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魔法少女の系譜、その152~『七瀬ふたたび』を八つの視点で分析~


 今回も、前回に続き、NHK少年ドラマシリーズの実写ドラマ『七瀬ふたたび』を取り上げます。
 八つの視点で、『七瀬ふたたび』を分析します。

[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?
[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?
[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

の、八つの視点ですね。


[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?

 ヒロインの七瀬は、生まれつき、テレパシー能力を持ちます。恒夫やノリオやヘンリー、藤子も、みな、生まれつきの超能力者です。
 ドラマでは、彼らの先祖に当たる人々から、その能力が受け継がれてきたことが示されます。さかのぼると、彼らの先祖は、共通なようです。「超能力者の家系」があるんですね。
 七瀬は、生まれつき型の「魔法少女」―成人ですが―ということになります。

 原作小説の『七瀬ふたたび』や『家族八景』でも、七瀬の超能力は、父親から受け継がれたものだと示されます。

[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?

 『七瀬ふたたび』のドラマが始まった時点で、七瀬は、すでに成人しています。このため、この設問自体が、成り立ちません。
 とはいえ、「魔法少女がどうなるのか?」という設問とすれば、成り立ちます。
 ここまで読んできて下さった皆さんなら、おわかりですね。七瀬をはじめ、超能力者の仲間たちは、全員、「超能力者抹殺集団」に襲われて、殺されます。救いようのない鬱展開です(^^;

 ある意味、原作者の筒井康隆さんの傾向を、忠実に反映していますね。「優れた能力を持つ人がいても、周囲の無理解によって、つぶされてしまう」ことを、容赦なく表わします。「現実は、こんなものだよね」という声が、聞こえてくるようです。

 なお、NHK少年ドラマシリーズでは、『七瀬ふたたび』以外に、成人が主人公の話が、ないわけではありません。非常に少ないことは、確かです。
 ざっと数えたところで、全九十九作のうち、成人が主人公と言える話は、十作もありません。やはり、「少年」ドラマシリーズですから、成人を主人公とするのは、異例ですね。

[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?

 七瀬をはじめ、超能力者たちは、誰も変身はしません。

[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?

 『七瀬ふたたび』には、魔法道具は登場しません。

[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?

 『七瀬ふたたび』には、マスコットらしいマスコットは、登場しません。
 あえて言えば、小学生男子のノリオが、マスコットに近い役割を果たします。

 ただし、二〇二〇年現在の魔法少女もののマスコットとは違い、ノリオは、テレパシー能力を持つこと以外は、普通の人間です。ノリオは、その能力を仲間のために使いますが、仲間を助けるよりは、助けられることのほうが多いです。
 超能力者の仲間うちでは、ノリオは常に「守るべきもの」と見られていて、「自分たちを守ってくれるもの、助けてくれるもの」とは、思われていません。つまり、普通の子供扱いですね。

 なお、原作小説では、ノリオの年齢は、より幼く設定されています。最初に登場した時には、わずか三歳です。死んだ時には、五歳です。原作小説では、年齢のわりに、とても賢い子供とされています。
 ドラマで、年齢が引き上げられたのは、おそらく、子役の都合でしょうね。三歳や五歳の子供に、まっとうな演技をさせるのは、難しいですものね。

[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?

 『七瀬ふたたび』には、呪文は登場しません。

[7]魔法少女の魔法は、秘密にされているか否か? それに伴い、視点が内在的か、外在的か?

 超能力の存在は、厳重に秘匿されています。明らかになれば、命の危険があるからです。
 『七瀬ふたたび』の世界には、「超能力者抹殺集団」がいます。超能力者の存在を自然に反するものだとして、見つけ次第、抹殺する集団です。
 七瀬たちは、殺されないために、超能力者であることをひた隠しにして、日本各地を逃げ回ります。

 「超能力者抹殺集団」については、作中で、詳しく描かれません。これは、原作小説でも、同じです。それが、不気味さと恐ろしさをかき立てます。

 視聴者(読者)も、七瀬たちが見聞きして、あるいは、超能力を使って、知ったことしか、知ることができません。超能力者たちの内在的な視点で描かれます。
 七瀬たちは、限られた情報を駆使して、生き残りを図りますが、じりじりと追いつめられます。優れたサスペンスです。
 「そうは言っても、少年向け作品なんだから、最後はハッピーエンドなんでしょ」という視聴者(読者)の期待は、あっさり裏切られます。追いつめられた末の全滅エンドです。爽快感のないサスペンスとして、一級品です。

 ドラマでは、最後の場面だけは、ルポライターの山村の視点で描かれます。超能力者たちが、全員、死んでしまったので、もう、彼らの視点では描けないからですね。

[8]魔法少女は、作品中に、何人、登場するか?

 『七瀬ふたたび』のドラマには、男女合わせて、六人の超能力者が登場します。そのうち、女性は、七瀬と藤子の二人です。二人とも、成人女性です。
 藤子は、ややひねくれたところもありますが、七瀬の仲間になります。一緒に、「超能力者抹殺集団」から逃れようとします。

 先行する「魔法少女もの」で、複数の魔法少女が登場する作品と言えば、『魔女っ子メグちゃん』や、『紅い牙』が有名です。『メグちゃん』―メグとノン―でも、『紅い牙』―ランとソネット―でも、二人の魔法少女は、ライバルとして登場します。『超少女明日香』でも、敵役に、明日香と同じ超能力少女が登場することがありましたね。
 これらの作品と比べると、『七瀬ふたたび』では、二人の「魔法少女」が、友好的な関係を保ちます。共通の敵がいるために、団結せざるを得ません。

 日本の魔法少女ものの歴史の中で、「複数の魔法少女が登場する」ことは、画期的な進化でした。テレビアニメの世界で、鮮やかにこれを表現した『魔女っ子メグちゃん』は、時代を画するにふさわしい傑作でした。
 複数の魔法少女を登場させた場合に、彼女たちを共に輝かせようとしたら、ライバルにするのが、一番でしょう。おそらく、これは、一九七〇年代であろうと、二〇二〇年代であろうと、変わりません。『魔女っ子メグちゃん』や『紅い牙』は、当時としての最適解を選んだと思います。

 ただし、『紅い牙』は、連載が後半になるにつれて、メインヒロインのランの仲間になる超能力少女もいました。ライバルのソネットも、変わらずに活躍します。この形は、『魔女っ子メグちゃん』より、さらに進んでいますね。
 『紅い牙』がそのような形になったのは、連載が進んで、一九八〇年代になってからです。

 『七瀬ふたたび』は、原作小説が書かれ始めたのが、昭和四十七年(一九七二年)です。昭和四十九年(一九七四年)に完結しています。『魔女っ子メグちゃん』より先に、複数の「魔法少女」が登場する作品だったわけです。ドラマは、原作小説を踏襲して、「ヒロインの仲間になる『魔法少女』」を描いています。
 『七瀬ふたたび』の原作小説は、複数の「魔法少女」が登場する作品として、先駆的でした。そのうえ、「魔法少女」に敵対する組織を登場させ、協力して逃げきろうとする超能力者グループ―男女がともに含まれるうえに、日本人ではない人も含まれます―までも登場させたのですから、その先駆性に、驚きますね。
 一九七〇年代前半に、ここまで、考えられていました。さすがです、筒井康隆さん。

 『七瀬ふたたび』は、少年向け作品とは思えないバッドエンドですが、のちの「戦隊もの」にも通じる超能力者グループが登場する作品でした。いくつもの意味で、二〇二〇年代の作品に通じる要素を持ちます。


 『七瀬ふたたび』については、ここまでとします。
 次回は、別の作品を取り上げる予定です。



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