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エスケープ 14~中学生のとき、助けられなかった大事な友達にささげる小説~

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「おはようございます」 

朝の挨拶と共ともにホームルームが始まった。席替えをして窓側の1番後ろというベストポジションをゲットしたわたしは窓の外を見ていた。四月に薄桃色の花を咲かせていた桜の木もすっかり緑色の若葉をまとっている。気づけばもう5月になっていた。

日常が戻ってきた。修学旅行の後、わたしがホテルを脱走したことについて騒がれることはなかったし、担任に何度か理由を聞かれても適当に答えていたら、しびれを切らしたのかそれ以上聞いてこなくなった。稲村先生とも修学旅行のとき以来話をしていない。授業があっても特に話はしなかったし、先生から何か声を掛けてくることもなかった。

あのとき、わたしは先生に全てを打ち明けたわけじゃない。先生なら全部聞いてくれるかもしれない。でも生徒指導って忙しそうだし、それにあの時は……なんて考えていたら何週間も過ぎていた。

「あきちゃん、聞いてよぉ」朝の会が終わるやいなや愛里が不満げな顔で駆け寄ってきた。話を聞くと、どうやら莉沙と喧嘩をして涼香とも気まずくなった。それで居場所がなくなり、わたしのところに来たらしい。人間関係アメーバはまたもや分裂したようだ。まあ結局、愛里にとってわたしは友達じゃなくて、都合のいい避難場所なんだと思う。1人は怖いから、1人じゃ何もできないから、再び合体するまでの拠り所を求めてやってくる。それは愛里だけじゃない。クラスの女子も、そしてたぶんわたしも。

「凛はなんで莉沙のこと許したんだろうね。サイテーじゃん、あんなやつ。結局1人じゃなにもできないのに」

それ、愛里のことだよね、と思わず口から飛び出そうになったけど、無理やり押し込めた。結局1時間目の授業が始まるぎりぎりまで愚痴を聞かされた。愚痴を聞きながらわたしは机の中から社会の教科書を取り出した。1時間目は社会だ。チャイムと同時位に稲村先生がサンダルをパタパタ鳴らしながら教室に入ってくる。「また聞いてね」と言って愛里は急いで自分の机に戻っていった。

稲村先生は、板書を終えると居眠りをしている人に向かって「おい、寝てるやつ、起きろ」と厳しい口調で叱った。通常運転だ。修学旅行のときの優しい口調は夢だったのではないかと思えるくらいに。叱られた中に愛里もいた。廊下側から3列目の前から2番目の席。後方窓際のわたしはこころのなかで「ざまーみろ」とつぶやいてみた。

修学旅行以来、授業中に先生と目を合わせるのはなんとなく気まずかった。だから先生が黒板の方を向いているときだけちらっと見ることにしている。先生の背中はやっぱり大きい。なんて思っていると先生がこちらを振り向いた。わたしはとっさにノートをとっているふりをして目線を下にさげた。

その瞬間、風がサーッと吹いた。風でカーテンが膨らんでわたしの頬にふわっと触れる。吹き込んできたのは若葉の香りがするやさしい風だった。なぜだろう、前を向かないといけない気がする。ひびがあちらこちらに入ったシャーペンを握る手に少しだけ力を込めて、わたしは顔を上げた。

先生と目が合う。あのときと同じ、厳しいけど優しい、そんな目だった。わたしはわかっていた、顔を上げたら先生と目が合うことを。

チャイムが鳴る。「今日はここまで」先生の声が教室に響く。

行かなくちゃ。何かがわたしを突き動かしている。それが何か私にはわからない。でも、とにかくわたしは稲村先生のところに行かなくてはいけない気がした。授業が終わり、愛里がわたしのほうに歩いてくる。先生は教科書をまとめて教室から出ていく。

「あきちゃん、稲村に怒られたんだけどぉ。ほんとうざ……」

ごめん今、あなたの愚痴を聞いている暇はない。「ちょっと急用できちゃった」わたしは愛里の話を遮り、急いで廊下へ向かった。校舎の突き当りまで伸びる長い廊下。先生はその長い廊下の先をパタパタと音を立てて歩いていた。「廊下は走るな」黒くて真面目な字でそう書かれたポスターが目に入る。少し前の委員会の時にわたしが書いたやつだ。でも、そんなのは知らない。この気持ちを伝えるのは、今じゃなきゃダメなんだ。

わたしはまっすぐ前を向いて走り出した。今ならきっと稲村先生に言える。先生はずっと待っていてくれたんだ。息を切らしながら、先生の背中に向かって言った。

「稲村先生。あの。話きいてくれませんか」
「おう、宮野。今日の放課後なら時間あるからホームルーム終わったら職員室来れるか? 」
「はい」

 わたしはとびっきり元気な返事をした。そんなわたしを見て先生は笑った。

「じゃあな」と言って先生はまたパタパタと音を鳴らしながら歩き出した。わたしは先生の背中を見つめながら、大きく深呼吸をする。開いた窓から吹き込む、やわらかくてさわやかな風がわたしの髪をそっと揺らした。

                               おわり

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。とっても嬉しいです。また読みに来てください!