【SE職】27のときに適応障害と診断されてから完全克服するまで①

都内でSEを生業としている28歳の会社員です。

私は新卒で入った基幹系SIerの会社でSEをしていたのですが、ちょうど入社から満3年経った頃、仕事に対する適応障害を発症しました。
発症後は速やかに休職し、半年強ほどの療養期間を経験しました。
そして、会社の定める休職期限を迎えると同時に退職し、その後はWeb系開発のエンジニアとして別の会社に転職しました。
それから早一年が過ぎようとしていますが、今のところずっと元気に過ごすことができています。

適応障害を克服して一年経つので、ちょっとあの頃を振り返ってみたくなり、アウトプットしてみます。
せっかく書くのだからどなたかお一人にでも何かのプラスになればいいなぁとは思いつつも、あまり文章には自信がなく意識すると思考が散ってしまうので、とにかくここは思い付くままに指を滑らせ、なんとかできるだけ多くの事実を書き留めたいと思っております。

・適応障害と診断されるまでの話

適応障害と診断されたのは入社4年目のときでしたが、思えば、入社してからそれまでの間ずっと、ずっと気持ち的にはしんどかったです。いろんな理由をつけては自分を追い込む生活をしていたものですから…。

入社当初の研修期間中、開発未経験であることにコンプレックスを感じていた私は、迷わずPG/SEのキャリアパスを希望しました。だってIT業界に身を置くものでありながら、自分の手では何も作れないとか、私マジ無能だわ。。。って思っていたんですよね。別にそんな、それほどのことじゃないのに。ITでも営業やコンサルなど非製造でもハイパフォーマーは目指せるわけで。でも当時、周りには情報系の大卒や専門卒がいて、私文卒の自分はまったくもって戦力外としか思えなかったんですね。あの頃はいつも自分に不足しか感じていませんでした。研修は成績一位で修了しました。相当努力していたと思います。でも私は結局なかなか自分を認めることができずにいました。

入社1~2年目なんて、まぁ今考えてみればはじめての業務ばかりなわけで、先輩に手取り足取り教えてもらって良いし、多少の失敗も無理ないのに、私は先輩を頼ることをつねに躊躇していたし、ひとつひとつの失敗に内心強烈にへこんでいました。自分が無能だと思い知らされる感覚でした(当時の私はそういう意識だったのです…今は違いますが)。自分の認識とは裏腹に、周囲は自分を評価してくれました。多分新人にしてはそれなりによく捌けていたのだと思います。でも、自分にとってはいわゆるパニックゾーンと感じる業務が常にやってきている感覚で、まったく自分の能力と経験値に仕事が合っていないと感じ、エンドユーザーやプロパー、開発パートナーさんなど、いっしょに仕事をするメンバーに申し訳ない気持ちや、失敗できない!というプレッシャー、ストレスで、なんだかいつもドキドキしながら仕事をしていたことを思い出します。
なんというか、ムダに自意識がライジングしすぎなんですよね本当に…。今思うと我ながら痛々しい。
それでも、周囲にはそういうことを感じているという風には見せないようにしていました、…していたつもりです。明るく気丈に振る舞えていたはずです。先輩方には、いつもニコニコしてて明るくていいねとか、あなた若手(=原価安い)なのにいい動きしてくれるから案件に入ってくれるとすごいコスパ良いと言われたこともありました。コスパって言い方はどうかとも思いますがまぁ褒めていただいたのでしょう。

つまり同僚になかなか弱みを見せられない人間だったわけです。それが結構問題なんですけども当時は問題という自覚がほぼなかったです…。

それからしばらくして、新卒3年目を過ぎる頃には、後輩も増え、徐々に自分の基礎的な力に自信をもてるようになっていきました。周りの評価に自分の評価がやっと追い付いてきたという感じ。そうなると、仕事を自分でまわせている感覚がついてきて、少しは仕事を楽しむことができるようになっていました。
しかし、会社の環境要因で忙殺されてしまいます。急進的な成長施策が続き、気が付いたらなんかむちゃくちゃ忙しくて、常に月40h残業が最低みたいな高稼働状態が、1年近く続きました。デスマーチって最近なかなか聞かない言葉ですがそんな状態ですね。私だけではなく全社的にだったので、皆これくらいやっているしと思うと、なかなか音を上げることができず地獄でした…。

今までと同じ時間量を使ってその数倍の仕事の質量を捌かねばならないので、何かしら効率化するだとかの工夫を凝らすのですが、そうしたらまた別のタスクが差し込まれるだけで、なかなか改善できませんでした。

こういう状況が常態化していた頃、だんだんと、日曜日に体調を崩すことが増えていったんですね。

日曜に翌日からの仕事のことを考えて憂鬱になるんですよ。気が沈む程度ならまだよかったんですが、胃痛や頭痛が出る。月曜の朝、なんの気力もわかず、ベッドから起き上がれない。暑くないのに汗をかく。手震えながら「体調不良でお休みをいただきます」と連絡をする。有給が早いペースで減っていく不安感。仕事を残している不安感。休んでも気は休まらず、なにもできずに一日が終わっていく。火曜が来る絶望感。明日はいかなきゃと思う。だってそんなに体調不良が続いたら変だ、どんな病気かと思われるじゃん。有給もなくなっちゃうし。 

そういうことをあるときから徐々に、次第には毎週、繰り返してしまったんですね。

自分では、自身で自分の気持ちを追い込んでしまっているなぁ、なんとか気の持ち様で改善せねば。と考えていました。
なにか良い方法ないかなぁ。休んで一時的に仕事から逃げても結局いつかやらなきゃいけないということが頭にチラついてまったく沈みから回復できない。どうしたらいいんだ。

と、そんなタイミングで、何気なく目に入った会社のストレスチェッカーを受けてみたら、ストレス値がわりと高く出たんですね。
そのときはじめて、「カウンセリング、受けてみるか…?」とふと思いつきまして。
カウンセリングで、気の持ち様とか気のそらし方といったアドバイスをもらえればいいなという気持ちで、心療内科に出向くことにしたんですね。

そうしましたら初診でいきなり、先生から強めに、
「できるなら明日から、なるべくいますぐ、休職をしてお休みしてください。」
と。本当にまったく予想外のお言葉が。
「いや、でも先生、先に申し上げた通り2週間後には本稼働する案件があり、私はそのPLなんです。いますぐは無理です…」
「これは勧告ではなく、あなたは休まなければならないという、医師による診断です。会社はどんな事情があろうとも、医師の判断にもとづき、今すぐにあなたから仕事を取り除き、あなたを休ませなければならないんです。今あなたが心配するべきなのは仕事ではなく、あなたの体のことです。休職の診断書を出しますので、すぐに会社の方に提出して、お休みをしてください。」 

あぜんとしました。え?え?明日から休み?今抱えている仕事、手離れできるの?そんなことしていいの?マジで…?
このときは、喜びなどの良い感情はなく、とにかく診断書を会社に提出して周囲を困らせるということへの怖さや不安ばかりを感じていました。

すぐにメールで上司に事情を連絡したところ、翌日に人事を交えた面談をセットしてもらえました。
朝一で面談に行きましたが、会社もスムーズに対応してくれて、もうこのまま仕事はせず帰っていいからと言われ、本当に面談だけをしに会社に行ってすぐ帰った形になりました。

なんだか信じられませんでした。私は本当にこれから長期で休むのか。今まであんなに必死に抱え込んできた仕事、やらなくてよくなるんだ。不思議だ。などと他人事のような感想しか浮かびませんでした。

そうして私は、最低限の引き継ぎだけしてすべての案件から剥がしてもらい、半年ほどのお休みをいただいたのでした。

 長くなってきたので、今回はここまでにします。 (分けるんかい)
次回は、

・休職中はどのような生活をしていたのか
・どのようにして復活し、その後どうなったのか

を書こうと思います。

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