行ってきました「情報社会世界サミット大賞」授賞式inチリ!(Part 4 所感編)
前回のnoteでは、情報社会世界サミット大賞(WSA)で受賞した我々以外のサービスをご紹介した。
今回は、WSAにおいて感じられる世界と、その中でどうWSAが存在意義を持てるのかについての所感を記したい。
世界にはカッコいい女性が沢山いる
筆者は40代半ばの女性なので、ある意味全ての年代の女性に親近感を抱け、そして憧れも持てる。日本を出てWSAで感じられる世界には、カッコいい女性が沢山いた!自分のことを大切にしていそうだったり、自分がどんな姿でいたいかが分かっていそうだったり、子どもが居ても色々な折り合いをつけながら輝いて仕事をしていそうだったり。こう記すとどれも当たり前のことなのだが、残念ながら自分も含めて日本ではなかなかこんな風に居られない。
「私の名前はアンジェラ、覚えやすいでしょ、私エンジェルみたいだから」と自己紹介で穏やかに教えてくれた50代位の南アフリカからのアングロアフリカン女性。髪をちょっと剃ったり立たせたりしている、やはり50代位のニュージーランドの公務員女性たち。恵まれた環境に居ることに感謝して、それを世界を変えることで還元すると話してくれた20代のペルー女性。両親と離れて異国で暮らしながら、起業して社会課題に取り組みつつ小さな子供たちの世話をしている40代のスリランカ女性。彼女に聞かれた「あなたは今ハッピー?」というフレーズが頭から離れない。
世界は開かれ閉ざされている
一部の人たちには、世界は自由に動ける開けた場所である。例えば先ほど記したスリランカ女性は、生まれた後家族でニュージーランドに渡ったが、ルクセンブルグ人と結婚し、今はベルギーに住んでいる。自己紹介でいくつかの国名が出る人はWSAでは珍しくない。
その一方で、チリに来るにあたり、沢山の受賞者のビザがギリギリまで発行されなかった。トランジットのビザを取得することができず来られない人たちもいた。
会場で会ったベネズエラの人は「以前トランジット先で次の乗り継ぎ便が何時間も遅れたけれど、飛行場で待機することさえ認められなかったから、乗ってきた飛行機の中でずっと待たされた」と言っていた。
世界は一部の人たちには開かれていて、しかし多くの人たちにとっては閉ざされていて自由が効かない。国に、地域に、閉じ込められている。今回はどこもビザを取得することなく渡航した日本パスポート所持者の私は、後ろめたさを感じながら、よく連絡をとるバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプの人々を想う。
WSAの存在意義とは
今回のWSAグローバル会合は主にEUの資金的援助で開催されたようだが、SDGs達成を目指すにあたりこのような資金の使い方でいいのか、飛行機に乗ってまで参加していいのか、という疑問が正直なところ常に我々の頭にあった。しかし既に存在するからには、その意義をしっかりと見極め、目的達成に資するものとなるようにしていかなければならない。
筆者が感じたWSAの存在意義は、「恵まれた環境に居る者たちの、現実的で理想的な生きる道と社会やコミュニティのあり方を示す」ことにある。
不平等な世界の中でたまたま恵まれた環境に居られる我々。皆が完全な脱炭素生活を始めたり、貧困の現場に行って行動を起こすことを目指すのは現実的ではない。現実的であり理想的なのは、利益を増やすことを一番の目的とはしない「purpose-driven entrepreneurship(目的主導型起業)」(WSAでよく耳にした言葉)、そしてそのような社会課題に取り組むビジネスへの資金の流れである。
加えてWSAは理想的なコミュニティのあり方も示す。表彰される毎年の40社だけではなく、その前段階でリストに載った企業やプロジェクトも含めて、学び合い協力し合うコミュニティを世界で作ろうとしている。人と人が繋がることは温かく、そして繋がることにより社会を更により良い方向に導いていけるということを実証しようとしている。
これは、世界を支配し始めているビックテックへの抵抗の形とも言えるだろう。富裕層の元にデータを集め、彼らが更に豊かになり、更なる権力を得るるためのテクノロジーではなく。世界の各地で様々な言語を話し、様々な困難を有する者たちの生活を良くしたり、彼らが社会や環境を良くしていく手助けとなるテクノロジーであるために。
我々その中に入った者たちには、WSAが示している理想的な生きる道・社会・コミュニティを、その居心地の良さに甘んじることなく、ムーブメントとする努力が求められているのではないか。