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人と地球にとって最良・最善のものが循環する世界

昨年、グレタ・トゥンベリさんが世界に怒りをあらわにした。

「あなたたちが話しているのは、お金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか」

世界に向けて投げかけられた「未来の大人」からの問いでもある。

ちょうど企業向けにサステナビリティについて考えるためにセミナーを主催していたタイミングでもあったため、とても記憶に残った。彼女の言葉の正当性や不都合な未来の確実性をここで述べるわけではない。ただ、どう意味づけてこの時代を生きるかが大事であるように思う。

事実、このままいくと100年後は地球の平均気温が産業革命以降4~5度上がる計算になると言われている。現在1度上がった状態で昨年のヨーロッパの熱波(フランス・ドイツなど複数の国で40度超え)さらに9月・10月の台風の恐ろしさである。予測と現実がどんどん重なり始めた現在。後世に残す地球をどんどん悪化させることに加担する人生ではなく、悪化させないことに力を尽くした人生でありたいと思う方が、個人的には生きる意味を感じる。だからこそ、そこに自分なりの形で貢献をしたいというのが私の働く価値・意味と決めている。

そんな私が実現したいと願う世界は「人と地球にとって最良・最善なものが循環する世界」

「最良・最善」とは何か

時代の変化でこの基準が変化している。資本主義社会を代表する表現でもあるが、物質的価値が求められる時代では「高価である」ものが最良・最善と判断されることが多かった。つまり高価であるものに機能性を見出し、自分の生きる環境を物質的に豊かにすると判断できたからである。そして、その影響で、高価であればあらゆるモノ・サービスが良い(善い)ものという盲目的な価値基準が浸透していった。しかし、現在は精神的価値、すなわち心の豊かさが求められる時代へ移行している真っ最中。この時代では「意味を感じること」に最良・最善の基準がおかれると考えられている。つまり何が最良か最善か、その判断は人がそこに意味を見出せるか否かに左右されるということである。高価である主体は何か、それはモノ・サービスである。そして、そのモノ・サービスが、いまや低価格で一定以上の質に高まって飽和状態になった。一方で、意味を感じる主体とは何か、すなわち「人」である。つまり、物質的価値が求められる時代は「高価であること」が画一的かつ絶対的信用となっていたのに対し、これからは人が「意味を感じること」が最善・最良の基準になっていくという移行である。この観点でとらえても現代は、画一的な時代から多様性の時代へ、そして「モノ・サービス」が起点ではなく、「人」が起点になる世の中への移行期と言える。

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では、人にとって最も意味を感じるものとは何か。それは、自分と深く結びつきを感じるものである。では、自分と深く結びつきを感じると何が生まれるのか、それは幸せである。では、人が最も幸せを感じることとはどんなことか、究極的に考えるとそれは「人との深い結びつき」を感じることである。では、人との深い結びつきの中でもっとも意味を感じることとは何か、それは自分が誰かの救い手として関わることができ、一方で自分が誰かに救われながら生きている実感を味わえることである。

すなわち、誰かを思って広がるモノやサービスやあらゆるコミュニケーションを、その思いを感じて享受できる世の中こそ、最良・最善のものが循環する世界である。世界が完全にこれだけで循環し始めたとき、おそらく本当に地球と調和した未来が実現していることになると信じている。

鍵は、一人一人が生きる意味を見出した先に誰かへの願いが生まれ、その実現が人生の意味であると感じる人たちが一人でも多く増えていくこと。そして、その過程で人の共感の質が今と変わることにあると考えている。

その実現にどれだけの年月がかかるかわからないし、実現不可能な夢なのかもしれない。そして、一人の力では微力すぎる。だからこそ、共感者と共に世に働きかけていきたい。

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