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妻恋う鹿は笛に寄る(自作の詩と散文)

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瀬戸内海に面する小都市で暮らし、働きながら詩や散文を詠んでいます。情景を言葉として、心で感じたことを情景にして描くことを心がけています。言葉の好きな方と交流できたらいいなと思って…
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#小説

ひと筋の気泡

ひと筋の気泡

深い沼からひと筋の気泡が立ち昇っていた。魚がいるのかな?こんな汚れた沼にでも魚は棲んでいるんだと木こりは横目で通り過ぎようとしたが、気泡からは何かメッセージ性のようなものを感じた。居ても立っても居られなくなって、異臭すら漂う沼に飛び込んで深く潜った。服やズボンや靴やら全て水分を含み邪魔だったが、木こりの持ち込んだ気泡と立ち昇ってくる気泡が混ざらないように、慎重に潜った。かなり深くて息絶え絶えになり

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底なし沼

底なし沼

底なしという噂の沼があった。街外れの、薄暗い雑木林を抜け、湿地に足を取られながら進んだところ。鬱蒼と茂るミズアオイ、オニバスの向こう側に、鈍く光る沼が横たわっていた。その沼には体長2mを超える主の草魚がいるとされ、うっかり足を滑らせて落ちた時には、もがきながら沈み、二度と浮かび上がれないとされて、誰も近づこうとしなかった。

しかし、夕暮れ時に西の空に欠けた月が輝く数日だけ、その底なし沼に近づき、

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スミレ

スミレ

湖の底に倒木が沈んでいる。透明度が高い澄んだ水に晒されて、幾重にも折り重なり、あらかたの形を留めたまま、静かに眠っている。

それは得も言われない美しい湖で、畔に年中枯れない幻のすみれが咲いていると言う。

イオナの硬いほほ笑みの瞳の奥に、その湖がある。その湖と村の森の奥にある湖と同じであることを知っているものは、風来坊のシェルドのみである。

シェルドはイオナを深く愛し、笑顔にしていた。そして、

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鬼のユリ

鬼のユリ

 村の外れの雑木林に、鬼が出るらしいという噂が立つようになったのは半年前からだ。今では村の百五十戸に住む老若男女、誰もが知っている話だ。それはもう噂話ではなく、ゆるぎない事実として語られていた。実際に鬼の姿を見たという村人もいた。その話によると、大きなクマのような体格で、口には二本大きな牙があり、髪の毛は逆立っていて、手には鋭い爪が生えているということだった。

 村人が一番恐れているのは、朝と夕

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悪人

悪人

悪いことをした者のみが上がらなければならない階段を上っていた。

灰色の雨が降っていた。私は破れ傘を差して、濡れながら一歩一歩上っていた。その役に立たない傘をどこかに捨ててしまいたかった。私の心の中には役に立たないものは捨ててしまえばいい・・・そういうやましい心が宿っているようだ。それも人の目につかない場所ならどこでもいいと、人の目を盗もうとする気持ちすらあるらしい。

だから、階段を上っているの

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エオリアン

エオリアン

秋の空の色をそのまま映したような薄藍色の湖がある。スカイラインを縫ってたどりついた山の奥にひっそりとたたずむ湖。

由香里の目の奥にわななく光の色は、その湖の薄藍色に似ている。誰も寄せつけようとしない淋しげな色。由香里はその湖が好きで、悲しい気持ちになると私に連れて行ってとせがむ。

その湖の本当の名前を二人は知らない。数年前に由香里とスカイラインをドライブ中にわき道に迷い込んで、偶然見つけた湖だ

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