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悪人

悪いことをした者のみが上がらなければならない階段を上っていた。

灰色の雨が降っていた。私は破れ傘を差して、濡れながら一歩一歩上っていた。その役に立たない傘をどこかに捨ててしまいたかった。私の心の中には役に立たないものは捨ててしまえばいい・・・そういうやましい心が宿っているようだ。それも人の目につかない場所ならどこでもいいと、人の目を盗もうとする気持ちすらあるらしい。

だから、階段を上っているのだ。

階段を上りきったところには広場があり、縁日が開かれていた。

鬼やひょっとこや天女やヒーローの面が飾られて売られている。胡散臭そうなテキ屋のお兄さんは、ヒーローの面を買えば、いい人間になれると早口で言う。幾らするのか尋ねると、下界で稼いだ全財産と言う。

それ以上でもそれ以下でもないと・・・幼い頃に、親に子供騙しだからと言って、ヒーロー物の超合金を買ってもらえなかったことを思い出し、あの頃、私は本当はヒーローになど憧れてなくて、悪役や怪獣たちがいつかヒーローを倒さないだろうかと、いつも考えていたことを思い出した。

灰色の雨はやみそうになかった。白い布で作られた着物を着ていたが、階段を上っているうちに、すっかり汚れてしまった。

傘は捨ててしまいたかった。人の目を盗んで捨てる機会をずっと待っていた。

白、緑、青、赤、桃、紫、黄の光にかざすときらきらと輝く球が水に浮かんでいて、破れやすい紙を貼ったポイで三つすくいあげれば、悪いことをした罪を赦され、また下界へと戻れる。

テキ屋の姉やは優しそうな口調で私に言い聞かせる。幾らするのか尋ねると
泣かした女の数×十万円と言う。姉やが差し出すポイはいかにも破れそうだった。

私は姉やにお金を渡すと、これでは足りないと言う。戸惑って、おどおどしていると、姉やは私の手から束にしている十万円を奪い、数えた後、五束でぴったりだよと言って、ポイを一つ持たせてくれた。

私は慎重に水面に浮かぶ球をすくい上げようと集中した。姉やがうつむくと、姉やの胸元から右側の白い乳房が見えた。目に焼きつくような白い肌だった。姉やにばれないように、ちらちらと胸元を覗いていた。そうしているうちに、ポイは水に浸かって破れてしまい、下界へ戻れるチャンスを逃してしまった。

姉やは残念だったわねと嬉しそうに笑った。
水面に浮かぶ色とりどりの球はただきらきらと輝いていた。

私は姉やの道具置き場の隅に置かれた段ボール箱の中に、傘をたたんで、突き刺して捨てた。私は何知らぬ顔をして、その場を去った。目の裏には姉やの白い肌が焼き付いていて、勃起していた。

灰色の雨はさらに雨脚を強めて叩きつけるように降っていた。私の着物は灰色に染まり、汚い濡れネズミのようになっていた。下界は青空が広がっていて、きれいに見えた。

綿あめを作っている屋台の前に来た。悪いことをしていても、少しぐらいは善行もしている。その善行を丸めたものから綿あめを作ってもらえる。綿あめを作っている屋台にはたくさんの悪人の行列が出来ていた。悪くても小心者の人間は自分はいい人間だと思い込みたいらしい。小さな飴玉のような善行から、大きな綿あめにして作ってもらって、自己満足に浸って、甘い綿あめを舐めたいらしい。すぐに溶けてなくなってしまうというのに。

そういう私も小心者なので、長蛇の列の最後尾に並んだ。自分が果たした善行というものはどの程度のものだろうと言う興味と、ほんのひと時でも甘い気持ちに浸りたかった。

灰色の雨はあまりにも冷たかった。

自分の番が来るまでに八時間待った。八時間並んでいる自分が馬鹿げているとさすがに思った。
綿あめ職人は老婆だった。私の目を見て、全て見透かしているようで、鳶の目のように眼光鋭かった。

お前の善行はこれっぽっちの大きさだよ。そう言って皺だらけの手のひらに、小さな飴玉のようなキラっと光るものを見せ、綿あめ機の中に放り込んだ。さあ、糸になるからこの棒でかき集めてごらん!

私は無我夢中で棒に飴の糸をからみつけた。自分が思っているよりも大きな綿あめになって、目を輝かせて喜んでしまった。

老婆はふん!と鼻で笑って、次の者と交代だよと冷たく言った。

私は綿あめにかじりついて味わった。思ったより大きかった綿あめは、一瞬で無くなって、ただの棒っきれだけが残った。

たちまちつまらなくなって、棒っきれを捨てた。

灰色の雨は小降りになっていた。

私は下界へ戻りたくなっていた。
ここはあまりにもつまらない。

でも、一度階段を上りきってしまったものは、誰か代わりものを、ここへと導いて誘い込まないと下界へとは戻れないのだ。

私は悪人である。これからどうするかは誰もがそうするであろうことをするまでのこと。


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