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『時間の使い方』を記録して、気づいたこと。

時間術のライフハックに『自分の時間の使いかたを記録する』というものがある。

自分の生活には、自分では気づかないような空白の時間が点在している。

その存在を明らかにするために、その方法が有効らしい。

なるほど、と思った。

僕は常々、時間が足りないと思っていたのだ。

なのでその方法を試すことにした。

するとそのライフハックの指摘通り、僕の生活にも様々な空白の時間があることがわかった。


まず目についたのは、午前中に一通り作業を終えたあとの時間だった。

この時間と、昼食を食べるまでの時間のあいだに余白があった。

きっとこの時間に僕は「今日のお昼はなに作ろっかなあ」などと、のんびり考えている。

ライフハック的に言えば、この時間は無駄だ。


次の余白は、昼寝の次にあった。

きっとここでは目が覚めきっていないのだろう。

夢からさめ、現実を直視することを少しずつ受け入れるための時間だ。

この時間にもあまり意味はない。

昼の作業を終えた後にも「今日のコーヒーは、アイスにしようかホットにしようか」と悩む時間や、「読書か、映画鑑賞か。みるとしたらなにが良いだろう?」と作品を吟味した末、結局ゲームをしてしまう時間など、僕の生活は無駄まみれだった。

「鼻をかみたいけど、保湿ティッシュか普通のティッシュかどうしよう」とか「新しいゲームの情報出てないかな」とサイトをまわったりだとか「焼きそばの次の一口はマヨネーズか七味か」みたいな時間はまさに無駄の極地だった。

無駄のつめあわせ。無駄の密林地帯。無駄のドームツアー。僕の生活はそんな風だった。

僕はこれらの無駄な時間を集め、その膨大な時間をもっととてつもなく有意義ななにかに使いたかった。

たとえば、彼女の足をマッサージするとかそういうことに。

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