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みずからつづる自分史:ダンサー編3〜志 / NYC編〜


自分史としてダンサー編のnote、その3

僕の自分史的なプロフィールを小分けにして今回もお伝えしていきます。


大学一年生から始めたダンスは今年で20年目。

思い返せばどこまでも引っ張れるこの手の話
少しづつ小分けしたプロフィールとして、今回はダンサーとして3つ目となるお話をお伝えしていきます。

ダンサーとしての初期衝動から今の飲食を生業とした僕人生に至る1つの経緯。

少しゆったりめの展開ではありますが、ご興味があれば是非ご覧ください。

僕の全体的なプロフィール

1984年生まれ(満37歳)
大学在学中に教職免許を蹴りダンサーの道へ
国内外で多数のダンス受賞歴を持ち都内を中心にレッスン、ダンスイベントを立ち上げ主催
ダンサーとして活動しながらバリスタ、バーテンダーとして5つの仕事を掛け持ち修練を積む
現在、ACE HOTEL KYOTO所属Mexican Restaurants Assistant Manager
コーヒーとカクテルのイベント「Seed to Bar」主催をするアクティビスト

https://note.com/osamu1115/n/ne7c2a5f3b186

今回と次回内容はこのような形で投稿予定。

今回と次回の内容

今回
ダンサーとして志したもの
影響を受けたNYCへの道

次回
ダンサーとしてのNYC生活とParis生活
ダンサーのリアル生活事情

ダンサーとして志したもの


前回の続きから
大学を晴れて現役卒業した僕。

そこには大学3年生の頃に受けたあるショックのお陰でスイッチが入り、気合十分にキャリアを築いていこうと鼻息の荒い20歳の青年ダンサー紀(おさむ)

ダンサーキャリアの黎明期
勢いそのままに、大学卒業をするまでに都内で少しづつダンスバトルに参加し
優勝したり上位に食い込むなど名を上げ出してはいました。

しかし例のショックもあり、やるならどうなりたいか?
改めて色々考えていた当時

ある時、大学のダンサー仲間と話していてふと言われた言葉で1つ方向性が決まっていきました。

友人T
「ダンサーになるなら唯一無二じゃなきゃダメ。
同じ業界に2人もいらないよ。断固たる決意じゃなきゃ。」

安西先生がフラッシュバックしてますが
未だに刺さる良い言葉を貰いました。

「そうだよな、同じようなダンスをするダンサーが2人も業界にはいらないよな。」

そこで目指した先、僕が志したもの

「ダンサーとして世界一になる」

きました
熱きダンサー紀(おさむ)の誕生です。

今考えても偏差値低めの最高の馬鹿野郎だなと思います(自画自賛)

そして
ここでもかってくらい周りの仲間の影響力の大きさたるや。

仲間の存在
今考えても「仲間」の存在はすごく大事なことだと思っています。

これだけグローバルに様々な情報が闊歩して、すぐに答えが見つかる世の中で、本当に大事なものは自分の半径数メートルの中にあって。
周りは自分の鏡。
そんな周りである「仲間」を無碍にすることは自分を大事にしないも等しいのかなと。

そんな周りの仲間や環境に恵まれつつ僕の目指す先は固まっていきました。

New Yorkへの道筋

そんな僕が世界一になるために考えたこと。

いくつか考えがでましたが、思い立ってから最初に起こした行動
それは
HIPHOP生誕の地「New York」へ行くこと。

何事も温故知新。
世阿弥の守破離の考えも学んでいたこともあって
本当の意味で基礎を学ぶため、またHIPHOPという文化ができた背景も含め、しっかりと自分の体で身をもって体験し、そして自らの身体で表現するためにHIPHOPカルチャーのRootsであるNew Yorkへ赴くことを決意しました。

その当時の僕のテンション
「行くしかないっしょ!」(当時の発言そのまま)

まぁこんな発言するあたりから
当時そこまで考えていたかは今となってはわかりませんが
勢いは時に恐ろしくも時に素晴らしいものを生み出します。
おさむ若さ爆発。

金銭状態

さて
NYCへいこうと決めたものの
当時の僕のお財布事情はどうか。。。

そうなんです。
先立つお金が全くありません(照

こういったアーティスト関係を通ってきた方ならわかると思います。
辱めもなくいうとダンサーは本当にお金がない。

と言っても大抵の二十歳そこそこの皆んなは同じ状況かもしれませんね。
やる気はめちゃくちゃあるけど色々まったく揃ってない。
だからこそ野素溢れる魅力がある時代でもありますね。

ダンサーのお金についての諸事情
ここはExileのHiroさんの書籍やその他色々な媒体で書かれてるかと思いますが、僕の所感は次回のnoteへ。


さて
まずは実際いくらかかるのか実際の旅費と宿泊費を計算。
当然のごとくめちゃくちゃ高い。

LCCも、Webもネット環境も、比較サイトもないまだまだな情報が少ない時代。
実際、頼れるのは旅行代理店。当時はHISの横浜支店にいき料金を聞きに行ったりもしました。

NYCのお金と滞在費


当時の記憶がうろ覚えですが
行くのにかかった値段は以下の通り

旅費
往復の飛行機代は30〜40万円程度。

滞在費
$720/1month

合計
50万円弱

旅費はもうどう足掻いても変えられない部分で仕方ないとして

拠点。
ここはいかようにでもデザインができ旅をするなら根城は根幹になるところの一つ
めちゃくちゃ考え抜きたいところ。

知り合いも皆無で、単独で行く旅先は考えただけで不安でちびりそうでしたが
地球の歩き方や当時でてた情報雑誌を買い込んでめちゃくちゃチェック。

そうして探しに探して決めた場所
「Queensのジャクソンハイツ」(知る人ぞ知るエリア)

初の海外中期ステイ
利便性も求めていきたかったけどマンハッタンはQueensエリアの3倍近く行く値段
泣けるほど高い。

よって探したのは郊外エリア
治安は良くなってはきたものの、まだまだ危ないとも聞く郊外

候補の一つBrooklynはDumboもできた頃でオシャレだけど価格は高騰中。

結果
日系や異色文化が渦巻くエリアのQueensへ決定。
ちなみに郊外のエリアのBronxはマジでやめとけとも言われていました。
今は改善されてはいると思いますが、Bronxは実際に行った肌感でも少し違う場所でした。
NYCは郊外のエリア一つでだいぶ雰囲気が変わる場所だったなぁという印象。

というわけで行って住むだけで50万近くかかる計算のNYC修行。
そこに活動費や食費がかさむとなればいよいよ必要なお金が見えてきます。

まずはしっかりお金を稼ぐ方向へ舵を切りへ1年間みっちり働くことに。

しかし今のNYCのRent Feeから考えるとめちゃくちゃ安いですねw

お金稼ぎ


そこで働いた先は飲食業
とある芸能事務所が手がける麻布十番の料理屋さん。
1年間、週に6〜7日フルで働き詰める生活。

もともと20歳くらいの頃から都内の焼酎BARで働いていたので働く先は経験を活かしつつ働ける飲食業と決めていました。

働いた先で一瞬カクテルに触れる


麻布十番のお店ではアルバイトながらリーダーポジションを就任
現職に通じるカクテルにも携わり、面白そうな世界だなと俄然興味を惹かれましたが
しかしその当時の僕が見据えるはNYCまっしぐらのバリバリのダンサー。

カクテルは気になりつつもブレることなく仕事に専念し、みっちりお金を貯めることに成功。

少し振り返ると
僕のキャリアの中でのバーテンダー。
広義で言えば20歳から働いてた六本木の焼酎BAR、そして麻布十番の料理屋さんでのカクテルに携わったことは今の職にも通じる最初のバーテンダーのキャリアスタートはここが始まりでした。

少し話がずれましたが
結果、1年後。
貯めたお金を全てそそぎ込む形で
晴れてNYCへ1ヶ月間行くことなりました。

ダンサー業界で唯一無二、トップになるために選んだ先のNYC行き。
お金がない現実を直視し、そこから都内の飲食店でお金を貯めて無事に海外行きを果たす。
今回のnoteは、行動先走り気味の僕が露わになってしまったnoteになりましたね。w

次回


次回
初めて上陸した15年前のNYCの出来事
またその後行った12年前PARISでの出来事を紹介できればと思います。

当時は短い滞在の中でも
海外で過ごした経験が今の僕の人生の中で大きく影響した瞬間でもありました。


海外生活が絶対に良いとは決して思いませんが、大事になるのは「決意」と「行動」なんだと思います。

結果が全ての世の中で、そこに至る思いや背景は見えづらいもの。
改めてこういった媒体を通してお伝えできる機会はありがたいですね。

少しづつですが僕の通ってきたプロフィールと合わせて、noteを通して共有できたら嬉しいです。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回は近日公開(個人的希望)


今回の所感


文章って興が乗った時じゃないと書き出せないものですね。
習慣ならまだしも、やはり時間がすごく経ちました(陳謝)
本当はこの記事は年末にリリースしたかったのに2月リリースという。

書くことも日課にし、続けていこうと思います。

Osamu

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