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【ママになった】のではない、【ママになれた】のだという思い。

最近【ママになって良かった】というような内容の文章を書かねばならない場面に遭遇した。

我が家には乳幼児期、とにかく寝なくて、“こだわり”が強くて、歩きや言葉の遅れが目立ち、心配や苦労が多かったシシオ(現・小4)と、やんちゃ坊主で“かんしゃく”持ちで、泣き声が大きくてすぐに私を殴るため、私が日々対応にほとほと困っていたヤギオ(現・小2)がいる。

子育ては、正直、大変だ。

でも、それ以上に“喜び”や“感動”をもたらしてくれる。

だから、【ママになって良かった】ことなんて、原稿用紙で何十枚も書ける自信がある!


ただ、、、私の中で、どうしても引っかかるのだ。【ママになって】という部分が。

私は【ママになった】のではなく、【ママになれた】のだと、いつも思っているから。。。


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<結婚して子どもを授かる>・・・これって、自然な流れだと思っていた。その気になればいつだって子どもは授かれる、そう思っていたので、夫・ウシオと結婚してしばらくは夫婦2人の生活を楽しもうと、私は独身時代と同じように仕事をバリバリ頑張っていたし、夫婦で海外旅行なんかも楽しんでいた。

しばらくして「そろそろ子どもがほしいね」という気持ちになった私たち夫婦は、自然と子どもが授かるのを待った。が、そう思ってから2年。私は妊娠する気配が全くなかった。・・・『不妊』・・・。この言葉が頭にちらつき、はなれなくなった。産婦人科の扉をたたき、とにかく2人の身体に問題がないか、検査をした。


問題はなかった。

通常は嬉しい『問題なし』。でも、問題がないのに子どもができないということは、やっぱり、『問題なしではない』ことを感じた。焦った。これはつまり『原因不明の不妊』というやつではないのか。


結果として、私たちは、結婚してからシシオを授かるまで約7年もの歳月を必要とした。ネットで調べて、妊娠できるだけの身体になれるよう、体質改善に取り組んだ。妊娠する力が低下するとの情報を得て、大好きなコーヒー・紅茶やチョコレート、所謂“カフェイン断ち”をした。

DVDを見ながらヨガに取り組み、血流を良くして冷え性改善も目指した。ウォーキングも血流を良くしてくれそうだったのでゆるゆると行い、行き先を数キロ先の神社と設定して神頼みも必死に行った。

骨盤に歪みが生じないよう足を組む生活をやめたり、鍼灸が良いと知って電車で30分以上もかけて通ったりもした。

普段の食事も気を付けようと、不妊改善に良いとされる“納豆”や“鉄分”摂取も意識的に行った。

何にでもすがりつきたい感じだった。夜な夜なネットで検索するのが日課だった。「〇〇やって妊娠しました~」のようなブログ記事を、羨ましい気持ちで読み漁り、自分もマネできるものはやってみた。

でも、そう簡単には、授からなかった。

長い長い授からない期間に、周囲からの「子どもは作らないの?」「早いうちに作ったほうがいいよ」の言葉に、何度も何度も涙したし、どうしても授かれない自分の存在を肯定できなくなったりもした。



だから、シシオを授かれた時、心の底から、思った。


妊娠は、努力すればできる!というものではないということを。


受験勉強や就職は、自分の努力が結果となってあらわれたな、と感じる部分があった。でも、妊娠に関してはそうは思えなかった。授かりもの、という言葉で表すことがあるが、まさに、そう思えた。神なのか仏なのかなんなのか分からないが、人間ではない、人間を超越したなにかが授けてくれたように、感じている。


【ママになって】という表現は、自分の力で、自分の都合の良いタイミングでママになったように私には感じられてしまうが、私の場合は、自分の都合の良いタイミングが7年もあったのにママにはなれなかった。だから【ママになって良かった】という表現はちょっと違うなと感じており、【ママになれて良かった】という表現の方が断然、しっくりくるのであった。


シシオを産んで約2年後、もう40歳を超えた私が、ヤギオを授かった。一人授かれただけでも奇跡だったが、年齢的にもう一人授かれたことは、奇跡中の奇跡としか言いようがない。

大きくなったヤギオに「どうしてママのところに来てくれたの?」と聞いたことがある。「このママがいいな♪って思ったの?」「このおうちが面白そうだな♪って思ったの?」と、私は自分の都合の良い回答になるような質問ばかりヤギオにしていた。ヤギオはその都度「そうだよ」と答えていたが、実際のところは分からない。

時折、シシオの赤ちゃん時代の写真を見ながら、「あ、この時はまだヤギオがママのお腹の中に居た頃だね」と話すと、ヤギオは「ああ、ボクが“滝の中”に居た頃だね」と答えることが何度かあった。私のお腹の中は“滝”のようになっていたのかもしれない。子どもの胎内記憶。神秘的だ。



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わたしがあなたを選びました

鮫島 浩二  /  絵・植野ゆかり

子ども2人を出産してから出会った絵本。

我が子たちから話しかけてもらっているようで、胸が熱くなる。



地上に降りる(誕生する)ことは勇気あることだったけれど、人生を豊かなものにしてくれると感じたから、地上に降りる決心をした、と。

わたしがあなたたちを選びました、と。



選んでくれてありがとう。我が子2人に、いつも思う。

私と一緒に居たら、絶対愛されると思って、来てくれたんだね。

あなたたちの選択が決して間違いではなかったと、将来思ってもらえるように、私は、精いっぱい、我が子らを愛する、と決めている。

長年子どもを授かれなかったことにも、きっと何かの意味がある、そう思えば、あの頃の自分なりの努力も苦しさも悲しい涙も、全てが輝かしい私の人生の1ページだ。


子どもを授かるということ。それは決して“普通”で“当たり前”で“簡単”なことではない。だからこそ、授かれて、【ママになれた】私たちは、常に、その命に、真摯に向き合わねばならないと思うのだ。



20201119


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