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伊吹有喜さんの『雲を紡ぐ』を読んで、そもそも家族は「ひとつ」になる必要があるのかという疑問が頭に浮かんだ。

「人生の半ばを過ぎて、ときどき唖然とする。自分の人生は家のローンと子どもに教育つけるだけで終わるのかと。なのに、それすらもうまくいってない…。頑張ってきたけど、家庭も仕事も結局、何もかもばらばらだ」



人間誰しも、自分の思い描く「理想の家族」というものがあったとして、現実では誰ひとり、その「理想の家族」を築くことはできないのではないか。

何故なら、「理想の家族」というものは、たとえある瞬間、「手に入れた」と思ったとしても、それは年月の経過とともに形を変えていくものであり、そこに個人の思いや願いが必ずしも反映されるとは限らないからだ。

家族のひとりひとりが「幸せ」を願ったとしても、必ずしもその家族が「幸せ」になれるわけではないというジレンマから無縁で生きてる人なんているんだろうかと思ってしまう。

小説や映画で描かれる登場人物たちは、しばしば、自分の家族の現状を「こんなはずじゃなかった」と嘆いたり、「どこで間違ったのだろうか」と途方に暮れるわけだが、それは小説や映画だけの話ではなく、僕たちの日常のあちこちで起こっている風景と言えるだろう。

本書で描かれる、いくつかの家族もまた、それぞれの想いと願いが上手にリンクしなかったり、すれ違ったりで、読んでいて苦しいほどに「ひとつ」になれない。

それを悲劇として読み解こうとする読者は、この物語はどのように着地するのだろうと不安になるのだが、読み進めていくうちに、そもそも家族は「ひとつ」になる必要があるのかという疑問が頭に浮かんでくるはずだ。

この物語は、分かりあえない親子が、夫婦が、家族が、互いに歩み寄って「ひとつ」になるという話ではない。

むしろ、家族だからこそ、分かりあえないこともあるし、歩み寄れないことあるということを描いた物語だと言ってもいい。

それでも。

本書で描かれているのは、家族に対して向けられた「愛」の尊さだ。

信頼する書店員さんが「書店員の皆さんは本屋大賞読書の合間にぜひ。書店員以外の皆さんはいますぐぜひに!」と推薦していた本でしたが、間違いありませんでした。

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