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出産してから初めてわかったこと

大変ご無沙汰しております。

間隔を空けずに書こう、書こうと思いつつ、
9ヵ月になる娘の後を追いかけるのに必死な毎日で
気づけば前回noteを書いてから2週間。

引き続きフォローしてくださっている方々
本当にありがとうございます。

サボり魔の私に引き続きお付き合いください。





子育てについて書いてください。
というコメントをいただいたので
今回は子育てについてと
それに関する看護実習での出来事について書きたいと思います。



娘を出産してから9ヵ月。

母乳をあげられなかった後悔やそこからの学び
その後、5ヵ月から離乳食も始まり、
ミルクもご飯も拒否することもありましたが
なんとか成長曲線ど真ん中を経過できております。

笑ったり、泣いたり、
最近は「ママママママ」と呼んでくれることも増えました。
夜は10時間寝てくれるようになり、
つたい歩きもできるようになり、成長に感動する日々です。

まだまだこれからも大変なことがたくさんあると思いますが、
自分にとってはやっぱり産後1ヵ月が一番つらかったです。


でもそう思えるようになったのも、母になったから。
自分がその立場にならないとわからないことだらけだなと思います。





これは10年前、
産婦人科での看護実習のときのお話。


受け持たせていただいたAさんは20代後半の初産婦さん。
妊娠高血圧症候群のため、
私の実習先の総合病院に入院されていた。


妊婦さんと関わるのは
プライベートも含めて初めての経験だった。

ドキドキしながら個室部屋のドアを開けた。

そこには陣痛真っ只中で、
横になって苦しむAさんの姿があった。


私は衝撃を受けた。
Aさんは昨日の夜からこの状態だったのだ。

Aさんに挨拶をするが返事をする余裕もなく、
眉間にしわを寄せながら私のほうを見た。


私は助産師に代わって、
数分間隔の陣痛の波がきている間、
腰をさすり続けた。

実習中のため座ることができず、
中腰で、手の感覚がわからなくなるほどに。
10時~12時、1時間休憩をして、13時~16時まで。
私ができることはそれしかなかった。

20代前半の私でも
5時間続けるのは苦痛で仕方なかった。

やっと会話ができると思えば、
「そこじゃない!」「もっと強く!」と怒声を浴びせられ、
「すいません」と言うことしかできなかった。



正直、最悪だと思った。

実習仲間のなかには
その日のうちに出産見学できた人もいた。

私は丸1日、腰をさすっていただけ。

明日もずっとこんな感じなのだろうか。
気が重かった。


次の日の朝、訪室すると
さらにAさんの顔がやつれていた。

夜間も陣痛が続き、
さらに間隔がせばまっているようだった。

私はまた腰をさすり始めた。



午後になって、子宮口が開き
ついに分娩台にあがれることになった。

やっと産まれる!
そう思い、私はホッとした。

だがそこからも長い闘いだった。

Aさんは叫び続ける。
私は腰をさすり、手を握り、Aさんのそばにいた。

狭骨盤だったため、
助産師の看護師長がAさんの上に乗り
やっとの思いで、赤ちゃんが出てきた。

元気な産声が聞こえた。


Aさんが目に涙を浮かべながら、一つため息をついた


私も涙が止まらなかった。


一つの命が誕生した瞬間。

腰をさすり続けてしんどかったこと、
怒声を浴びせられて悲しかったこと、
何をすればいいのかわからず辛かったこと、

そんな思いが一気に消え去った。



実習時間ぎりぎりだったためそのまま退室し、
翌日改めてAさんのところに向かった。

「本当にありがとうね」

Aさんの笑顔を初めてみた。
赤ちゃんを抱きしめながら、幸せそうな表情をしていた。


よかった。
役に立てた。
これも必要な看護だったんだ。

これからはAさんと良い関係が築ける。
―――――そう思っていた。



産後2日目、
Aさんの部屋にいき挨拶した。
昨日のような笑顔が返ってくると思った。

だがAさんは
陣痛で苦しんでいたときのように
目の下にクマがあった。

私は睨みつけられたような気がした。
返ってくる言葉も冷たかった。

私はあわてて部屋を出た。




何かしてしまったのだろうか。

昨日のやりとりを何度も思い出す。
いや、でも最後も笑顔で挨拶したのに。


先に述べたように
Aさんは妊娠高血圧症候群で
産後も血圧の経過をみていく必要があった。

Aさんの部屋に行かないわけにはいかないため、
時間を空けてからもう一度訪室した。

「血圧を測らせてください」と伝えると
黙って左腕だけ出された。

手に汗を握りながら測る。
「痛い!」と言われた。
緊張して空気を入れすぎてしまった。
あわてて謝る。そしてまた睨まれる。


Aさんは看護学生を外すようには言わなかった。

ただ、翌日以降は
担当助産師が訪室するタイミングで
私も訪室することにした。

Aさんは日に日に表情が怖くなり、
担当助産師2人にさえ
赤ちゃんに近づかせないように
ベビーベッドを自分のほうに寄せた。


実習期間はそう長いものではなかった。

結局私は、
Aさんと関係構築できないまま実習終わりの挨拶をした。

睨まれるのが怖くて、
私はAさんの目を見ることができなかった。




今の私なら
Aさんの気持ちがわかるような気がする。

出産前も陣痛で寝不足、
休む間もなく、
出産後も会陰痛、後陣痛で苦しみ、
そんななかで赤ちゃんのお世話をしなければならない。

初めての出産でわからないことだらけ。
少しでも身体を休めたいのに、
ノー天気に看護学生がやってきて、
助産師と同じような質問をしてくる。

そりゃ睨みたくもなる。
笑う元気なんてない。
来るな、と言われなかっただけ、
Aさんに感謝するべきだったのかもしれない。

私はそんなAさんの気持ちを考えることができなかった。
というよりも、
20代前半の私には出産がどれだけ大変な事か
教科書だけでは理解することができなかった。




それでも嬉しかったことが一つ。


数年後、
隣の市のショッピングモールに行ったときに、
かわいい女の子と手をつなぐAさんの姿があった。

笑っていた。
目の下にクマはなかった。

いい別れができたわけではないので、
私は声をかけることができなかった。
それでもAさんが笑ってくれているだけで幸せだった。




そして出産を経験した今、Aさんに謝りたい。

私の実習中、
赤ちゃんはずっとAさんの部屋にいた。

初産婦で常に母子同室。
きっと大変だったと思う。

少しでも休めるように
Aさんの気持ちに寄り添うべきだった。
赤ちゃんをナースセンターに預けるのを
提案するべきだった。

頑張りすぎているAさんに気づくべきだった。





産むまで ではなく
産んでから のケアがいかに必要か

経験していないことであっても
知ることから始めてほしくて書かせてもらいました。

1回しか出産経験をしていないのに
偉そうに感じたらごめんなさい。

妊婦さん、褥婦さんの
苦しみが少しでもなくなりますように。




ご覧いただきありがとうございました。
こちらも読んでいただけると嬉しいです。


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