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杉江由次さんの『サッカーデイズ』を読んで、人は迷い悩み戸惑い苛立ち後悔しながらじゃないと成長できない生き物なのだということを考えた。

「これ、ちょっと読んでみて」
あまり押し付けがましくならないよう注意しながら、キッチンで歯磨きをしている妻に、さっきまで読んでいた文庫本『サッカーデイズ』を差し出す。

小学生になったばかりの息子が、どうも上級生にいじめられてるらしいとの奥さんからの相談で始まる「仲間」というタイトルのページを開いて、うるうるした目のまま妻に渡したものの、妻はそれを黙って読みながら、途中で洗面所に戻ってしまい、それっきりなかなか戻ってこない。

「自分が泣いてしまった文章を妻に薦める」という、普段はしないような行動を半分後悔していると、洗面所からすすり泣きのようなものが聞こえてくる。

しばらく経ってキッチンに戻ってきた妻は涙目のまま、「いい話だね」と本を返してくれた。



今から十数年前に長男が生まれてから、妻は幾度となく、「子育てについての悩みや葛藤」を僕にこぼすようになった。

正直、僕にはそれが、あまりに生真面目過ぎるように思えて、「まあ、あまり深刻に考えなくていいんじゃない」とか、「子育ては、あまり思い詰めずに、ゆっくりのびのびしないと」というようなことを、毎回のように「アドバイス」していた。

僕が参考にしていた「子育て論」と、妻の言動は、あまりに違いすぎて、僕は、どう伝えたら妻に「肩の力を抜いた子育て」をしてもらえるのか思い悩んでいたものの、妻から返ってくる答えは「実際の子育ては、そんなふうにはいかないのよ」というものであり、それは僕を大いに苛立たせた。

妻に対しては「子育ては、人と比べるもんじゃないだろ」と言いながら、一番「子育てを人と比べていた」のは明らかに僕であり、さぞかし妻にとっては「相談のし甲斐がない夫」だっただろうなと思う。



なんて昔のことを思い出しながら、たとえば、そのとき、僕がこの『サッカーデイズ』を読んでいたら、もっと彼女の気持ちを楽にしてあげることができたのだろうかと考えてみる。

本書は父と娘と息子の物語であると同時に、自分の親と息子である自分の物語であり、子供をめぐっての夫婦の物語でもある。

でも、いわゆる「子育ての秘訣」みたいなものは、いっさい、出てこない。

父である主人公はいつだって迷ってるし、戸惑ってるし、苛立っているし、子供たちとの関係も不安定なままだ。

それでも、本書を読んでいて、いちいち涙ぐんでしまうのは、そこに描かれている「迷って戸惑って苛立って後悔している大人」が、まぎれもない「僕自身」でもあるからだ。

名シーンばかりの本書の中でも特に刺さってくるのが、本来はDFの長女が練習試合でずっとゴールキーパーとして出場していたことに著者が怒りをぶつけるシーン。
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「だって…。誰もゴールキーパーをやりたがらなかったんだもん」
人がやりたがらないことをやるのは、学校や生活の場なら褒められることだろう。少なくともそれによって怒られたりはしないはずだ。しかしそれがサッカーのレギュラー争いをしている最中では、まったく正反対の評価になってしまうのはなぜなんだろうか。
「お前、レギュラーになりたくないのかよ? えっ、試合に出たくないのかよ? 二試合ともゴールキーパーをして今日どこが上達したんだよ。同級生は上の試合に出て、どんどんうまくなっているんだよ。後から入団したヒロちゃんに抜かれて悔しくないのかよ」
もはやなにに対して怒っているのかわからなくなっていた。人のいい娘に対して腹を立てているのか、それとも二試合ともゴールキーパーを押し付けたチームメイトにいらついているのか、あるいは中学時代サッカー部でレギュラーになれなかった自分自身を怒鳴りつけているのかもしれなかった。
「悔しいよ。レギュラーになりたいよ…。」
助手席で肩を震わせながらつぶやいた。そしていつまでもしゃくり上げるようにして泣き続けた。
ーーー何をやってるんだ。
バックミラーに映るもうひとりの自分が、眉間にしわを寄せて見つめてくる。
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ここにいるのは理想的な父親像とはかけ離れた、ひとりの生身の人間なのだけれども、いわゆる「子育て論」で語られるような内容の何百倍も心を打たれる場面だ。

そして、僕は気がつくのだ。

父として、夫として、迷い悩み戸惑い苛立ち後悔してきたからこそ、この『サッカーデイズ』は、激しく沁みてくるのだと。

だから、あの頃、僕が本書を読んでいたとしても、きっと、妻の「よき相談相手」にはなれなかったのだろうと思う。

なぜなら、人は迷い悩み戸惑い苛立ち後悔しながらじゃないと、成長できない生き物だから。

でも、本書を読んで、「あー、このなんでもない毎日も、きっと、後から振り返ったら、立派なドラマなんだな」と思いなおすことは、そんなに悪いことじゃないと心から思う。

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