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児童虐待がなくならない「構造」と、「論理」が重要である件

▼児童虐待の悲惨なニュースが続いている。『文藝春秋オピニオン 2019年の論点100』に、なぜ児童虐待を止められないのかについて、家庭問題カウンセラーの山脇由貴子氏が解説していた。以前から指摘されていることだが、簡単にまとめていた。

まず、地方公務員が、人事異動で配属される「児童福祉司」という職種があり、実質的な虐待への対応を決定する。この児童福祉司には資格試験などはない。適宜改行と太字。

〈ただ、児童福祉司を責めても問題は解決しない。矛盾した役割を担わされるという構造的な問題があるからだ。

 児童相談所は虐待が疑われる子どもを親の同意なく、強制的に保護できる権限を持つ。一方で児童福祉司は、親との信頼関係を作れと言われる。

子どもを突然、保護されれば親は激高して、「子どもを帰せ」と児童相談所に押しかけて来る。子どもを守る為であるならば、親との対立は避けられないのだが、親との信頼関係のほうを重視する児童福祉司が存在するのも現実だ。

目黒の事件でも、担当福祉司が家庭を訪問したが、母親に面会を拒まれ、子どもに会わないまま帰っている。これも、やはり親との信頼関係を優先させたのではないだろうか。〉(128-129頁)

▼山脇氏は、子どもの保護を担当する「初動チーム」と、親との信頼関係づくりに徹する「指導チーム」を設けることを提案している。

必要なのは、児相との連携を担う警察の部署を明確化すること。その上で、目黒の事件のように、親が児相職員へ子どもの姿を見せることを拒否した場合、警察への通報を原則とすべきだろう。警察官と一緒に、児相職員が子どもの安全確認することをルール化するべきだ。〉(129頁)

▼〈親との信頼関係のほうを重視する児童福祉司が存在する〉のは当たり前だろうし、そこを責めてもなにも価値は生まれないのが「構造的な問題」の構造的な所以だろう。

山脇氏の提案のようにチームを分離する案がうまくいくのかどうかはわからないが、「構造的な欠陥」がわかっていることが、対策のスタートになる。

▼同じことが、悪質な保育園にも当てはまる。こちらのキーワードは「委託費の弾力運用」。労働経済ジャーナリストの小林美希氏いわく、

〈私立の認可保育所には、「委託費」と呼ばれる運営費が毎月、市区町村を通じて支払われている。国、都道府県、市区町村の税金による財源と、保護者が払う保育料から成っている。

委託費は、あらかじめ、子どもの年齢に応じて必要な「人件費」、保育材料などを買う「事業費」、職員の福利厚生費などの「管理費」の3つで見積もられ、人件費は8割で計算されている。善良な保育所は国の想定通りの運営をしてきた。

 ところが、このバランスが2000年に崩れた。

それまでは保育所は公立と社会福祉法人のみの運営だったが、保育ニーズを満たせなくなると同年、国は営利企業である株式会社などの参入を認めた。

ただ、人件費が8割では株式会社が参入するうまみがない。そこで同時にいわゆる「委託費の弾力運用」を認める通知を出し、委託費の使途制限を大幅に緩和したのだ。〉(136-137頁)

▼そのおかげで保育園の「量」が増えて「質」が劣化したわけだ。

こうした解説を読むと、物事を「論理的」に考える大切さを痛感する。

最低限の論理がなければ構造の欠陥が浮き彫りにならない。政治も動けない。

論理は問題解決のための十分条件ではないが、必要条件だ。あっても解決するわけではないが、なければ解決しない。

(2019年1月25日)

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