を、自身のブログに投稿した。

それを読むと、芦原氏は、第1話から、大いに脚本に関わっていたことがわかる。そして、なぜ関わったのか、関わらざるを得なかったのかの理由も、明示されている。

芦原氏の文章を読み、筆者は感銘を覚えた。改行は適宜。

■芦原妃名子氏のブログ全文

2024.01.26 Friday 14:31

〈ドラマ「セクシー田中さん」をご視聴いただいた皆様、ありがとうございました。

 色々と悩んだのですが、今回のドラマ化で、私が9話、10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った経緯や事情を、きちんとお伝えした方が良いのではと思い至りました。

この文章を書くにあたって、私と小学館で改めて時系列にそって事実関係を再確認し、文章の内容も小学館と確認して書いています。

ただ、私達は、ドラマの放送が終了するまで、脚本家さんと一度もお会いすることはありませんでしたし、監督さんや演出の方などドラマの制作スタッフの皆様とも、ドラマの内容について直接、お話させていただく機会はありませんでした。

ですから、この文章の内容は私達の側で起こった事実ということになります。

「セクシー田中さん」は一見奇抜なタイトルのふざけたラブコメ漫画に見えますが…。

自己肯定感の低さ故生きづらさを抱える人達に、優しく強く寄り添える様な作品にしたい

という思いが強くあり、ベリーダンスに纏わる方々の思いにも共鳴しながら、担当編集と共に大切に描いてきた漫画です。

ドラマ化のお話をいただき、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただきながら、最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした。

「セクシー田中さん」は連載途中で未完の作品であり、また、漫画の結末を定めていない作品であることと、当初の数話のプロットや脚本をチェックさせていただいた結果として、僭越ではありましたが、ドラマ化にあたって、

・ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」。漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正をさせていただく。

・漫画が完結していない以上、ドラマなりの結末を設定しなければならないドラマオリジナルの終盤も、まだまだ未完の漫画のこれからに影響を及ぼさない様「原作者があらすじからセリフまで」用意する。

原作者が用意したものは原則変更しないでいただきたいので、ドラマオリジナル部分については、原作者が用意したものを、そのまま脚本化していただける方を想定していただく必要や、場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある。

これらを条件とさせていただき、小学館から日本テレビさんに伝えていただきました。

また、これらの条件は脚本家さんや監督さんなどドラマの制作スタッフの皆様に対して大変失礼な条件だということは理解していましたので、「この条件で本当に良いか」ということを小学館を通じて日本テレビさんに何度も確認させていただいた後で、スタートしたのが今回のドラマ化です。

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました。

・漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう。

・個性の強い各キャラクター、特に朱里・小西・進吾は原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される。

・「性被害未遂・アフターピル・男性の生きづらさ・小西と進吾の長い対話」等、私が漫画「セクシー田中さん」という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない。

といったところが大きなところですが、他にも細かなところは沢山ありました。

「枠にハマったキャラクターに変えないでいただきたい。私が描いた「セクシー田中さん」という作品の個性を消されてしまうなら、私はドラマ化を今からでもやめたいぐらいだ」と、何度も訴え、どうして変更していただきたくないのかということも丁寧にご説明し、粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1〜7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。

脚本家さん、監督さんといったドラマ制作スタッフの皆様と、私達を繋ぐ窓口はプロデューサーの方々のみでしたから、プロデューサーの方々が当初「ドラマ化の条件」として小学館から日本テレビさんに伝えていただいた内容を、どのように脚本家さんや監督さん、ドラマ制作スタッフの皆様に伝えていらっしゃったのか、残念ですが私達には知る術はなく、当初お伝えした「ドラマ化の条件」はどうなってしまったのだろう?という疑問を常に抱えた状態での加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。

そして、私があらすじ、セリフを準備する終盤のドラマオリジナル展開は8話〜10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8話〜10話まとめて提出されました。

特に9話、10話の改変された脚本はベリーダンスの表現も間違いが多く、ベリーダンスの監修の方とも連携が取れていないことが手に取るように分かりましたので、

「当初の約束通り、とにかく一度原作者が用意したあらすじ、セリフをそのまま脚本に落としていただきたい」

「足りない箇所、変更箇所、意見はもちろん伺うので、脚本として改変された形ではなく、別途相談していただきたい」

といったことを、小学館から日本テレビさんへ申し入れをしていただきましたが、その後も、大幅な改編がされたプロットや脚本が提出され、それを小学館サイドが「当初の約束通りに」と日本テレビさんにお戻しするという作業が数回繰り返されたと聞いています。

最終的に、日本テレビのチーフプロデューサーの方から「一度そのまま書くように」との指示が出たとも伺っていましたが、状況は変わらぬまま約4週間が過ぎてしまいました。

ドラマの制作スケジュールのリミットもどんどん迫っていましたので、本当はドラマオリジナルとなる8話〜10話全ての脚本を拝見してオリジナル部分全体で、加筆修正をさせていただきたかったのですが、8話だけ、何とか改変前の内容に修正させて頂いて、日本テレビさんにお渡しすることになってしまいました。

9話、10話に関する小学館と日本テレビさんのやりとりを伺い、時間的にも限界を感じましたので、小学館を通じて9話、10話については、当初の条件としてお伝えしていた通り、「原作者が用意したものをそのまま脚本化していただける方」に交代していただきたいと、正式に小学館を通じてお願いしました。

結果として、日本テレビさんから8話までの脚本を執筆された方は9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき、脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、という解決策となりました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。

素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。

漫画「セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。

9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。

どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、改めて、心よりお詫び申し上げます。

最後となりましたが、素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、ドラマの制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画とドラマを愛してくださった読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

2024.1.26

芦原妃名子

※こちらのブログ、10年も放置してしまったため、1日の訪問者数が既に一桁でして…なので今回、X(旧Twitter)新規アカウントを作って、同時にご報告させていただいてます。

芦原妃名子〉

▼芦原氏の訃報を知る前に、筆者が読んでいた文章は、先の相沢氏の投稿と、この芦原氏の投稿の二つだった。

▼この文章を読んで感じた最大の問題点は、「ドラマ化の条件」をめぐって、「契約」という言葉が一言も出てこないことだ。

おそらく、何の契約書も交わしていない。つまり、日本テレビも、小学館も、原作者個人の権利を守る気がなかった。もし、契約書を交わしていたとしたら、それは反故(ほご)にされており、それが日本のテレビドラマ業界では常態だ、ということを示している。

これは、他の国では、「お話にならない」話、にカテゴライズされるのではないだろうか。

また、芦原氏の投稿が事実であれば、第1話から第8話も、「脚本 相沢友子・芦原妃名子」とクレジットされるべきだったと思うが、日本テレビのルールは知らない。

▼芦原氏の投稿の後、部外者が投稿した二つの文章をメモしておく。

■市川大賀さん(@ArbUrtla)が7:49 午後 on 土, 1月 27, 2024にポストしました:

〈伊藤さんと同じことは僕も感じていて。ドラマ化はOKしたんだけど、ドラマの脚本か出来で激怒し、原作権を引き上げた女性漫画家さんがいて、2作品あるんだけどそれぞれ『ナースのお仕事』『向井荒太の動物日記 〜愛犬ロシナンテの災難』というタイトルに変更された。〉

https://t.co/WTXBUhVP3C

(https://x.com/ArbUrtla/status/1751195838897172730?t=PFiKwb5fHi2nR3Vo8Hspfg&s=03)

▼この「女性漫画家さん」は佐々木倫子氏だ。これまでに起きた、原作側と製作側のこうしたトラブルは、今、インターネットの中で探せば山のように見つかる。

■福井健策 FUKUI, Kensakuさん(@fukuikensaku)が8:58 午前 on 日, 1月 28, 2024にポストしました:

〈「セクシー田中さん」で、ドラマ化と著作者人格権が話題になっていますね。

内実を存じ上げないのでこの件に個別コメントはできませんが、著作者人格権(同一性保持権)は自動的に生じます。よって事前合意にない、原作者の意に反する改変があれば基本的には侵害で、差止・賠償請求すら可能です。〉

(https://x.com/fukuikensaku/status/1751394163487347078?t=Y7QjCxodMeFa_LK69Z17iw&s=03)

▼ここで言及されている同一性保持権=著作者人格権は、かなり強い権利であり、とても重要だ。

▼さて、芦原氏がブログに投稿した2日後(2023年12月28日)、脚本家の相沢友子氏が、インスタグラムに投稿した。

〈今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように〉

▼ここで相沢氏は、脚本家である自分が脚本から降ろされ、かわりに原作者が脚本を担当した事実について、「この苦い経験」「どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」と書いている。

もしかしたら相沢氏は、芦原氏のブログを読んでいなかったのかも知れない。また、日本テレビのプロデューサーたちは、脚本の相沢氏に、日本テレビが原作の芦原氏・小学館と約束した「ドラマ化の条件」を、まともに共有していなかった可能性がある。

そもそも、先にも書いたように、「ドラマ化の条件」が、ただの口約束だったのか、箇条書きのメモだったのか、法的拘束が生じる書類だったのか、わからない。

この観点から見れば、脚本家という個人も、その権利は守られていないことになる。

▼同じく2023年12月28日午後1時の、芦原氏による旧ツイッター(Twitter、現X)への投稿。

〈攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。〉

芦原氏は先のブログ投稿を削除した。

▼翌29日、芦原氏の死が確認された。死に至った原因はわからない。

▼なぜ、相沢氏は12月24日に「困惑」と「残念」の投稿をしたのか。その背景は。

▼そして、「芦原氏と小学館」が説明文を公表した後、「日本テレビ」はどういう反応をしたのか、しなかったのか。個人的には、この1月26日から1月28日にかけて、日本テレビ側がどのように振る舞ったのか、検証が必要だと考える。

▼以下、筆者が「この発言からは、学ぶべきことがある」と感じた、さまざまな人の声を列挙する。

■大島育宙【ドラマ考察/評論/実況/無限まやかし】さん(@zyasuoki_d)が6:02 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈企業名で仕事してる組織人たちが
個人名で創作してる表現者から
努力と作品とファンとの関係性を
都合の良いところだけ頂戴して
やるべき大人の仕事もそこそこに
大人の事情や納期を盾にして押し切り
心理的皺寄せが創作者に集まっても
ケアすらできない関係性で
次の枠の話しながら打ち上げしてる。〉

(https://x.com/zyasuoki_d/status/1751893591675551939?t=ff1TQNQxYhRvPvZJptEYcA&s=03)

▼痛烈な批判だ。ここに、今号のタイトルと重なる表現が出てくる。「企業名」と「個人名」である。法人と個人とは、まったく異なる論理で動く。

■椹野道流フシノミチルさん(@MichiruF)が6:17 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈版元は、作家と共に著作物を守ってくれ。頼むよ。ほんとに。〉

(https://x.com/MichiruF/status/1751897250136281128?t=vdIBpyOdieOvuMqPwUH7gQ&s=03)

▼ここでいう版元は小学館を指すが、すべての版元に対する叫びだ。1月26日から28日にかけて、小学館はどのように動いたのかも、検証が必要だ。

■近藤ようこさん(@suikyokitan)が6:35 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈担当者の方とか同じように辛い思いをしていただろうけど、漫画家の味方は出版社しかないので、もっとなんとかならなかったのかな。〉

(https://x.com/suikyokitan/status/1751901841028436013?t=-kdoW3AO_Gh4UyRC_ibTSQ&s=03)

▼「漫画家の味方は出版社しかない」という一言が重い。この投稿の焦点も、法人と個人との関係だ。

もっとも、小学館の担当編集者は、芦原氏のブログによると、芦原氏とともに苦労していたようだ。しかし、担当編集者が法人の姿勢を「なんとかなる」ところまで変えるには至らなかった。

■愛本みずほ〖愛しい嘘優しい闇〗1〜6巻発売中さん(@mizuho_aichan)が6:45 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈あの長い事情説明はさ、先生個人じゃなく編集部か小学館が出すべきだったと思う。もう結果論だけど。残念すぎる。〉

(https://x.com/mizuho_aichan/status/1751904436010803323?t=D5y3YDqJLJsGYovR3J2uHw&s=03)

▼筆者も芦原氏のブログを読んだ時、愛本氏と同じ感想を持った。なぜ、個人に書かせたのか。なぜ、法人がケツを拭かないのか。

ただし、芦原氏のブログによると、小学館は、芦原氏の投稿内容はチェックしていた。つまり、芦原氏の投稿は、個人が勝手にやったことではない。だが、たとえば小学館側から、「いやいや、脚本の経緯は、(芦原先生に聞き取りをして)弊社のほうで書いて、弊社の名前で公表します。芦原先生を矢面に立たせるようなことはしませんから」といった提案はなかったようだ。

▼日本テレビも、小学館も、法人である。この二つの法人間に、どのようなやりとりがあったのかが重要だ。

■二ノ宮知子さん(@nino0120444)が6:47 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈自分の作品を一番大事に思っているのは自分なんだと号泣した日の事を思い出して、また涙が止まらない〉

(https://x.com/nino0120444/status/1751904980850913546?t=Fm8UKIR3hfm3KYXV0SEZWg&s=03)

▼原作者の孤独を感じさせる投稿である。二ノ宮氏もまた、己が生み出した原作の世界を守るために、個人で、法人と戦ったつらい経験があるのだろう。

■田中ほさな@YKアワーズGH1月号から新連載開始!さん(@tanakahosana)が7:16 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈たいへんなことが起きてしまった。ここまで作家が思い詰めてしまう前に、出版社やメディア関係者が合同で事態の収拾を計れなかったのか。SNSの炎上も、作品を1人で回す作家にはとても対策できるものではない。事が起きる前に、作家を守るガイドラインの設置が必要だ。あまりにも味方がいなさすぎる。〉

(https://x.com/tanakahosana/status/1751912107199840744?t=Ny_lFxZzs9BREcdaD6NA0g&s=03)

▼「出版社やメディア関係者」とは、要するに法人である。個人の創作によって金儲けをしている法人が、個人を守る掟をつくれ、という提言。筆者は田中氏の意見に強く同意する。

■高殿円㊗️『グランドシャトー』大阪ほんま本大賞受賞✨さん(@takadonomadoka)が7:26 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました

〈ひとりの人間の心から生まれた作品によって、たくさんの人がビジネスとして恩恵を受けられている。

その源泉とも言える場所を、どうしてビジネスの恩恵を受けて居る人たちが守ろうとしないのか。

守るためのシステムが未だにきっちり存在しないのか、

不思議でなりません。

せめてメディアミックス化するくらい成功したなら、専属代理人をつけてあげてほしかった。それくらいの功労者でいらっしゃったと思います。

線引きは難しいと思いますが、ビジネスとして成功したクリエイターの方に、プロの代理人がついて、作品の源泉が直接痛めつけられることがないような業界になることを望みます。〉

(https://x.com/takadonomadoka/status/1751914594493497832?t=LbFw1qVQYy8DwlKx0r-m9A&s=03)

▼これも田中氏の意見と同種の提言であり、「代理人」の提案が具体的だ。

■浅野いにお/Inio Asanoさん(@asano_inio)が7:57 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈漫画家にとって自分の作品は命そのものです。絵も物語もキャラクターも、それらはきっと他者が想像するよりもずっとずっと大切なものです。〉

(https://x.com/asano_inio/status/1751922577453502516?t=AJRu9aBsAJmdL21r0BhhQw&s=03)

▼これは二ノ宮氏と同様の声。原作者、作家の孤独が、切々と伝わってくる。

■田中ほさな@YKアワーズGH1月号から新連載開始!さん(@tanakahosana)が8:01 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈”炎上”という言葉で誤魔化されがちだけど、今回の件はあまりにひどい。犯人探しは不要だが、事態の内容を精査し、関係各所で再発防止に向けて取り組むべきだろう。著作物管理に著述、おまけに宣伝塔でSNS対応って、さすがに荷が重すぎる。作家の方が分別も実績もある方だけに、本当に重い事態だ。〉

(https://x.com/tanakahosana/status/1751923586108113063?t=dbE8ZfPXfb7EjNvfewOKXg&s=03)

▼法人を舞台にしたトラブルに、一個人が対応するのは不可能だ、という至極真っ当な指摘である。

■若林理砂さん(@asilliza)が8:11 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈漫画家さん、ほんとうに繊細なんですよ。

なのに、漫画家さんって、権利がホントに守られてなくて。

佐藤秀峰さんがバラしてましたけど、自分の単行本のカラー表紙は、「自分の本につけるのだから」と、原稿料はタダなんですと。

きくち先生に思わず聞いちゃいましたけど、「そうですよ。装丁のデザイナーにはギャラ出るのにね」とおっしゃって。マジか!?と思いました。

ヤマザキマリさんが『テルマエロマエ』の映画化について受領した原作使用料が約100万円だったこと。契約もきちんと説明がなかったことも明らかにされてましたよね。きくち先生も「そんなもんだよ。ドラマのギャラはもっと安かったけど」とおっしゃってました。

きくち先生をしばらく機能停止させた仕組みが、とうとう人の命を奪ったのですね。

わたしは、漫画にどれだけ救われてきたかわからないです。出版社は、漫画家さんの権利を守って差し上げてください……。〉

(https://x.com/asilliza/status/1751925922801066405?t=xnWYLXdVQ3cBX1EDRKOWvw&s=03)

▼上記の「きくち先生」は、「おせん」のドラマ化で散々な目にあった、きくち正太氏のこと。筆者も「おせん」が放映された際、あまりにひどい原作の改竄(かいざん)ぶりに呆れた一人である。ちなみに「おせん」のプロデューサーが、今回の「セクシー田中さん」のチーフプロデューサーである。

■緒方剛志さん(@ogata_kouji)が10:58 午後 on 月, 1月 29, 2024にポストしました:

〈すごく悲しくなった時「同一性保持権」検索して。確実に大きく見える敵の肋骨とレバー潰せるから。後は弁護士と弁理士さんがセットでいる事務所に相談。一般論ね。〉

(https://x.com/ogata_kouji/status/1751968165608014130?t=dYH0ADTN_bp__Urve1Wuvw&s=03)

▼これも同一性保持権=著作者人格権の話。今回の脚本問題は、法律と現場との乖離が常態化している、ということかもしれない。程度の差こそあれ、業界全体に蔓延している、のかもしれない。

■本間文子@小説【桜の園】光文社より発売中!さん(@hommaayako)が0:37 午前 on 火, 1月 30, 2024にポストしました:

〈① 芦原妃名子さんの訃報を受け、創作活動をする者として言葉がなく、あまりにも心が痛む。

作品のドラマ化に際し、作者が条件として提示した、「原作に忠実であること」がまったく守られなかったこと。その理由と経緯を制作サイドは公平な観点で詳らかにし、当事者の口から真摯に公表すべきだと思う。〉

 https://t.co/yAI5EPVROI

(https://x.com/hommaayako/status/1751992996323905719?t=6zgXBpIHq1g-Zk-twnMUgA&s=03)

▼ここでいう「制作サイド」が法人だ。末尾のほうでも書いたが、法人は「創作活動」をしないし、できないものだ。

■吉本ばななさん(@y_banana)が11:20 午後 on 火, 1月 30, 2024にポストしました:

〈原作者として、長年、国内外のいろんな脚本家監督プロデューサーと巡り合いました。すばらしい人もいれば、最低の人もいました。悪気なく、面白くなる!と酷い脚色をする人もいました。意見を言っても、「原作者はデリケートだから」とダダをこねる幼児みたいにあやされることもありました。

作品に出てくるキャラクターは自分の子どもみたいなもので、ほんとうに耐えられないときは意見を言い、受け入れられず悔しくて泣いた夜もありました。

脚本家もプロだから、自分の世界を描きたくなるのも当然でしょう。バランスが難しい問題です。

今わかることは、どんな目にあっても良い原作は必ず長く残るということです。誰もそのときの作品を汚すことはできない、作者さえも。だから、死なないでほしかった。原作の田中さんや朱里ちゃんの真摯な思いやダンスというものの神聖さや奇跡は永遠です。

あまりにも悲しい、デリケートな話題だからコメントには返信しませんが、私は上記のように考えます。〉

(https://x.com/y_banana/status/1752335881267200001?t=BwZmSGzz3SVeixJxGsNiCQ&s=03)

▼〈今わかることは、どんな目にあっても良い原作は必ず長く残るということです。誰もそのときの作品を汚すことはできない、作者さえも〉という言葉は、芦原氏への、これ以上ない追悼の言葉だと思う。

▼「スポーツ報知」によると、東宝、東映、松竹、KADOKAWAの社長が、この脚本問題についてコメントした。(2024年1月30日 14時46分配信の記事)

〈日本映画製作者連盟(映連)が30日、都内で新年記者発表会を行い、昨年放送の日本テレビ系連続ドラマ「セクシー田中さん」の原作者・芦原妃名子さんが29日に亡くなったことについて、東映や東宝など各社社長がコメントした。(中略)

 映画業界でも漫画作品の映像化に高い注目と評価が集まっている。一方で、原作の世界観とドラマで描かれる展開と折り合いがつかなかったことになどにより、「セクシー田中さん」の原作者が死去したことを受けて、松竹の高橋敏弘社長は「原作のすばらしさを生かすことが大前提。今後もそのようなことがないように我々も気をつけることが原則だ」との考えを強調した。

 東宝の松岡宏泰社長も「原作者の意向を尊重していかに映像化するか、その考え方がぶれることはない。原作者と方向性が違う場合は、コミュニケーションをとって互いにできる限り了解すること、それ以外で乗り越える方法は思いつかない」との考えを示した。

 また、東映の吉村文雄社長も「原作があってそれを映像化する場合は、コミュニケーションやどういう方向で映像化を進めていくかがより今後大切になると改めて感じている」とコメント。KADOKAWAの夏野剛社長も「自分たちは(版権などを)持っている(漫画・小説)作品を映像化することが多い。原作者さんの考え方などにも非常に毎回気を使っていますが、やはり今後も気をつけて(映像製作に)当たっていきたい」とした。(後略)〉

▼繰り返しになるが、法人は個人をケアしない。これは善悪の問題ではなく、「法人とは、そういうもの」なのだ。

だから、人間の側に、知恵が必要になる。その現実を、原作と切っても切れない関係の業界ーー映画の業界で飯を食っている法人の経営者たちは、いやというほど知っているはずだ。

日本テレビの経営者やプロデューサーたちも、知っているはずだ。

■高橋しん+しんプレさん(@sinpre)が3:01 午後 on 木, 2月 01, 2024にポストしました

〈私の読者の皆様へ

ご心配されてる方もいらっしゃるかもしれませんので、現在思うことを。

ーーー

まずは先生のご冥福をお祈りしております。

私は脚本問題に対して先生が経緯を綴られたことを皆さんとおそらく同じようなタイミングで知りました。

真っ先にすべきことは、先生の心とこれから生み出される作品たちを守ることと考えました。

声を上げずに出来るだけ早く落ち着くのを信じて待つこと。一つ一つは小さな善意の声でも燃料を得て大きくなった火には方向のコントロールは効かず火を好む無関係な方々も引き寄せる力がある為です。

先生が一息ついて落ち着かれた頃に、出版社さんを通して少しでも楽になれるような言葉を届けられたらと思っていました。僭越ですがもしご縁があれば、私のような小さな作家でも何かお話くらいはお聴きできるかもしれないとも。

みんな、みんな、先生の味方ですよ。私もそうです。

遅かったことを後悔していますが、

面識もないただの同業者でしかない私には

できることが何一つなかったタイミングであることも理解はしています。

作家として生きることを選んだ者の、

どんなに近しい人にも

本質的にこころの奥底から理解してもらえない孤独を。

あってはならないことですが、先生が選ばれた意志は尊重いたします。

先生が今解放されて安らかでいらっしゃることを願います。

お疲れ様でした。

もう遅いのですが、未来の作家さんと

そこから生み出されるはずの煌めく星々の作品を守るために

作品を他メディア化をするにあたっての羅針盤になるように

作家界メディア界の垣根なく協力して

ホワイトリストの作成や

安心して作品を委ねられる人たちとの心を繋ぐ仕組みの共有を

考えてみてもいいのかなと夢想しています。

もちろん契約書や覚書き等の整備、エージェントや弁護士さんを立てて作家自身が矢面に立たなくてもいい様な仕組みなど今すぐ取り組み考えるべきことはあります。トラブルになってからの仕組みは大事です。

同時に、信頼を担保できる、前を向ける仕組みも大事と思うのです。作家と他のメディアは本来対立する立場ではないからです。

お互いに信頼し作品を委ねられる。これからもそうした成功例を辛抱強く積み重ね、育てて、共有していかなくてはならない。今まで育ててきてくださった方々や、これから育てて行ってくださる方々と共に。

私たちはクリエイターです。私たちには知恵があるはずです。

不幸なのは

作品が変えられることではなく

作品が失敗することではなく

作品が

作家の痛みを自分たちの痛みとして感じられない人に委ねられる

そう感じさせてしまう事です。

ーーーー

皆さんもどうぞまず一番最初に、自分の心を守り、大切な人を守る。

生きていることそのものを大切になさって下さいね。

読者の皆様へ。。しん

【厚生労働省:困った時の相談方法・窓口】

mhlw.go.jp/mamorouyokokor…〉

▼高橋しん氏もまた、自らが原作の『いいひと。』のテレビドラマ化で、辛酸を嘗(な)めた人だ。まだ連載中のドラマ化だったが、制作陣に原作を改竄されたせいで、高橋氏は、原作を守るために、原作の連載そのものを打ち切ったのである。

筆者は高橋氏のコメントに全面的に賛成だが、見解が異なる箇所を、一つだけメモする。高橋氏は〈作家と他のメディアは本来対立する立場ではない〉と考える。筆者は、ここまで読んだ人ならおわかりのとおり、〈本来、対立する立場である〉と考える。「個人」と「法人」とは、まったく異なる原理で動くからだ。だからこそ〈トラブルになってからの仕組み〉も〈信頼を担保できる、前を向ける仕組み〉も必要だと考える。

そうした仕組みづくりは可能だ。今回の悲惨な出来事は、日本のテレビ業界には、こうした〈仕組み〉が存在しないに等しい、という現実を、最悪の形で露わにした。

▼とくに、SNSが害悪を撒き散らしている2024年時点での悲劇だ、という点を忘れてはならない。

「炎上」は一個人でコントロールできない。

▼以前、SNS悪用の極端な例を『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』の書評で紹介した。下記のメモの後半で紹介した、おぞましい実例だ。気軽な「いいね」が、ものの例えではなく、物理的な武器になっている。

今回の「脚本と死」の問題とは、もちろん直接関係ないが、何の関係もない、とは言えない。こういう時代に生きている、という認識は、持っておいて損はない。

上記の実例は、SNSは「軍事技術」であり、「民間への転用」との関係論につながる。もっと言えば「情報」そのものが戦争の武器になっており、「情報」をめぐるこれまでの「常識」と、「現実」とのズレが、広がり続けている。

こうした「SNSの暴風雨」に、普段着でさらされると、心身ともにボロボロになってしまう。命と健康を守るための「防具」が必要だ。個人が手にすることのできる防具は、涙が出るほど貧弱なのである。

▼高橋しん氏らが提言した仕組みづくりとは別の次元で、二つのことを思った。

まず、これからは「脚本」と「脚色」の違いをはっきりさせることが不可欠だろう。これは日本の業界の風習に骨絡みで、根が深い。たとえば米国のアカデミー賞のように「脚色賞」が定着すればいいのだが。

▼もうひとつ。映像化が成功し、原作者が喜ぶ場合もあれば、文句を言うケースもある。もちろん、映像化が失敗するケースも大量にある。無数のケースがあり、無数の成功と失敗がある。だから、成功のきっかけも、失敗のきっかけも、一概には言えないのだが、外せない切り口は、

「脚本に、原作への尊敬があるかどうか」

だ。これは脚本家だけの話ではない。テレビドラマの場合、お金を出す法人(「セクシー田中さん」の場合は日本テレビ)や、その法人に所属するプロデューサーが、決定的な影響力を持っている。

▼尊敬の念。敬意。愛。これらは目に見えない。一律に数値化できないし、見える化も、合理化もできない。これらは個人の人生には必要だが、法人の経営には必要ない。だからだろうか、軽んじられ、なおざりにされてきた。

▼原作がある場合、日本語で表現される

「脚本を書く」

とは、何よりも

「原作を読む」

ことを意味する。どう読んだかが、脚本の質に直結する。「読む」ことで、自分が「問われる」わけだ。

「読む」という行為もまた、その中身、その質は、目に見えない。一律に数値化も、見える化もできない。しかし、この「読む」というシンプルな行為に、今回の脚本問題の秘密が潜んでいる。筆者はそう思う。

▼「読まなければ、書けない」という物理的な次元の話だけではない。「読む」という言葉には、幾つもの意味がある。

メジャーリーグの大谷選手は、打者として、投手が次に投げる球種を読む。投手として、打者のクセを読む。

将棋の藤井聡太八冠は、盤面を読む。

気象予報士は、あすの天気を読む。

恋人は、相手の顔色を読む。その視線、その涙、眉間の皺、口元のわずかな笑み。読むのは顔色だけではない。指先の震え、ため息、背中、肌艶(はだつや)の変化、また明日、と言って別れた後の、LINEの返事の一言一句。

生まれて初めて『源氏物語』を読む。原文で読む。『あさきゆめみし』で読む。谷崎潤一郎訳もあれば、与謝野晶子訳、角田光代訳もある。翻訳家が原作を読む。声に出して読む。黙読。輪読。最後から読む。行間を読む。眼光紙背に徹す。

夏目漱石を読む。江藤淳の漱石論を読む。柄谷行人の漱石論を読む。それぞれの批評を読み比べる。

書道の先生が生徒の筆運びを読む。

医師がカルテを読む。

年表を読む。時代を読む。

画家の手紙を読み、その画家の作品を見直す。

コーランを読む。聖書を読む。

燃やされた本の灰から、何が書かれていたかを読む。

挙げていけばキリがない。『「読む」を読む』という本を書きたい、読みたいとしばしば思う。

▼「セクシー田中さん」全10話を手がけた日本テレビのプロデューサーや脚本家たちは、原作の『セクシー田中さん』を、どう読んだのか。

一個人として読んだのか。

法人の仮面をかぶって読んだのか。

「その物語を生きる」ように読んだのか。

金儲けのために読み散らかしたまで、なのか。

おそらく、これらすべてに当てはまるし、どれでもない。

芦原氏が書き残した「ドラマ化の条件」の証拠。日本テレビ側が小学館側に渡した当初の脚本など。その訂正のやりとり。第9話、第10話についての日本テレビ側の要望。脚本づくりの具体的な進行スケジュール。小学館の担当編集者と、その上司の率直な記録。

日本テレビと小学館には、ドラマ化をめぐって、「読み」の経緯をうかがえる資料を、可能な範囲で公開してほしい。これは、法人だからできることだし、法人でないとできないことだ。

それらの資料は、すべてのテレビドラマを愛する人々にとって、すべての原作を愛する人々にとって、それぞれの「読み」を豊かにする、よき資料となるだろう。

それは、ひいては法人のためになるだろう。

法人は、物語を愛さない。

法人は、物語を読まない。

法人は、物語を書かない。

物語を愛し、読み、書くのは人間である。

(2024年2月2日)

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