指定難病・障害を抱えて生まれた私が将来の夢を持ち続けた理由。
はじめに
見つけてくださってありがとうございます。
一ノ瀬 桜音葉です。
気温や気圧の変化が激しくて疲れちゃうような今日この頃ですね。
私も頭や関節が痛くなったり、目眩の発作が出たりしていますが、大学の先生たちなど周りの協力もあって、社会福祉士(医療ソーシャルワーカー)になるという将来の夢に向かって進むことができています。
私は、幼い頃からずっと、何かしらなりたいもの、将来の夢を持ち続けているような子どもでした。
できる/できない関係なく、ぼやぁ〜っと将来やってみたいなぁと思ったものから、たくさん調べたり努力してみたりしたものまで、とにかくいろんな夢を持ってきました。
幼い頃、クラシックが中心の音楽番組をよく観ていた影響で、舞台の上で素敵なドレスを着て楽器を演奏する人になりたいと思ったり。
(実際に両親に「ヴァイオリンかピアノがやりたい!」と伝えて、幼稚園の頃からピアノを習い始めました。全然上手にはなれなかったけれど、音楽は私の人生において無くてはならないものになりました)
またある時は、マニキュアを塗ったりネイルデザインを考えたりするのが好きでネイリストになりたいと思ったり。
犬や猫が好きだからトリマー。
お菓子を作るのが好きだし、お野菜が苦手な人にも美味しく食べてもらいたいから野菜ソムリエの資格をもった野菜スイーツを作るパティシエール。
人前で発表した時に声を褒めてもらえることが多くて嬉しかったし、しゃべることが好きだからラジオパーソナリティや結婚式の司会のような声を使うお仕事。
(職場体験で実際にラジオパーソナリティをやってみて難しさを知りました…笑笑)
ひととしゃべることが好きだし、心の支えになりたいから臨床心理士・公認心理師。
そして、
小児医療に携わる医療ソーシャルワーカーとしての経験を積んだあと、子ども療養支援士と保育士の資格もとって、病児・障害児とその家族を援助する
という今の夢に至りました。
前置きが長くなってしまいましたが、今回は、指定難病・障害を抱えて生まれた私が将来の夢を持ち続けた理由について書いていきたいと思います。
指定難病・障害を抱えて生まれた私が将来の夢を持ち続けた理由
私が
「小さい頃からずっと、何かしらなりたいもの、将来の夢があったんですよね」
というと、
「よくそんな思いつくよね!」
と言われることが沢山ありました。
私からすれば、
なりたいものがないってどういうこと??!
って凄く不思議でした。
私はいつだって、何か特別なスキルや役割に飢えていたのかもしれません。
民間企業への就職をイメージしたことはなく、専門的な知識を学ばなければなれないものばかりを、将来の夢として持ち続けてきました。
私はずっと、病気や障害のない子たちが大多数の環境で過ごしてきました。
だから多分、
という感覚が、ほぼ無意識のうちに、私の奥深くにあったのでしょう。
だからこそ、何か特別なスキルがあったり役割であったりすれば、私も病気や障害がない人たちと同等に働けるんじゃないかと考えていたんだと思います。
(資格をもっている=それだけのスキルや知識があると認められている=病気や障害がない人たちと同等に一定レベルを超えた能力がある、というように私は認識しています)
それが、指定難病・障害を抱えて生まれた私が将来の夢を持ち続けた理由です。
と書くと、指定難病・障害が私にとって単にネガティブなもので、それをカバーするためにはどうしたら良いかと将来の夢を考えていたと受け取られる方もいるかもしれません。
ですが、これはあくまでも全てに共通するであろう無意識に近い根底部分の話であって、最初に書いてある通り、どの将来の夢も“〜が好きだからなりたい”というポジティブなものです。
それに、ひとを支える側になりたいと将来の夢について真剣に考え始めた中学生くらいの時から、指定難病・障害を抱えていることは武器になると思っています。
(当事者でもあるからこそ考えている援助のあり方とかは改めて記事として出したいと考えてます)
自分に向いているか、できるか、なんてことはやってみないと分からないけれど、私だからこそできることをできたらいいなと思っています。
おわりに
今回は、指定難病・障害を抱えて生まれた私が将来の夢を持ち続けた理由について書きました。
今年の1月11日から始めたので、noteを始めてから半年が過ぎました。
大学のレポートのようなガチガチに自分の考えを伝える記事ばかりなので、日記のような、ゆるーい感じの記事も書きたいなと思っている今日この頃です。
それでは、またご縁がありましたら次の投稿も読んでいただけると嬉しいです。
おとは
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